いつものとおり語り手は少年、このお話もまことに奇想天外!
叔父のメダルド子爵は、戦争で砲弾を浴びてまっぷたつに飛び散ってしまいます。なにかをどうにかして、叔父の右半身は故国に戻ってきます。でも人が変わったように悲惨な悪行の数々……ほどなくすると、叔父の左半身が故国に戻ってくるのですが、こんどは彼の息詰まるような美徳の数々……。
「……ぼくたちの感情はしだいに色あせて、にぶくなっていった。そして非人間的な悪徳と、同じくらいに非人間的な美徳とのあいだで、自分たちが引き裂かれてしまったことを、ぼくたちは思い知っていった」
「この世のすべての人が、そしてすべての生き物が、それぞれが不完全であることのつらさに気づいてさえくれれば。かつて、完全な姿をしていたときには、わたしもそれがわからなかった。そしていたるところにばらまかれた傷や苦しみに気づかずに私は平気で歩き回っていた。完全な姿のものには、なかなか信じがたいのだ。パメーラ、わたしだけではないのだよ。引き裂かれた存在は。あなたもそしてすべてのものがそうなのだ。いまにしてようやく、わたしはかつて完全な姿のときには知らなかった連帯の感覚をもっている。それはこの世のすべての半端な存在と、すべての欠如した存在とに対する連帯感だ……」
***
第二次世界大戦末期(1943年~45年)、ドイツ軍のイタリア占領がはじまります。イタリアでは、祖国解放をめざすパルチザンと、ドイツ軍を後ろ盾とする勢力が激しい国内戦を展開し、若きカルヴィーノはパルチザンに参戦しました。
きっと……祖国をかけて同じ国の人々が相争っているうちに、人々の心はしだいに引き裂かれて石化して、互いの悪徳を唾棄して憎しみ、互いの正義と美徳に自己陶酔し、結局、人は何を得ようというのか? 果たして誰が悪いのか? たぶん誰も悪くない……それなら、人は一体なんのために闘い、その命を賭すのか?
さて、メダルド叔父の善半と悪半の決闘では、
「左右の剣客は……丁々発止とわたりあった。が、剣尖は相手の体に触れなかった。突きを入れるたびに、刃はあやまたずに相手のひらめくマントに差し込まれるが、どういうわけか、それぞれに相手の何もない側を、すなわち、おのれ自身があるはずの側を激しく突き立てるのだった」
いや~寓話でここまで昇華させるとは凄いですね♪ 知性のペシミズムであり、意志のオプティミズムという感じがします。
- 感想投稿日 : 2017年1月29日
- 本棚登録日 : 2017年1月27日
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