対談 数学大明神 (ちくま学芸文庫 モ 6-6 Math&Science)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 84
感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (478ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093349

作品紹介・あらすじ

とめどなく繰り広げられた、数学にまつわる遊びゴコロあふれるかずかずの話題。「そうか、なるほど」と膝をたたいたあなたの"数楽"的センスはかなりのもの。「なぜ時計を10で区切らなかったのだろう」「10進法の素数と12進法の素数は同じ?」「‐∞に収束する足し算的大小感覚と0が極限の掛け算的大小感覚!」「七五調は休止符もいれて考えると2のn乗リズム?」「ピタゴラスの定理は3次元では面積(?)の2乗!」などなど。愉しいおしゃべりは、のちに井上ひさし、池内紀のおふたりも加わって「ちくま文学の"森"」となりました、とさ。

感想・レビュー・書評

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  • この世に数字があること自体がとてつもない奇跡のように感じられる謎の対談集。
    数学は何の役に立つのか、という問いを無効化するような、そもそもお前は数字のことを本当に分かってるのか、というさらなる問いを突きつける本。とはいえ、全然怖いものではない。

  • 森毅と安野光雅による、数と数学をめぐる対談を収めた本です。

    0から10までのそれぞれの数字についてのイメージを膨らませていくかたちで対談が進められていくのですが、ときに話題は文学や芸術、歴史にまで及び、まさに自在に広がっていくように感じられます。とくに森の対談の名手ぶりがいかんなく発揮されており、おもしろく読むことができました。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738094

  • 私は全然理数系ではないのだけれど、ちょっとこんな本を読んでみた。


    『対談 数学大明神』 森毅・安野光雅 (ちくま文庫)


    数学の先生と画家、この二人が、初めはちゃんと座っていたものの、「そのうち机にもたれるやら座椅子につかまるやら、はては畳の上にうち倒れてもまだしゃべり(あとがきより)」続けた30時間の数学対談である。

    「0」の章は面白い。
    前に宇宙の本で読んだが、「ない」ということが「ある」のか、「ある」ものが「ない」のか、「0」というのは不思議な数字だ。
    昔は「0」の概念はなくて「1」から始まっていたそうだが、その方が理にかなっている気がする。
    でも本当は「1」だって必要ないのだという。
    幼児の物の見方と同じで、物が一つだけしかなければ数える必要がない。みかんが一つあるとすると、それは「1」ではなくて「みかん」なのだ。
    「2」以上の数があるから便宜上「1」もあった方がいいということらしい。

    二進法の話もなかなか面白い。
    二進法だとかけ算の九九は、0×0=0、0×1=0、1×0=0、1×1=1の四つだけなので楽チンなのだそうだが、電話番号だと、(00100)0100001とかいうふうになってしまって余計ややこしい。
    安野さんが「オオイ、オイオイ…なんていって覚えるのか」と言っていたのがおかしい。

    「4」で面白かったのは、安野さんが四角形にこだわっているということ。
    四角の中に円があるのはとてもいいけれど、円の中に四角があるのを見ると、やめてくれ~!と叫びたくなるらしい。
    他の章でもしつこく四角が好きだと言いまくっている。
    三角形の話のところでも、「でも僕はやっぱり四角がいい」と。
    そういえば安野さんの絵って四角っぽい。
    四角の家に四角の窓、というのをよく見る。
    それと本の表紙を描く場合、私の知っている限りでは、みんな四角く縁取りをしている。
    なるほどそうなのかと納得。

    「5」はやっぱりペンタグラマ。
    安倍晴明のマークですね。
    ペンタグラマは非常に見事な形なのだそうで、それに比べると四角というのを辺の立場から見ると、いわゆる「完全四辺形」なのだという。
    森先生が図付きで解説してくれているが、よくわからない。

    それと、ぶっ飛んだのは「6」の章で、「みそ汁の模様は六角形」というやつ。
    うちのみそ汁ではまだ六角形を見たことがないので気になる。
    見えるタイミングというのがあるらしい。
    うーん…。

