江戸川乱歩の作品と、その舞台となった1920年代の東京とのかかわりについて考察している本です。
著者は、成熟した都市文化が花開いたことに着目し、そこで新たに生まれたさまざまな意匠が乱歩の探偵小説に取り入れられていることを明らかにしています。
「D坂の殺人事件」には、無為に喫茶店で時間つぶしをしている、語り手の「私」と明智小五郎が登場します。二人は、古本屋のおかみさんが殺される事件に遭遇し、推理比べをすることになるのですが、そこで「私」は、明智が犯人ではないかという推理を披露します。「私」は、明智と被害者が幼なじみだということを、推理の根拠として示したのです。
これに対して明智は、次のように反論します。「君は僕たちがどんなふうな幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べてみましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。また現に彼女を憎んでいるかどうか。君にはそれくらいのことが推察できなかったのですか」。こうした明智のことばは、幼なじみをうしなった悲しみの感情とはまったく無縁だと著者は指摘しています。そして、こうした希薄な人間関係が、「探偵小説」が生まれる社会的条件となっているといいます。狭い地域社会のなかでは、被害者と犯人の関係は明白です。これに対して大都市では、人びとの関係は不透明であり、それゆえ犯人の捜索には「分析的精神」が要求されることになります。そして、探偵小説の読者にも、作者が小説のなかにさりげなく織り込んだトリックや仕掛けに注意しながら読み進める「分析的精神」が求められることになります。
都市論的な観点から乱歩の小説に光をあてた評論として、興味深く読みました。
- 感想投稿日 : 2020年4月1日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2020年4月1日
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