欧米の家族には情報時代に対抗できる同質の言葉がある。彼らはこれまでもそれをフルに活用して家族を成り立たせてきた。彼らの住まいには公的空間がある。それは突き詰めるとイエス、ノーのはっきりした言葉の空間なんだ。 日本の居間には言葉がない。ただ気配があるだけなんだ。悲しいことに気配は情報時代の新しい言葉には全く無力なんですよ 個を確立するということは、言葉を獲得し自己認識を確立するということである。それは他者に自己を表現し、他者の存在を認識する手だてとなる。私たちは、その意味で個を確立しているだろうか 情報とは言葉であり、そしてその言葉はソリッドである。曖昧さを徹底的に排する。いま政治、行政、企業といった分野で同時に発生している遅滞や混乱は、情報時代の到来と強く関連づけられる。それはすなわち言葉の時代である。行政と政治とは言葉の集積と処理にほかならない。学校、地域も言葉の時代に対処できないでいる。学校の言葉は世界化した情報時代の言葉でなく、旧時代のいわば気配の言葉である。気配の言葉と情報の言葉とのギャップが開けば開くほど、学校は数値という近代主義の衣を厚くして、ほころびを隠そうとしている。
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- 感想投稿日 : 2009年1月15日
- 本棚登録日 : 2009年1月15日
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