「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんできめなくてはならない」
先日とある方にオススメしていただいて急遽再読した『モモ』。
13、4歳の頃に読んだ時には、「随分と斬新な設定で、なんだか哲学的だ」くらいにしか思わなかったのに、成人して、日々に追われ、そして、人生に迷い気味の今の自分には、耳が痛いと同時に、ハッとさせられ、身につまされることのなんと多いこと。
ある日突然現れ、朽ち果てて廃墟となった円形劇場に住み着いた、言わば、浮浪児の少女「モモ」。
街の人たちは、自分たちも貧しいながらも、モモを受け入れ、面倒をみます。モモは、不思議な少女で、人の話を聞く才能に長けていて、街の人たちにとってなくてはならない存在となる。貧しいながらも、モモとの時間を共有しながら、穏やかな日々を過ごす人々。しかし、「時間泥棒」を働く灰色の男たちが現れたことで、街の人々の生活は一変し…。
今回この本を読んで、ものすごくいろいろなことを考えました。
例えば。
時間の概念とか感覚の曖昧さとか。
詐欺についてとか。
危機と混乱に陥った時の人間の残虐性さとか。
でも、何よりも一番強く考えたのは、豊かさってなんだろう?、ということ。
効率よい手順で、かつ、より長時間の労働をすれば、少なくとも、それをしないよりはお金を稼げる。より多くのお金があれば、より多くの欲しいものが買える。
家族や大事な人に渡せる「もの」も増える。
でも、それは、決して、心や身体が健やかで豊かであることと同義ではない。
「じぶんの時間」がなくなって、ただお腹を満たすだけの味気ない食事を取ってしまったり、睡眠や、自分の好きなものや大切なものに触れて心を満たす時間を減らしてしまって、肉体的にも精神的にも疲労を溜め込んだり。
結局は大事な人たちと過ごす時間が減って、ストレスと苛立ちが喧嘩の火種を作る可能性だってある。
それは結局、誰とも語り合えず、最終的に分かり合えない「孤独」を招くことだってある。
仕事をしている時はいかに短い時間で多くの作業をこなすか、食事を作る時もどうしたら時間をかけずに済むか…等等、毎日の生活の中で常に合理性を考えて、キリキリしてしまっている自分を、反省しました。
でも、残念ながら、きっと、それ、直らないのよね…。だって、私一人の力では、勤務時間も仕事量も、そして、こなす家事や雑用がある事実も変わらないんだもの…。
でも、少なくとも、自分の好きな人々や好きな物に接することを疎かにせず、できる限りの時間をかけることは、できるはず。
そこでバランスを取って、丁寧に日々を生きよう。
そう思えた物語でした。
この物語は、紹介いただいた方から、読む度に新しい発見があると教えていただいたので、また少し時間を置いて、読み直したいです。
- 感想投稿日 : 2018年5月27日
- 読了日 : 2018年5月27日
- 本棚登録日 : 2018年5月27日
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