後半、盲目のトマス・エフィング老人が現れてからの展開がおもしろく、一気に読み終えた。読む前から漠然と物語の舞台設定と主要登場人物は知っていたので、ノルウェイの森さながらに 「キティ」 との恋愛物語が描かれるのかなと思っていたのだが、さにあらず。キティはほとんど生身の人間としては登場せず (主人公である 「僕」 の語りの中にたまに出てくるだけ)、本書も恋愛物語というよりはむしろ主人公の成長と冒険譚としての性格が強い。
全編にわたって “偶然” の出来事や出会いが織り込まれていて、特にエフィングの死のあたりからはほぼ偶然のみによってストーリーがひっぱられていく (このあたりからストーリーの最後が読めてしまった。しかし、それがおもしろさを半減させる理由にならないのがオースターの語りの巧いところ)。そのへんの流れは、オースターの別の著作 『トゥルー・ストーリーズ』 を読むと、より納得できると思う。

2010年5月10日

読書状況 読み終わった [2010年5月10日]
カテゴリ 海外文学

文章は読みやすいけれど、宮迫さんの "あこがれ" というのにまったく共感できず。「上質なコットンのような暮らし」 とか、「甘いかんじのトシのとり方」 とか、「スイートな老女になりたい」 とか、「このトシでかわいいなんてステキ」 とか... 言葉の選び方からして気持ちが悪いし、そこここに出てくる 「女性原理」 とか 「魔女の末裔」 とか、フェミ+オカルトかぶれっぽい記述も生理的に受け付けない。
そもそもこの人とは生きている時代が違うかな。宮迫さんは私の母世代なので、「すてきな女性になりたい」 「すてきな老女になりたい」 と過剰に思い込んでいるふしがある。一方、私にはなぜそんなことにこだわらなければならないのかわからない。だいたい、年をとったら別の人間になるわけではないのだから、そのままでいいのではないの? あるいは、若かったころに 「そのまま」 でいられなかったのが宮迫さんであり私の母の世代の女性たちなのかもしれないけれど。宮迫さんはこの本を書くことで老いていく自分を肯定したかったのかな。
沖縄のおばあさんたちについて書かれた章はおもしろかった。
宮迫さんの考えが私の好みと致命的に違っているだけで、エッセイ本としては悪くないと思うので星 3 つ。

2010年4月27日

読書状況 読み終わった [2010年4月27日]

小川さんと河合隼雄さんの対談集が非常におもしろかったので、小川さんの小説以外の作品を読んでみようと思って手に取ったのだが、期待はずれだった。
いかにも 「片手間に書いた新聞コラムです」 というかんじの読みごたえのない思い出話ばかり。同じ思い出話にしても、ポール・オースターの 「トゥルー・ストーリーズ」 におさめられたエッセイのおもしろさ、完成度と比較して、あまりにも、あまりにも見劣りする。小川さんはエッセイではなく小説の人なんだなあと思った。それでも、第 3 章 「死は生の隣にある」 にまとめられていたアンネ・フランク関連のコラムは、著者の思い入れが強いせいもあってそれなりに良い。

2010年4月23日

読書状況 読み終わった [2010年4月23日]
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おもしろくないとは言わないけれど、好みではなかった。海外ドラマのノベライズのような内容、展開で (そういう意味で 「読みやすい」 「世間受けしやすい」 とは言える)、私にとっては時間つぶし以上の価値はなかった。今後この著者の他の作品を手に取ることはないと思う。
翻訳でひとつ残念な点は、「いけてる」 「いけてない」 という言葉が頻出する点。ローズ、マギー姉妹の祖母である 78 歳のエラまでが 「いけてない」 と発言するのはかなり不自然。

