陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2016年7月28日発売)
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"われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。これは簡単な技巧のようであって、実は中々容易ではない。(略)分けても私は、書院の障子のしろじろとしたほの明るさには、ついその前に立ち止まって時の移るのを忘れるのである。(p.36)"

 谷崎潤一郎による随筆5編を集録したもの。類書は各出版社から出されているが、解説で筒井康隆が述べている通り、この新潮文庫版の特徴は『陰翳礼讃』と『文章読本』が一冊にまとめられていることだろう。

『陰翳礼讃』
 日本の伝統文化にある美を陰翳という視点から読み解く。谷崎によれば、概して日本人は、何でもハッキリ見せるのではなく、全体を仄暗く曖昧に留めることを尊ぶのだという。日本座敷や能舞台、漆器の美しさはそれである。"漆器の肌は、(略)幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか(略)、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明から蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。(p.26)" 出典が分からないのだが、英国経験主義について論じた文章で”The mere fact of being able to do a number of things seems to him to indicate a probable incapacity for doing any one of them well.”というのを読んだ。もちろんそれとは文脈が異なるが、特に西洋文化と対比させたときに、決して底を見せない「深さ」に日本文化の美(=”禅味(p.28)“)がある。僕はテレビでしか見たことがないが、例えばパリの美術館では自然光の下で作品を展示しているのに対し、日本の美術館の展示室は暗いことが多いのは、勿論作品の保存のためという実際的な理由もあるのだろうが、西洋と日本の美が前提としているものの相違がよく表れているように思う。
 冒頭に引いた日本座敷に関する文章を読んだとき、『夢十夜』(夏目漱石)の第一夜を連想した。確かに、日本座敷の仄暗さあるいは仄明るさの中には、知らない間に百年経っていてもおかしくないと思わせる、悠久の時の流れのようなものがあるように感じる(逆に、一片の闇さえ排除された白い部屋にあるのは、静止した時間だろうか)。
 ただ、日本人の肌が黄色いのを"損(p.63)"と書いたのはよく分からない。肌の色が違えば美意識も異なるものであり得るのだから、態々白色人種と比較して卑下する必要はないだろう。当時と今とでは状況が違うのは理解できるが、何故こんなことを書いたのか首を傾げざるを得ない。
 上述の通り少し疑問に思うところはあるのだが、谷崎の指摘自体は鋭いと思う。それに加えて、文章がとても素晴らしい(特に、p.22~37辺りはほんとに名文)。
『厠のいろいろ』
 厠(トイレ)を題材にしたユニークな随筆。なんとも長閑な感じ。
『文房具漫談』
 執筆のときに使う文房具についての拘り。
『岡本にて』
 随筆の内容とは全然関係がないが、通っていた高校からすぐ行けるところに谷崎潤一郎記念館があったのを思い出した。なんで一回も行かなかったんだろう…
『文章読本』
 含蓄のある日本語を書く心得について様々な項目を立てて詳述されているが、繰り返し述べられている要諦は「分かりやすく、かつ、饒舌を慎むこと」だ。本を読んでいると色々と表現を知るので、例えばブクログのレビューを書くときでも難しい表現を使いたくなって、つい必要でない形容を付け加えてしまう。ブクログは趣味だからまだいいとはいえ、それは読む人のことを考えてのことかと問われれば否なわけで、これからの戒めとせねばならないと思った。
 p.200に"名文も悪文も、個人の主観を離れては存在しなくなるではないか、と、そう云う不審が生じるのであります。"とあるが、僕もこれはずっと気になっている。一般に名著とされている本を読んで特に感心しなかったとき、本にではなく自分の方に問題があると(一旦は)考えるのが教養主義であるが、では自分が感じたものはどう処理すればよいのか。これに対して谷崎は、酒の鑑定家を例に挙げて"一定の錬磨を経た後には、各人が同一の対象に対して同様に感じるように作られている(p.201)"と述べており、一つの答えになっているとは思う。ただし、"一定の錬磨を経た後"とはいつなのかといえば"同様に感じる"ようになるまでと言うしかないはずで、些かトートロジーのようにも感じる。
 p.324では、婦人雑誌から引っ張ってきた悪文の実例を谷崎が書き直しているが、内容は同じでもここまで鮮やかに印象が変わるものかと驚かされた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 9 文学日本
感想投稿日 : 2022年5月29日
読了日 : 2022年5月26日
本棚登録日 : 2022年5月8日

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