自由と社会的抑圧 (岩波文庫 青 690-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003369012

作品紹介・あらすじ

近代社会の構造的な不正と抑圧の原因とはなにか、そして人間が自由であるための条件とは。本書は、行動と思索の人シモーヌ・ヴェイユ(1909‐43)初期の代表作である。全体主義・マルクス主義をともに批判の俎上にあげつつ自由な社会を希求する誠実で真摯なその考察は、いまなお色褪せることない現代社会の指針となろう。

感想・レビュー・書評

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  • シモーヌ・ヴェイユ、25歳の時の論考とのこと。
    本論が執筆された1934年はイタリアではムッソリーニ、ドイツではヒトラー、ソ連ではスターリンが政権を掌握し、スペインでは内乱が勃発するなど、国家全体主義、独裁政治が世界を覆いつつある時代であった。そのような時代において、マルクスの作り上げた理論が非現実的なものと見てとったシモーヌ・ヴェイユの、その若さならではの情熱や積み上げた知性の全てをつぎ込んだ論考であるといえる。
    ただ、その若さが全面に出過ぎているきらいもあり、そこかしこにシニカルな文章が見られたり、若さに似合わずモノの見方が非常に現実的で辛い論理を展開しているかと思いきや、試論という形で理想を語るような矛盾があるなど、情熱と理論の整合性がいまひとつ制御できていない面もあると思われる。

    まず本書はマルクス主義の批判から始まる。なぜ生産力が無制限に発展していくことを前提に革命構想を描くのか、そのような発展が確実であると論証してはいないではないか、また発展による労働の解放が国家的抑圧をも消失させると考えるのも根拠がまるでない、と徹底的に指弾する。そして、生産段階のさまざまなレベルで特権が存在し特権が権力となり抑圧を発生させるとした上で、権力を支配者と被支配者の関係で分析し、権力の限定/限界は必ず存在して、それに達するや反作用を生み出すが、それは抑圧の解放ではなく新たな権力を生み出すだけだとして、目前の権力の打倒は抑圧の解放には結びつかないとする。
    そしてマルクス主義の理論を土台に彼女なりの理論を展開し、夢のエネルギー源などは存在せず、また、労働の自動化がある程度実現するにせよ、いづれ到達する調整費等の増大により決して労働力は軽減されず、社会的な抑圧は解消されない。その抑圧に対抗するには、「自由な人びとのあいだを自由に流れていく生、過酷で危険だが友愛にみちた環境のなかで遂行される身体的労役で覆いつくされた生」をめざすべきとした上で、熟練職人のごとく自らの思考と理性を働かせて労働に従事すべし、と説くのである。すなわち、「集団(=組織とその権力)に個人が従属することの抵抗は、まずみずからの運命を歴史の奔流にしたがわせることへの拒否」る決意からはじまり、そのことにより精神と宇宙(=自然)との原初的な結びつきをやり直すことができるだと。

    振り返って自分も社会人に成りたての頃は、シモーヌ・ヴェイユのような大義や理論はないものの、「自由な労働とは」をテーマに漠然とこのようなことも考えていたような気がする。
    しかし、年月を経て仕事量のあまりの多さに仕事に流され、毎度の思考を止めにして、ルーチン作業に身を任すようなこともしばしばとなってしまっている。そのくらい、自由を獲得するための毎度の思考は精神的な負担が大きいものなのだ。その意味で、シモーヌ・ヴェイユの考えた生産現場の理想(あるいは時代的な差異もあるだろうが)に耐え得る人間などそうそういるものではないようにも思えてくる。
    本書を真正面から受け止めて読んでいると、その取り組みとは裏腹に、かくも社会的な抑圧から自由になることのハードルの高さを逆に実感した次第である。(笑)
    ただ、彼女が格調高く情熱的に訴える社会的抑圧に対する「自由」への希求は、これからも常にわれわれに真摯に問いかけてくるテーマであるといえるだろう。

  • まず、25歳にしてこれだけの論考ができることに驚いた。
    ヴェイユがこの哲学論文を書いた1934年という、ヨーロッパが国民国家とファシズムと社会主義によって二度の大戦の狭間で撹拌された時代背景を念頭に置きつつ読み進めると、やや皮肉に寄った修辞を含みつつも、そのマルクス批判の鋭さや抑圧の発生と作用への考察、自由を規定し得る要素への眼差し、などどれもヴェイユ自身と当時の社会にとって切実なものであることが感じ取れた。
    ヴェイユの考える抑圧に満ちた人間社会は、人々に不幸と理不尽をもたらすものでしかないように思えてくるが、その処方箋は、理性(思考と行為の繋がり)に裏付けられた自由を各個人が持ち、その間を生が自由として流れるようにし、自然的且つ過酷な環境下で友愛に満ちた関係性の中で身体的労役で覆い尽くすことであるというふうに示されており、若くしてヴェイユのある意味で厳しい労働観が、あるべき自由な社会に繋がるものとして構想されているように思う。ただ、そういう展望の人生はしんどいなぁとぬるいことを思わずにはいられない。

    冒頭に掲げられたスピノザとマルクス・アウレリウス(共に僕の好きな哲人だ)の引用が、この頃のヴェイユの根本的価値観に通底するように感じられたことには、ある種の嬉しさを覚えた。それは、汎神論とギリシャ哲学を繋ぐパスが、ヴェイユの考える労働の哲学が厳密に科学たり得るための有意義なツールとして垣間見える気がしたからだ。