2010年4月23日

読書状況 読み終わった [2010年4月23日]
カテゴリ 海外文学

アンネ・フランクが隠れ家に潜行する直前、1941 年の終わりから半年ほどアンネの 「親友」 だったジャクリーヌ・ファン・マールセンによる回想録。
前半はアンネとの思い出、アンネの人となり、ジャクリーヌ自身の戦時経験がメイン。後半は世界的ベストセラーとなった 「アンネの日記」 を売名や金儲けの道具に使おうとする多くの人々 (驚くべきことに、アンネ・フランクの父オットーの後妻とその連れ子もその立役者に含まれる) への違和感と義憤を述べた内容になっている。
ミープ・ヒースの回想録 「思い出のアンネ・フランク」 は、ミープ本人がプロのライターであるアリスン・レスリー・ゴールドの協力を得て書き上げたものなので、その読みやすさはある意味当然のものだが、こちらもかなり読みやすく仕上がっている。書くことについては素人のヨーピー (ジャクリーヌ) が独力で著したのだとしたら見事なものだ。
ここまで 「アンネの日記」、「思い出のアンネ・フランク」、「アンネとヨーピー」 をすべて深町真理子さん訳で読んできた。文中にしばしば古風な (もしかしたらやや難解な) 語彙や言い回しが出てくるので、 「アンネの日記」 の感想で 「やや癖がある」 と評したが、深町さんご自身が 1931 年生まれ、アンネやヨーピーと同年代なのだということを最近知った。なるほど、それならば納得である。

2010年4月23日

読書状況 読み終わった [2010年4月23日]

『ELLE』誌の編集長として活躍していた 43 才のボービーは、突然脳出血で倒れ、昏睡状態に。昏睡から覚めたとき、彼は Locked-in 症候群と呼ばれる全身の麻痺状態に陥ってしまう。知覚、意識はまったく以前のまま、体だけが動かない。その動かない 「殻」 あるいは 「繭」 となった体を彼は Scaphandre (潜水服)、体の自由が奪われてもなお自由を求め飛翔する精神を Papillon (蝶) にたとえた (原題: Le Scaphandre et le Papillon)。
本書は、麻痺状態になり、呼吸も排泄も自力ではできない、唾も飲み込むことができなくなったボービーが、唯一動かせる左目のまばたきでアルファベットをひとつひとつ示し、単語を組み立てて書き上げたエッセイ集である。
エッセイの内容は、家族のこと、思い出、病院での日常、空想などが中心。いずれもフランス人らしい機知と皮肉に富んでいて秀逸だ。書籍紹介を読んで 「闘病記」 だろうと思い込んでいたので、まるで雑誌に掲載されているコラムのような軽妙洒脱なエッセイに驚いた。
本書は映画化もされていて (むしろそのことによって有名になったと思われる)、そちらには 「自分の中の人間性にしがみつけば生き抜ける」 とか、「体の自由を奪われても心は蝶のように自由に」 というようなコピーがついているのだが... 本作を 「感動の...」 という枕詞つきで呼ぶのは、個人的にはためらわれる。
なぜなら、彼が本書を書きあげたのは、「心がどこまでも自由」 だったからではなくて (最終的にそのような境地に達していたとしても)、本を書くしか選択肢がなかったからだろうと推測できるから。
自分で息もできない、排泄もできない、何もできない、常に集中介護が必要... そんな状態になったら、私なら死を選びたい。彼だって幾度もそう思っただろう。
現実的に考えてみよう。一生この状態で生き続けることで、家族にどれだけ辛い思いをさせるか。精神的な負担だけではない。莫大な経済的負担を強いる。
逆に、私が彼の家族なら? 動けなくてもコミュニケーションがとれるなら、ずっと一緒にいたい。でも苦しんでいるパートナーが死を選びたがっているなら、 「何が何でも生きて」 というのではなく、死を選ばせてあげたい。あるいは、この状態が 1 ~ 2 年のことならいい。そう遠くない将来に終わるとわかっているならいい。でもずっと続くなら私も自由を奪われてしまう。そのことから来る怒りが、いつか相手への愛情を超えてしまう日がくるかもしれない。そのことが恐ろしい。
だが現代社会では自分で死を選ぶことはタブーだ。だいいち、体の自由を奪われた彼には自殺という選択肢すらない。彼は 「生かされ」 てしまう。どんなに惨めでも辛くても 「生きなければならない」。そうした前提があっただろうことを思うと、かろやかな蝶のように自由な発想で書かれたこのエッセイ集を、簡単に 「感動の~」 などと呼べない。

