墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上) (岩波現代文庫)

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土橋俊寛さん  未設定  読み終わった 

文化大革命とはいったい何だったのか――内モンゴルに住むモンゴル族の視点からこの問いに答えたのが本書である。その答えをひと言で表せば、文化大革命とは虐殺だった。内モンゴル生まれの著者による本書は、文化大革命とその前後の政治弾圧を生き延びた当事者たちの証言にもとづく、内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録だ。上下2冊に分かれた本書は4部構成で、上巻はそのうちの第1部と第2部が収められている。

文化大革命ではモンゴル人の大量虐殺が中国共産党の主導でおこなわれた(304ページ)。そもそも文化大革命は内モンゴルから始まったのだというが、それはどうしてなのか。遊牧民族を営むモンゴル人と農耕生活を営む漢人の間にはそもそも「文明の衝突」(23ページ)があった。また、モンゴル人には対日協力という過去の罪があった。中ソ対立が深まるなかで、修正主義国家(ソ連とモンゴル人民共和国)と陸続きの内モンゴルは戦略的に重要な場所であり、信用ならないモンゴル族がその地を占めているのは中国共産党にとって都合が悪かった(280ページ)。中国共産党にとってモンゴル人の虐殺は当然の成り行きだったのだろう。

内モンゴル自治区の最高司令官だったウラーンフー(雲澤)がたどった運命は、当時の内モンゴルの情勢を理解するうえでとても示唆的だ。ソ連への留学経験も持つウラーンフーは正真正銘の共産主義者で、漢族の共産党幹部による教唆もあって、内モンゴル東部の知識人たち(「日本刀をぶら下げた連中」)を打倒した。ところが後に、ウラーンフーは自分自身が「前門飯店会議」でつるし上げられて失脚する。中国共産党は後に、ウラーンフーを含む内モンゴル西部の「根元から紅い延安派」と東部の「日本刀をぶら下げた連中」の対立が大量殺戮の原因だったと主張した。第1部と第2部は主に、「日本刀をぶら下げた連中」とその子供たちの証言を中心に、当時、内モンゴルで起こったことがまとめられている。

「前門飯店会議」ではウラーンフーの犯した「罪」が長々と述べ立てられたが、過去の罪をあばくのは中国共産党にとって造作もないことだった。かつて共産党に称賛されたことが後には同じ共産党によって非難される。こうした「過去の清算」(35ページ)は典型的なやり方だった。過去を自由に作り変えられるのは真の権力者の特権で、中国共産党のやり方はジョージ・オーウェルの『1984年』を思い起こさせる。また、事前に落とし穴を用意しておくことも頻繁にあったようで、政治的謀略の多用こそが中国共産党の政策的な特徴だったらしい(254ページ)。

読んでいて興味深かったのは、中国共産党とナチスとの親和性だ。「人間をリボンで色分けする」(327ページ)政策がその一例である。ナチスがユダヤ人を見分けるために「ダビデの星」の腕章を導入したことは有名だが、中国共産党はリボンを使って人々の「階級」を見分けられるようにした。第二次世界大戦後にナチスドイツが法廷で裁かれたあとの出来事であることを思うと、文化大革命を主導した中国共産党がいまだに国を率いているのはなんとも不思議に感じられる。

習近平がウイグル族への弾圧について「一切容赦するな」と指示していたことがニューヨークタイムズで報じられたことは記憶に新しい(NYT Online, November 16, 2019)。中国政府は「敏感な問題に関する文書の公開」に対して憤りを示したらしいが(CNN, “Beijing denounces New York Times' decision to publish leaked Xinjiang documents,” November 19, 2019)、怒る権利があるのは弾圧されているウイグル族のはずで、中国が憤りは筋違いだろう。文化大革命には少数民族に中国文化を強制する文化的ジェノサイドの側面があった(81ページ)。中国共産党による支配が続く限り、「文化大革命」は終わらないのかもしれない。本書を読んで暗澹たる思いを感じた。

レビュー投稿日
2020年1月4日
読了日
2019年12月21日
本棚登録日
2019年12月21日
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