本書は解説によれば「日本SFシリーズ」の1冊として刊行されたらしい。また裏表紙にも「異色のSF長編」とある。しかし、これがはたしてSFかといえば、私の解釈からすれば答えは否である。今日的な観点からすれば(刊行は1967年)むしろ、純文学の範疇に位置づけられるべきだろう。主題は、自己と、そしてまたその周縁の他者をも含んだアイデンティティへの懐疑ということになるだろうか。それを4人の登場人物(主には2人だが)の対話の中で描いていくのであり、その意味では小説でありながらも、きわめて演劇的な指向性を持った作品だ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月29日]
カテゴリ ☆日本文学
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登場人物も多く、相互の関係も複雑であるために最初はやや分かりにくい。それもある意味では当然で、史劇『リチャード3世』には、それに先行する『ヘンリー6世』で描かれた史実が前提になっているからだ。シェイクスピアの作品群の中では比較的初期のもののようだが、その最大の魅力はリチャードの造型と、それを台詞で浮き彫りにしていく妙味だろう。この時代(史実は15世紀末、劇の初演は16世紀末)にあって、神を全く畏れることなく、悪の魅力を振りまくリチャード。史劇ゆえ、いたしかたないものの、最後が勧善懲悪で終わるのが残念だ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月29日]
カテゴリ ☆イギリス文学

難解な小説か?といえば、けっしてそうではない。寓話か?といえば、これもまた違う。では、何故ホッキョクグマが主人公の3代記なのか?といえば、この問いに答えるのはきわめて難しい。熊が選ばれたのは、単にベルリンのシンボルだから、なのかもしれない。そして、ホッキョクグマというのは、我々の対極に位置する哺乳類であるからなのだろう…おそらくは。この物語が小説としての醍醐味に溢れているのは、熊と人間の、そして作家と読者の、意思疎通をあえて分断した中で作品世界を成立させている点だろう。小説はそれ自身の力で自立しうるのだ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月28日]
カテゴリ ☆日本文学

大阪で雑貨のお店を開く2人の女性による東欧仕入旅の記録。フリマの「お店屋さんごっこ」からはじめて起業。「いつかお店をやりたいね」と「旅が仕事になるといいのにね」を実現。へんに意気込んだりしないで自然体なのがよかったのかもしれない。彼女たちが東欧でよく利用するという、ユーロシティEC171列車は、たしかにとっても魅力的だ。朝7:26にベルリンを出発して、夕刻の19:40にブダペスト着。この間、ドイツ~チェコ~スロヴァキア~ハンガリーと4カ国を踏破する。ぜひ、ぜひ乗ってみたい。ノスタルジックな旅になりそうだ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月28日]

『仙台学』に連載されていたエッセイ集(15篇+短編小説1篇)。やはり、2011年3月11日の大震災、及びその後の歩みが重い。伊坂氏自身は大きな被害を受けなかったようだが、やはり当事者としての視点から語ることができる人だ。現在の仙台の町の中心部を見る限りは、一見すっかり元通りになったかに見えるが、福島も、そして東北全体も復興からは遥かに遠い。今こそ赤坂憲雄の東北学がその真価を発揮する時だ。一方、伊坂幸太郎もまた仙台発のメッセージを発し続けることだろう。そうした意味でのリージョナリティに富んだ1冊となった。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月27日]
カテゴリ ☆エッセイ

「読書メーター」でこの本の存在を知った。長編小説だとばっかり思っていたが、8つの短編からなる小説集で、その全体に付されたタイトルが『ここは退屈迎えに来て』。まず、このタイトルが秀逸だ。装丁、カヴァーのセンスもいい。幻冬舎からの刊行だが、タイトルと造本は編集者の功績かとも思われる。さて、内容はといえば、おおよそは期待通りだったとも言えるし、それを上回ることはなかったとも言える。田舎町でのどうしようもない閉塞感の中で、もはや可能なことは、「もしも自分がアメリカに生まれたら」といった空想しか残されていないのだ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月27日]
カテゴリ ☆日本文学