この人のエッセイをもっと読みたいと思うと同時に、本書がフランスで発行された直後に彼が亡くなったということを知り、ほっとしてもいる私もいる。

2010年4月23日

読書状況 読み終わった [2010年4月23日]

隠れ家のアンネ・フランク一家を支援した女性ミープ・ヒースによる回想録。
「アンネの日記」 があってこその本書だが、個人的にはこちらのほうが読みやすく、おもしろく感じた。 語り手であるミープはもちろんだが、 「隠れ家」 の内外の 「大人たち」、とりわけアンネの父オットーの思慮深さ、人間的な魅力にひきつけられた。それはおそらく、私がアンネではなく当時のミープの年齢に近いせいだろう。
アンネをはじめとするフランク一家、当時の情勢がより立体的に見えてくる本。 「アンネの日記」 を読み終えたら次にぜひ読みたい一冊。

2010年4月22日

読書状況 読み終わった [2010年4月22日]

同著者の 「家庭の医学」 は好きだけど、この本はあんまり。
柴田さんの訳もいつもは嫌いではないけど (むしろ好きだけど)、この本の訳はもうひとつ。
いまや翻訳文学と映画字幕と歌詞の世界でしか生きていない芝居がかった台詞回しが、なんとなく気持ち悪い。これはエリザベス・ギルバートの 「巡礼者たち」 を読んだときとまったく同じ感想 (そういえば 「巡礼者たち」 の翻訳者さんは柴田さんの教え子さんですね)。
「~なのさ」 とか 「~なんだぜ」 とか 「~するっきゃないわ」 とか 「~だい?」 なんて言い回し、現代の話し言葉ではもう使われていないでしょう。だから、そういうのが会話の中で出てくるたびに 「ああ、これはウソだ。翻訳者がノリノリになって演じているだけなんだ」 と鼻白んでしまう。レズビアンの女性の口調もしかり。 「いかにも」 すぎて、私はダメだった。さらに、翻訳書で 「おぢさん」 なんて表記を目にしてしまうと、翻訳者の過剰な演技に一気に萎えてしまう。そのへんを 「これはそういうフレームの中で語られているんだから、それでいいの!」 と割り切って読めたら、純粋にストーリーを楽しめるんだろうけど。
しかしながら、残念なことにストーリー自体も好みではなかった。表題作 「私たちがやったこと」 と 「よき友」 は魅力ある作品ではあるけど、私は好きじゃない。 「ナポレオンの死」 は読みすすむのが苦痛だった。

2010年4月11日

読書状況 読み終わった [2010年4月11日]
カテゴリ 海外文学

「犬婿入り」や「ペルソナ」の奇妙な文体はやはり実験的なものだったのかもしれない。本作ではリズムのある読みやすい文体に変わって (戻って?) いる。
容疑者の夜行列車という絶妙な舞台装置のもと、くるくるとめぐる言葉と幻想の旅。
ストーリー自体はまったく違うけれどタブッキの 「インド夜想曲」 を思い出した。
タブッキ同様、何度でも読み返したくなる一冊。

2010年4月11日

読書状況 読み終わった [2010年4月11日]
カテゴリ 日本文学

思ったよりずっと読みやすい文体と内容で、一気に読了。
殺伐とした環境で人間としての尊厳が徹底的に傷つけられることにより、こんなにも人間性が破壊されてしまうのだということにショックを受けると同時に、外的な制約や拘束とは関係なく、極限状態でも「わたし」を見失わなかった人たちがいたということ (極限状態におかれてその影響に屈してしまうかどうかというのは、個々人が自分で決め、選ぶことができたのだということ) に光明を見た思いだった。
「人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ」
読みながら、戦争中に中国で虐殺を行った日本兵の証言を集めたドキュメンタリー映画 「日本鬼子 (りーべんくいず)」 を思い出した。人間は極限状態におかれたとき、平時では信じられないような異常な、人間性を欠いた、残虐な行為を見ても何も感じなくなってしまう。それだけではなく自身が同様の行為に手を染めることすら平気になってしまう。この映画を見たときにはそのことにショックを受けたものだったが、本当はそうではないのだ。環境の力に屈するかどうかは個人が選べる。人間であり続けられるかどうかは個人が選べるのだ。