  • 社会を区分けしてみたり、かなり断定的な物言いをしてみたりが気になる。
    そして何よりもネガティブ。
    知性と教養が世の中の歪みや欠点の認識だけに向かってしまうという悲しさというか…。
    とても広く大きな視点があるにも拘らず、現実の前では狭い選択肢や諦観の中に埋もれてしまう感じ。
    世に出ることなく人生を終えなければまた違っていたのだろうか…。
    暗い社会でなかったならばとも思う。
    いつの世にもどこにでも良心はある。
    でも悲観で終わっては悲しいだけ。

  • 【由来】
    ・大学の図書館で目についた。「根をもつこと」と一緒にどんなもんかと。

    【期待したもの】


    【要約】


    【ノート】
    ・ヴェイユはまだ自分のスコープじゃないみたい。難しいし、「読んでやろう!」って気持ちになれなかった。

    【目次】

  • フランスを代表する思想家ヴェイユによるマルクス主義批判。若書きゆえの荒削りな部分はあるものの、批判内容はとても説得力があり興味深く読めた。機会があれば、他の著作も読んでみたいと思う。

  • 大学で専門の講義を受けて以来ヴェイユは個人的に好きです。ただ、結構読みにくい。『自由と社会的抑圧』はまだ読みやすいかなと思ってました。

    そんなことなくてやっぱり読みにくかったんですけれど。本文読むより解説の方が分かりやすかったんですけど。

    しかも、話の筋が見えづらく、話の飛び方も突飛。内容にしたって難しく言っているようで浮ついている感がします。「労働」という言葉一つとっても、実際働いた時の実感みたいなものより、「あたしの考えた労働ってやつ(?)」という感じ、より正確に言えば、「マルクスの本のタームで出て来る『労働』」という把握を超えていない。
    有り体に言えば、単に哲学科出の、左翼運動に熱心な、若者が書いた文章だってはっきり分る文章。いやむしろ、翻訳の序の部分だけ一字一句抜き取って、ヴェイユの名前は伏せた上で何も知らない日本人に、「これ、最近出て来た左翼系の若手新人が書いた文章なんだけど」って言って渡せばそのまま通っちゃうかもしれない、そんな文章です。

    いや、学校出たばっかの当時25歳(今の私と同い年!)、工場で「働く前に書いた文章」ですから。青いっちゃあ、青いんですよ。そう言っちゃうと、身も蓋もないじゃないですか。ヴェイユの偉いと思うのは、哲学科を出て「労働の哲学」とも言えるこの労作を書き上げた後で、ちゃんと「労働の現場」に出て自らの考えを試したことです。観念で終わらせずに身を持って検証したのね。後の作品を考えれば、工場という「労働を考える上でのフィールドワークに出た」とも言えますが。

    この時この段階のヴェイユの思想については何とも言えません。エネルギー問題の話なんか、ともすればそっくりそのまま現代の脱原発論者がデジャビュしちゃったんですが。とはいえ、わりかし分量を多く割いて書かれているのは「マルクス主義批判」です。マルクスの著作をまだ読めてないので私はそうなのかー、としかまだ反応できかねます。マルクス主義批判がスタートになっていると考えれば、ヴェイユの思想の全体像を知る手がかりにはなるかな、と思った程度。

  • 『重力と恩寵』『工場日記』で断片的なノートを読んだので、次は纏まった著作を読みたいと思って購入。
    当時の社会情勢と、ヴェイユが何を考え、何を理想としたのかが興味深い論文だった。運動家として書かれたものだと思うが、やっぱりイメージとしては哲学者っぽいなぁ……。

  • マルクス批判が出てくる辺り、読んでいて小気味いい。
    言われてみればそうに決まってるアタリマエのことというのを書いている本というのは読めば簡単だが、書こうと思うと思いつかず、難しいものだ。
    読んでいるとちょこちょこ女性が書いたんだなぁと思うような暴力に対する嫌悪が見え隠れする。

  • マルクスだったり社会主義を批判しつつも、ヴェイユは平等をこの本で強く訴えるように感じかなぁ・・・!まだヴェイユのことはよく分からないし、批判の対象になったマルクスのこともよく分からないけど、漠然とヴェイユは好きかも!

  • 2012/11/11購入

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著者プロフィール

(Simone Weil)
1909年、パリに生まれ、43年、英・アシュフォードで没する。ユダヤ系フランス人の哲学者・神秘家。アランに学び、高等師範学校卒業後、高等学校(リセ)の哲学教師として働く一方、労働運動に深く関与しその省察を著す。二度転任。34─35年、「個人的な研究休暇」と称した一女工として工場で働く「工場生活の経験」をする。三度目の転任。36年、スペイン市民戦争に参加し炊事場で火傷を負う。40─42年、マルセイユ滞在中に夥しい草稿を著す。42年、家族とともにニューヨークに渡るものの単独でロンドンに潜航。43年、「自由フランス」のための文書『根をもつこと』を執筆中に自室で倒れ、肺結核を併発。サナトリウムに入院するも十分な栄養をとらずに死去。47年、ギュスターヴ・ティボンによって11冊のノートから編纂された『重力と恩寵』がベストセラーになる。ヴェイユの魂に心酔したアルベール・カミュの編集により、49年からガリマール社の希望叢書として次々に著作が出版される。

「2011年 『前キリスト教的直観 甦るギリシア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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