モリエールを代表する喜劇の1つ。1670年にルイ14世や貴族、廷臣たちを前にシャンボール離宮で初演された。太陽王と呼ばれたルイ14世だから、まさにブルボン王朝の全盛期だ。貴族にあこがれる町人を面白おかしく描いているが、その一方で見方を変えれば、作者のモリエールは、新興のブルジョワ階級がすでに興隆しつつあったことをも捕らえていたということだ。およそ100年後にはフランス革命が起こっている。また、トルコのエキゾティズムなど、モーツアルトの『後宮からの逃走』にもそっくりなのだが、これにも100年先んじている。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月26日]
カテゴリ ☆フランス文学
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かつて月刊短歌誌「歌壇」に連載されていた食をめぐる、東直子さんの初エッセイ。随所に歌人らしい特徴が溢れている。その最たるものは季節を全身で感じ、それを食においても、また文章にも敏感に反映させていること。そして、もう1点は観察が実に細やかなことだ。それぞれの月ごとのエッセイの後に歌が付されているのだが、残念ながら私には、それがどうもしっくりとこない。例えば「クリームのやわらかく煮え午後となる ただなきたくて風を聴く」だが、この人の歌は総じて下の句で大きく転じるところに特質があるのだが、そこが分かれ目か。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月26日]
カテゴリ ☆日本文学
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本書を手に取るまで、谷川俊太郎さんがドラマを書いていたのを知らなかった。ここには4つのシナリオが収録されているが、最初の2篇「いつだって今だもん」と「部屋」は、いずれも簡素な舞台装置で、安部公房のお芝居を思わせる、ちょっとシュールな味わいのもの。また「じゃあね」は、テレビドラマとして書かれているが、主演の老人2人が田中絹代さんと笠智衆という最高のコンビ。2人のひたむきな演技が偲ばれる。この同じコンビでは倉本聡さんの『幻の街』もあるが、テーマといい主演といい、この作品に触発されて書かれたのではないだろうか。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月26日]
カテゴリ ☆日本文学

川上弘美さんの記念すべき第1作目が、短編「神様」。パソコン通信上で応募し「パスカル短編文学新人賞」を受賞してのデビューであったらしい。あとがきで「もしあのとき『神様』を書かなければ…」とあるけれど、ほんとうによくぞ書いてくださったと思う。そのおかげで私たちは今こうして川上作品を楽しめるのだから。「くまにさそわれて散歩に出る」と、いきなり冒頭からのとぼけた味わいは、まさに川上弘美さんの真骨頂だ。ひらかなの柔らかさとしなやかさもまた一貫して彼女の味わいだ。9篇いずれも捨てがたいが、記念碑的な「神様」に敬意を。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月25日]
カテゴリ ☆日本文学
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本書は講談社学術文庫の1冊だが、学術というには新しい見解や、あるいは卓見があるわけではない。いわば入門書的なものといえるだろう。カレーについて総合的に考察してはいるのだが、残念ながら執着と深みに欠けるのだ。カレーをめぐる考察としては、なんだか頑張った卒業論文みたいなのだ。もちろん、レベルがということではなく、あくまでもそのスタイルがということであるが。しかし、いずれにしてもカレーを語らせれば、森枝卓士に数日の長があることは確かだ。ここにも、あれくらいの執着と、カレーに対するあくなき追求が欲しいところ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月24日]
カテゴリ ☆歴史

まず、何もかもが過剰な小説である。イメージの氾濫、煌めき、そしてそれらが収斂することなく物語世界がモザイクのように拡散してゆく。この世界はまさしく熱帯雨林のイメージそのものだ。多様な植物が過剰に繁茂し、その下影にもシダ類が繁殖し、またどこにどんな動物が潜んでいるのかわからない。空中や地上には綾なす色彩に溢れた鳥も飛び交うし、川には魚類や爬虫類も数多生息するだろう。訳文ではあるが、おそらくはスペイン語原文も、いつ終わるともなく連綿と果てしなく物語を語り続けるのだろう。荒廃しながらも廃墟にはならない神話だ。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月23日]