2010年4月11日

読書状況 読み終わった [2010年4月11日]
カテゴリ 心理学

「ペルソナ」と芥川賞を受賞した「犬婿入り」の 2 篇。
まず気になったのはその文体。「ペルソナ」では「~のだった」という文末表現がくどいほどに繰り返され、「へんだ」と感じるほどなのだが、不思議とその不自然なリズムが心地よく、すらすら読めてしまう。一方の「犬婿入り」の文体も変わっている。なにしろ、1 文が異様に (と読者が感じざるを得ないほど) 長く、ときには 1 ページ以上もあるのだ。解説に著者のことばとして、「自分の母国語で書くときも、いわゆる上手い日本語、綺麗な日本語というのを崩して行きたい。つまり、二つの言語を器用にこなしている人になりたいんじゃないんです。また、一つを捨てて、もう一つに入ったんでもなくて、二つを持ち続けながら壊していくような、そういうようなことを一応、恥ずかしながらめざしているんです」という引用があるが、なるほど、そういう意味で実験的にこのような文体を使ったというなら理解できる (まだこの著者の作品はこれしか読んでいないので確信はないけれど)。
私は「ペルソナ」、「犬婿入り」のどちらも気に入ったが (より共感できる・わかりやすいのはドイツに留学している日本人女性の日本人であることに対する疎外感、日本人であることと自分自身であることの矛盾を描いた前者)、「生理的にダメだ、受け付けない」と思う人はいるかもしれない。でもそれは逆に考えると、「気持ち悪い」「がまんならない」と思わせるだけの何かが、この作品の中に存在するということでもある。

2010年4月11日

読書状況 読み終わった [2010年4月11日]
カテゴリ 日本文学

10 代のころ「アンネの日記」がきっかけで作家を志した小川洋子さんが、アンネゆかりの地を訪ねる旅日誌。最近「アンネの日記」を再読したばかりで興味を持っていたのと、小川さんのアンネへの思い入れの強さからくる筆の勢いにひっぱられて、表紙を開いてから最後まで一気に読み上げた。小川さんが移動中の電車の中や訪問先で子どもを見かけるたびに 「この子が隠れ家に住んだり収容所に送られたりすることがありませんように」 と祈りのことばを書き付けているのは、感傷的すぎてひとりの作家の表現としては抑制が効いていないと思うが、彼女がアンネを心の友にして思春期を過ごし、いま (旅行当時) アンネの母の年齢に達したひとりの女性であると考えると、十分にリアルなことばとして受け止められる。
小川さんは旅の中で「アンネの日記」に登場するジャクリーヌ・ファン・マールセンさん、ミープ・ヒースさんとも会っている。おふたりとも近年になってアンネの思い出を本にした。どちらも「アンネの日記」の深町さんが翻訳しているので、読んでみたいと思う。

2010年4月5日

読書状況 読み終わった [2010年4月5日]
カテゴリ 旅行記

原題は The Artist's Way。書くことを生業にしている著者の言葉に説得力があり、「スピリチュアル/自己啓発系の書籍は苦手」という人にも読みやすい。なんでもいい、"コミュニケーションしたい" ということ、それがアートなのだ、と言い切ったオノヨーコさんのことばを思い出した。各章のエクササイズは結構深く、自分の内面を見つめるのに良い。表現したい、コミュニケーションをしたいすべての人におすすめ。

この手の本は翻訳のレベルが低くて日本語が破綻していたり何が言いたいのかわからないことが多いが (たとえばベストセラー「クリエイティング・マネー」の日本語訳は本当にひどくてがっかりした!ニューエイジ系で「一応英語わかります」程度の素人ではなく、きちんとした翻訳者さんに翻訳してもらいたい)、この本にほれ込んで翻訳したという翻訳者・菅さんの日本語もすばらしい。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 書く

