90年前、今自分が住んでいる東京でこんなことがあったんだ、で片づけられない出来事がある。
私自身は東京から遠く離れた地方で生まれ育ち、身近な事件として大人から聞かされたことはない。関東大震災時、朝鮮人虐殺という事実があったことを知識としては知っていた。でも本書によって歴史の大鉈を振って語られるのではない路上の証言を元に、虐殺の事実を知ること以上に「感じる」こととなった。
差別意識が産んだ恐怖の伝播による虐殺。それは90年前の昔の出来事だけではない。1994年のルワンダの虐殺や、2005年アメリカのハリケーン・カトリーナの災害時、ニューオーリンズでも武装した白人が非白人を銃撃したのは記憶に新しい。対岸の火事、ではないのである。
本書で一番納得できた箇所は、この虐殺の渦中にあっても、逃げてきた朝鮮人を自ら命を張って匿い助けた日本人がいたことを、「美談」で落とし込んでいてはいけないという著者の指摘だ。虐殺に回った側と助けた側との差は「共感」の有無なのである。記号としての「日本人」と「朝鮮人」を語るのではなく、『90年前の東京の路上に確かに存在した人々のことを少しでも近くに感じる作業』(本文引用)が、今の日本人には必要なことなのかも知れない。
「共感」こそが、人間を非人間化しない、唯一の手段でもあるのだ。
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- 感想投稿日 : 2014年12月17日
- 読了日 : 2014年12月17日
- 本棚登録日 : 2014年12月17日
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