若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱 (角川ソフィア文庫)

  • 角川学芸出版 (2013年9月25日発売)
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自然にあるものはすべての人にとって平等に出現する。でも、「額縁の内側のもの」はそうではない。それは平等には与えられない。額縁の中で示された物語をどう受肉するかという仕事は個人の責任で果たさなければならない。額縁というのは、「そこの中にあるものについては、一人一人が違う意味を汲み出しなさい」というメッセージの解釈についての指示のこと。額縁をどこにつけるのか、何を額縁で囲むのか、ということは、思いがけなく大切な仕事。
人間が何者であるかは、その人が「何であるか」という本質的な条件によってではなく、「なにを生産し、いかに生産するか」によって決定される。
自分のことを善良で有徳な人間であると思いこんでいる人の方がむしろ卑劣な行為や利己的な行為をすることをためらわない。
マルクスのイデオロギー批判というのは、「人間たちが語ること、想像すること、表象すること」の適切性は、「現実に活動する人間たち」に即して、「彼らの現実的な生活過程の側から」検証されなければならないという考え方のこと。
脳がどれほどすばらしいことを考えても、身体の方は脳についえいけない。「生身が許すうちで最良のこと」を選び出して、「やれるところから、ぼちぼちと」と。
「共産主義社会では、各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲ももたず、どこでもすきな部門で、自分の腕をみがくことができるのであって、社会が生産全般を統制しているのである。だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、昨夜に家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、決して漁師、漁夫、牧夫、批判家にならなくてよいのである。」分業によって人間が、「ある特定の範囲だけにとどまること」を強いられ、特定の職業に縛り付けられるおき、その労働は「かれにとって疎遠な、対抗的な力」となる。マルクスはそのような言葉づかいで分業を批判した。

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感想投稿日 : 2019年9月4日
読了日 : 2019年9月4日
本棚登録日 : 2019年9月4日

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