虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

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本棚登録 : 1905
レビュー : 227
頭カラさん エッセイ   読み終わった 

どうにも賛成はできないんですね。少なくとも宮崎監督が自覚している通り、人間は移り変わるものだし、世界だって移り変わっていくもので、私には、これはある種の不適応なのではないか、と思えてしまったといいますか。

自然の中で人々は生きているし、同時に、人の営みの中でも人は生きていて、自然といったって宮崎監督ご自身がおっしゃるとおり、完全な自然の中にいて平気な人間などいない。人間のいう自然というのはせいぜいその程度の自然でしかないことはよく解っておられる方々だと思います。そんな中にあって、スペインですらシエスタの習慣を失いつつある中、日本だけこの方向に舵を切れるわけもないし、仮に舵を切ったところで、それはそれで別の懐古趣味が蔓延ってくると思うのですよね。あらゆるハイテク技術に囲まれた社会へのノスタルジーが生まれてくるのではないか。

SF作品もハイテク社会に警鐘を鳴らしますし、一方の宮崎アニメもそういうところがあるわけですが、そういう社会への恐怖を「過去へ戻れ、田舎へ帰れ」という方向で打ち消そうとするのは何にもならないのではないか、と思えてしまうのです。もう帰れない場所へ帰れといったって帰れないし、それを再現しようとしたって、まったく同じものは再現できないし、やっぱり共存を前提にしていくしかできないし、何のために共存していくのかと言われて、たとえば人間性の回復だのなんだの言われて、それに素直に頷けるだろうか、と思えてしまうのです。人間性は環境によって与えられるものだったか、と思いますし、言葉にできないけれども確かにそういうものがある、というのは、私にはどうしても逃げに思える。言葉にできないのは語彙力だの文章力だのの問題であって、その壁によって言葉にできていないだけで、何かの観測技法を使えば観測できてしまうかもしれない。観測できて初めて、実は同じだと思われていたAさんの考える人間性とBさんの考える人間性とは異なっていることが判明して、人間性の定義を再考する必要がでてきたぞ、となるのかもしれないし、私にはそれが間違っているとは思えない。神秘的なものを残しておきたい、情緒を残しておきたい気持ちはわかる、けれども、そういう気持ちの有無とは別に、明らかにしうるものもあって、そこに夢を見る見ないは各人の自由だろう、と私は思ってしまうのですね。ご両人から見ればつまらない人間でしょうが、私はやっぱり、ノスタルジーはノスタルジーでしかないと思ってしまう。適応の問題だと思ってしまう。懐古しつつ共存するしかないじゃない、などというのは、最適解ではない気がするのですよね。

あとね、これは余談ですが、宮崎監督の表紙や幼稚園の構想図なんかは宮崎テイスト全開で、まあこの監督ならさもありなん、と思いながら眺めるのですが、文庫の裏表紙に書かれた本の中身の要約が荒っぽい。「前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く」て。誰ですかこれ書いた人は。まとめるのに困ってとりあえず万能ワードを万能雰囲気の中にぶちこんでおきました系の要約じゃないですか! もっと! 読み応えのある要約を! 読みたかった!

レビュー投稿日
2016年6月15日
読了日
2016年6月15日
本棚登録日
2016年6月15日
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