    さて問題です。
    正十二面体と正二十面体では、どちらが球に近いでしょう?
    普通に考えると、正二十面体の方がふっくらとしていて球に近そうな気がするが、答えは逆なのだ。
    正二十面体は正十二頂体で、正十二面体は正二十頂体だから、頂点の数が多いほうが球に近いのだそうだ。
    不思議だなぁ。
    手品のタネ明かしを聞いているみたい。

    “お勉強”ではなくこういうところから入ると、数学も楽しいのかも。

    「〇〇ってようわからんでしょ」
    「わからん」
    「〇〇を△△するともっとわからんわけですよ」
    「うーん、わからん」

    なんていう会話もあって、私みたいに数学が全然ダメな人も、脱力して読めて楽しい。

    とりあえず「みそ汁の六角形」の攻略だな。
    具だくさんだとわかりにくそうだけど…。
    明日は具のないみそ汁にしてみますか。

  • 数学は好きな教科ですが、ちょい付いて行けませんでした。

  • 系推薦図書 総合教育院
    【配架場所】 図・3F文庫新書 ちくま学芸文庫
    【OPACへのリンク】
    https://opac.lib.tut.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=189044

  • 解説:河合雅雄、エッセイ:亀井哲治郎

  • 数学にとどまらずいろんな話が載っていておもしろかったです!
    けれどちょっと古いんですね、知らずに買いました

  • 0から10までの数について語る。

  • 安野さん個展で買い、ちまちま読んでいた対談集。
    感性の上にある美術畑の人だけれど、理系思考という人は少なくはないと思うけれど、安野さんは特に数学分野との関わりが深い珍しい人だと思う。ただ理系思考というよりは数学自体に興味がとてもあるんだろうなと。そうじゃなけりゃまがりなりにもそれを本職とする数学者の人と30時間の対談デスマッチはできまい(笑)。

    一応「数学」と名のつく本であり、0の章から順に10までをテーマにしているものの、内容は何でもあり。10進法やピタゴラスの定理の話をしていたかと思えば呪いやリズムや百人一首まで、とにかく連想ゲーム。「あ、そういえば」なんて思いついたらそのまま話を続けてしまう自由さが面白い。
    計算式とかがでてくると俄然置いて行かれそうになったりもするけれど、図版が多いのでわかりやすく、それにしてもこの人達1つの数字からよくもまぁこんなにいろんなこと考えつくものだと。

    何事もはっきりしているような数学の世界だけれど、結構数学分野の人でも感覚的というか、美術分野の対極に居るようでいて感覚的な部分は実はすごく似ている人種が多いような気がするのは、やっぱりひらめきが必要だからというのもあるのか。そう考えるとどの分野もひらめきは重要だろうし、想像力というのは何に置いても必要なんだよなと再認識。

    この本の全体的なスタンスが、感覚的に数学を見ている部分が多く、「●角形はこの向きのが好き」とか「この図形は華麗」とか「これはしっくりくるけどこっちは落ち着かない」とか言われると「わかる」とか「自分はこれのが好きだ」とか共感出来て楽しい。

    この中でも所々に語られているけれど「ルーズさの効用」が活きていて、そのルーズさでできる余白が柔軟な発想生むのだろうなと。二進法で電話番号を平面図にしたらカッコイイ模様の番号とかもできるとか面白くてワクワクする。

    たかが対談集とあなどるなかれ、この中に膨大な空想力と広大な世界を感じる。ひとつひとつは書ききれない程多様な事が、畏まらずに旅館に寝そべって語られているので、自分の思考が固まってきたなと思った時に読み返すと、思考回路の空気の入れ替えが出来そうな気がする。

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著者プロフィール

1928年東京生まれ。数学者。東京大学数学科を卒業。京都大学教養部で教鞭を執り、民間の数学教育運動にも参画した。京都大学名誉教授。数学科関係の主な著書として『数学の歴史』(講談社学術文庫)、『微積分の意味』(日本評論社)、エッセイ・自伝に『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫)『自由を生きる』(東京新聞出版局)ほか多数。2010年7月逝去。

「2021年 『悩んでなんぼの青春よ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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