落語家の立川談春が 17 才で立川談志に入門してから真打昇進までの青春の日々をつづったエッセイ。軽妙で冴えた文体、談春がほれ込んだ師匠談志の人間としてのおもしろさにひかれて、落語に興味を持ったこともない私が一気に読了。もっと読みたいほどだった。談春含む前座 4 人衆のやりとりもおもしろく、声をあげて笑ってしまった箇所も。さすが噺家さん、話がうまい!見事な再現!
そもそもこの本を手に取ったのは、談春の師匠である談志が嫉妬について語ったことばにひかれたからだった。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬しているほうが楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」
人生にはこういう先達、師匠こそあらまほしきものだ。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]

癌で死にゆく母を看取るまでを淡々と書き付けた記録。原題は “Excerpts from a Family Medical dictionary”、すなわち「『家庭の医学』からの抜粋」。その名のとおり、各章のタイトルは『家庭の医学』の見出しのような、病気の症状から死にまつわる単語の事典的な定義になっている。
よくある闘病記のような感傷的・感情的な表現はどこにもなく、ただ静かに「死んでいくプロセス」を見守る著者。その筆致は静謐で美しくさえある。だがその背後にあったであろう個人的な苦しみ、動揺の体験を思うと (それらは本書には書かれていない) 喉の奥が痛むような感覚を覚えた。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 海外文学

私は読書が好きだが、読書以外にもしたいことがたくさんある。だから長編小説を読んでいて、「あ、ダメだ。文体が嫌いだ」「内容が薄いな、好きじゃないな」 と思ったら、その先はもう読まない。自分にとって重要でない本を読むのに費やす時間はない。
だが短編小説の場合はその見きわめが難しい。ある作品を読んで 「つまらない」 と思っても、「次の作品はおもしろいのではないか? ここで読むのをやめるのはもったいないのではないか? まだ読んでいない最後の 2 篇が、もしかしたら大好きな作品かもしれない」 というもうひとりの自分の声に誘惑されて、なかなか 「もうやめた!」 と踏ん切りをつけられないからだ。
この本についていえば、最初の 「巡礼者たち」 は好みではないけれどエネルギーがあって 「読ませる」 かんじ。「東へ向かうアリス」、「撃たれた鳥」、「トール・フォークス」、「あのばかな子たちを捕まえろ」、「デニー・ブラウンの知らなかったこと」 はそれなりにおもしろく、悪くない。でもその後の 「花の名前と女の子の名前」 と 「ブロンクス中央青果市場にて」 がなんとも退屈でどうしても読み続けることができなかった。バスルームに 2 週間置いてみたけれど、どうしてもこの本を手に取る気にならず、他の本を読んでしまう。このまま読み続けるのは苦痛でしかないので、もったいないけれど途中でリタイヤすることにした。
なにがダメなんだろうなあ。いまや翻訳小説か字幕の世界でしか生きていない古風なセリフまわし? 悪い作品ではないと思うんだけど、どうしても好きになれない。エリザベス・ギルバートは 「食べて、祈って、恋をして」 の評価も高いので読みたかったんだけどなあ。こんなに好みに合わないなんて残念。翻訳者が別の人ならひょっとして読めるかもしれないけど、当分彼女の作品は手にとりたくない。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 海外文学

