主にイスラエル建国後のイ・パ和平案の模索と挫折の歴史を追い、
とりわけ93年和平(マドリッド会議〜オスロ合意〜キャンプ・デービッド)の内実を詳細に書く。
著者は早くからイスラエル(パレスチナ)渡った人物で、フォト・ジャーナリスト。
基本的に、パレスチナ側にシンパセティックな立場をとっている。
もっと言えば、マツペンという、70年代に分割をとらず一国内二民族共存を主張した反シオニストグループの参加者であるようだ。よって、ガザ・西岸の分割を決めたオスロ合意は高く評価しない。
一応将来への希望が開けたといいつつも、著者が悲観的だったのは隠せていない。
著者の分析によれば、93年和平をもたらした要因は以下である。
1価値観の変化
イスラエル人が物質的豊かさを求め始めた。そのため、ガザ・西岸を占領し続ける意味や、国のために犠牲を強いるシオニズムの精神が理解されにくくなってきた。
この変化にうまく応じたのが、経済から和平へのアプローチを考えたペレスであった。
2人口問題
ユダヤ人とパレスチナ人の現在の出生率からみて、占領地を除いても、ユダヤ人の人口比率が50%を切る恐れがあり、ガザ・西岸を含めば事はいっそう深刻である。建国の精神に照らせば、イスラエルの多数派は常にユダヤ人でなければならない。
3ハマスをはじめとするイスラム原理主義の脅威
(「強いPLOは困るが、弱すぎてもまずかった。イスラム復興運動を封じ込めるためのPLO活用は、この地域を管理したいアメリカと、イスラエルの利害が一致した点だった」)
イ・パどちらにも選択の余地はほとんどなかったし、とりわけPLOは筆者がはがゆく思うほどの譲歩をしたとしている。譲歩とはたとえば、インティファーダをはじめとするレジスタンス行為を「テロ行為」と認めたことである。
一方、ハマスについては「民衆の欲求に即した行動をとっているよう」であり、ハマスが過激な攻撃に出るのは、「人々が和平に幻滅したときや、イスラエルが約束を守らなかったり」する場合だと述べている。
本書が書かれた15年前と、ここ2〜3年の動きとの間に何があったのか、さらに勉強しなければわからない。ただ、93年に両サイドが譲歩してまで、PLOが正式なパレスチナ代表と認められたのに、現在その意義が低下しているのは確かだ。イスラエルは今度はハマスとの交渉を拒み続けている。ついこの4月のことだ。
多くのインタビューが盛り込まれているのも本書の特徴。
パレスチナ人、ユダヤ人といっても、それぞれ一枚岩ではないことがよくわかる。
ラビン暗殺より前の本だが、ラビン(とアラファト)に対しては複数の立場から憎悪と失望があったようで、どこから弾が飛んできてもおかしくなかったのだな、と初めて理解した。
(事実、私はてっきりパレスチナ側の犯行と思っていたが、実際には右派ユダヤ人によるもの)
『離散しているユダヤ人に大きな災難みたいなものが起こればいいの。迫害でもいいわ。そうすれば、みんなここへ帰ってくるわ。・・・私は平和があるなんて信じてないの。非ユダヤ人は永遠にイスラエルを憎み続けるのよ(入植地のユダヤ人)』
その絶望の深さと、拒絶の激しさは衝撃だった。
シオニズムは、私の想像をはるか超えたところにあって、しかも変質し始めているらしい。
- 感想投稿日 : 2008年5月18日
- 読了日 : 2008年5月18日
- 本棚登録日 : 2008年5月18日
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