読み手を試すかのような、苦い苦い独白と
今の自分の年齢で、音楽と哲学を真に理解しているのは
「高貴な人間」である自分くらいだ、と信じて疑わない主人公サトルの自意識過剰ぶりに
音大受験の頃の自分や友人が重なったり重ならなかったりして
アナフィラキシーショックを起こしそうだったプロローグと第一章。
珍しく読むのを中断して、いったん本を寝かしておこうかなと思ったけれど
親戚のほとんどが芸大卒という音楽一家に育ったサトルが
当然受かるとタカをくくっていたチェロでの芸高受験に失敗し、
祖父が創設した私立音楽高校を受験する第二章から、俄然面白くなってきて。。。
好きになった子とお近づきになるために、意を決して室内楽のトリオに誘ったり
どうがんばってもメンバーの足りない学内オケのために
専攻楽器とは別にやったこともない楽器を副科で選ばされて泣く子が出たり、と
あまりにも懐かしい音高の風景がリアルに描かれています。
完全なソリストタイプで鼻持ちならなかったサトルが、
メンバーの腕を信頼した上で、お互いに火花を散らすように音で競り合う「協奏」にも
全員が一滴の水となって美しい湖を構成するかのように
抑制しつつ大きなハーモニーを作り上げる「合奏」にも
震えるような感動を抱けるようになっていく様子に、ほっと胸を撫で下ろしたりして。
ホーム・コンサートでそんなサトルの成長を目の当たりにしながら
賞賛の言葉を一切かけなかった祖父が
その時アドリブで弾いてくれたバッハのコラール605と615のタイトルが
「かくも喜びあふれる日」、「汝のうちに喜びあり」 であったことを
20年ちかく経ってからサトルが知るシーンに涙して
「あらゆるものが音楽だ」と高揚するサトルが、やっとかわいらしく見えてくる第1巻。
- 感想投稿日 : 2012年8月8日
- 読了日 : 2012年8月7日
- 本棚登録日 : 2012年8月8日
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