残念!残念すぎる!
柴田さんの翻訳書は大好きだけど、翻訳者と作家は別物だ。彼が優れた翻訳者であったばっかりにこんな、小説としての出版価値には首を傾げざるを得ないような本を出すことになってしまって気の毒でたまらない (皮肉ではなく本当にそう思う)。
内田樹さんのブログの古い記事にこんな一節がある。
--
創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてはたいした仕事はできない。
これはほんとうである。
私自身がそうであるからよくわかる。
私もまた腐るほどたくさんの小説を読んできて、「これくらいのものなら、俺にだって書ける」と思ったことが何度もある。
そして、実際には「これくらいのもの」どころか、一頁さえ書き終えることができなかった。
銀色夏生さんは歌謡曲番組をTVで見て、「これくらいのものなら、私にだって書ける」と思って筆を執り、そのまま一気に100篇の歌詞を書いたそうである。
「作家的才能」というのはそういうものである。
努力とか勉強とかでどうこうなるものではない。
人間の種類が違うのである。
--
柴田さんが傲慢だとは思わないし、批評に傾いているとも思わない。
でも「俺にだってできる」と思ってもできないことってあるんだよねえ。
いや、残念ながら。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 日本文学
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翻訳はやや癖があるけれど 1920 年代生まれのティーネイジャーの言葉だと思えばそれなりにおもしろく、読みやすい。
だが 20 年前に読んだときほどには感銘を受けなかった。読みながら、自分が 10 代のときもこんなふうだったなと気恥ずかしい思いのほうが大きかった。それはたぶん、アンネが永遠に 15 才のままであるのに対し、私は 18 才になり、22 才になり、30 才になり、普通の大人になったからだと思う。
アンネ・フランクは特別ではない。どこにでもいる自意識過剰で理想に燃えるお年頃の少女で、それをほとばしるように日記に書き付けた。私も同じだった。書かずにいられなかった。書くことが自分が生きていることの証明だと思っていた。音楽に熱中する子、サッカーに熱中する子がいるように、書くことに熱中する子もいる。そんな子どもだった多くの人は 「アンネの日記」 を読んで自分の子ども時代、あるいは思春期を追体験するだろう。でもジャーナリストや作家として成功できるのは、「書きたい」 という願い続けた人たちの中のほんのひとにぎりだ。だからもしかしてアンネが収容所に行くことにならなかったら、生きて戦後を迎えていたら、彼女の日記はここまで読みつがれなかったのではないか、彼女はここまでアイコン化されなかったのではないかとも思う。運命の皮肉である。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]

うまい!短編の名手!この人の作品おいかけたい!
この短編集は「よく知っているはずの人」(夫、妻、恋人、同じアパートの住人等) の秘密を扱った作品が多い。秘密というか、知られなかった真実かな。意識して隠しているわけではないから。特に「セクシー」が気に入った。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 海外文学

嘘のような本当の話からなるエッセイ集。すごいおもしろかった。小説から偶然の要素を「陳腐だ」といって除いたらそれは真実から遠くなってしまう、真実のほうが実は偶然に満ちているのだ。
オースターいわく 「きっと僕は現実の成り立ち方ともいうべきものに心底魅了されているんだと思う。つまり物事が実はどうやって起きているのか。人生の出来事がどのように生じるのか。そしてこれは僕がいつも感じることなんだが、新聞やテレビでは、さらに小説でも、物事の真相がゆがめられているんじゃないか。現実が持っている、不思議で、意外な本質に、本当に向き合ってはいないんじゃないか」(柴田元幸「ナイン・インタビューズ」より)
ストーリーテラーだなと思う。日常の話や自分に起きた過去の話をここまでおもしろくできるなんて。

2010年4月4日

小川洋子、高校のころ大好きでむさぼり読んだものだったが、彼女が佐野元春ファンで、佐野元春がテーマになっている小説を書いたのを読んで幻滅、それから 10 年以上気持ちが離れていたのだった。
でもやっぱりすごい。おもしろい。文章もいい。
こんな文章が、ストーリーが、自分にも書けたらいいと思う。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 日本文学
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死の床についたフェルナンド・ペソアのもとへ暇乞いに訪れる彼の異名たち。
ペソアの作品が読みたくなった。翻訳もよかった。
ダブルスペースで 90 ページにも満たない薄い本なので、ちょっと買うのは躊躇するけど。

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ 海外文学

結局は母国語にひっぱられて外国語を使おうとしてしまうっていうことなんだろうな。母国語のフレームを外してしまえば案外外国語がすっと入ってくるというか。
定冠詞と不定冠詞、複数形の使い分け、使役動詞 make、let、have、get someone to の使い分け、日本語の「やさしい」を表す英語 gentle、kind、good、nice の使い分け などなど、エッセイとしておもしろかった。あとは、サリンジャーの作品を使った、欧米人 (あるいはキリスト教圏内で教育を受けた人々) は人間以外に存在する絶対的な Truth を信じている、というのがおもしろかったかな。日本人にはそういう前提がないから理解できないことがあるっていうか。これ日本語で書いているんだからすごいね。私にも外国語で同じことができるだろうか?

2010年4月4日

読書状況 読み終わった [2010年4月4日]
カテゴリ ことば
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