T・S・エリオットの詩に、エロール・ル・カインの絵、そして詩人の田村隆一訳という、理想のトリオによる『キャッツ』の第2弾。お話自体はきわめてシンプル。むしろ言葉の響きやリズムを楽しむもの。「大魔術師ミストフェリーズ」と「マンゴとランプルの悪ガキコンビ」の2話を収録。絵も内容も前者が優る。表紙はそのハイライトシーン。夕暮れ時の絵も素敵だ。また、そのつど表情の変わるネコの眼も見どころの一つ。ただし、ル・カインが目当てで、最初の1冊にというのなら、本書はお勧めしない。これは、最初にあげたトリオを楽しむものです。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月21日]
カテゴリ ☆絵本

「九尾の狐」を着想のヒントに描かれた絵本。もともとは紀元前2世紀頃に中国で編まれた書物「南山経」に登場する。これが平安朝末期に日本にもやって来て玉藻前となった。『奥の細道』にも、そのなれの果て「殺生石」として登場している。さて、肝腎の絵本だが、ル・カインの絵はそれなりに美しいものの色彩はやや抑え気味で線画風の描写が中心。彼の真骨頂を発揮したものとは言いがたい。お話の方は、九尾の狐から毒と妖魔性をすっかり取り除いた人畜無害なものになってしまっており、九尾はただただ美の基準にすぎないという、たわいのないもの。

2014年5月3日

読書状況 読み終わった [2014年4月21日]
カテゴリ ☆絵本

6つの短篇を収録。ただし、最後のは「あとがき」のようなものなので、5つの物語+1といったところ。いずれも、シングルモルト・ウイスキーとビターチョコレートの味わいだ。恋の物語は、通常はその成就までを描くが、ここではその喪失を描く。鷗外の『舞姫』に似た手法だ。失われた時間は、それ自体でロマネスクだという意味において。タイトルは「女のいない男たち」だが、内容的にはむしろ、男にとっては、とうとう最後まで理解の及ばない、女のある部分を描いた小説だと思う。つまり、これは喪失とすれ違いの末に取り残された男の物語なのだ。
 篇中でもっともせつなかったのは「イエスタデイ」。ちょっと珍しいのは「吉備津の釜」(『雨月物語』)の物忌みを思わせる「木野」か。
 また、「木野」にトーレンスのプレーヤーとラックスマンのアンプとJBLのスピーカーを組んだオーディオが出てくる。たしかにジャズを聴くのだから、これでいいような気もするが、トーレンスとラックスマンの組み合わせなら、スピーカーはむしろタンノイかと思う。

2014年4月20日

読書状況 読み終わった [2014年4月20日]
カテゴリ ☆日本文学
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職業的革命家をドロップアウトした正臣、偽神父のバンジャマン。彼らはともに、いわばかけがえのない青春期を失ってしまった。そして、過去における継続的な挫折のゆえに将来への展望もなきに等しい。小説のアイディアとしてはわからなくもないが、やや作為的に過ぎるようにも思う。タイトルの所以となったジョディ・ハリスとロバート・クインの「エスケイプ」も職革の過去には違和感が否めない。一方の「アブセント」は、もう少し自然だが、その分インパクトには幾分か欠けるだろう。小説のテーマは「喪失」であり、読後には一抹の寂寥感が残る。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月19日]
カテゴリ ☆日本文学
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宮脇俊三氏による中国鉄道紀行。'85年~'87年のものなのでいささか古いのだが、火車(汽車)旅の醍醐味は十分に伝わってくる。この頃はまだ、中国国内を自由には旅行できなかったようで、色々と不自由かつ割高でもあるようだ。例えば、10日間の旅行費用が57万円もしており、当時の中国の物価水準からすれば、これはもう法外な値段だ。また、酔狂にも鉄道に乗るためだけに中国に来たというのは、ほとんど理解されることではなかったようだ。けだし「鉄道趣味とは、鉄道が斜陽化するにしたがって発生・増大するもの」なのだろう。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月19日]
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三島由紀夫23歳の処女長編。彼はすでに19歳で短篇集『花ざかりの森』を上梓していたが、この最初の長編小説には初期の三島の作風が色濃く反映されている。すなわち、あらゆる意味において、きわめて観念的な小説なのだ。ここでは、生も、そして死もまた観念の中にしか存在しない。当時の三島には早熟と夭折の天才、ラディゲが強く意識されていたようだが、内容や小説作法は三島に独自のものだ。ただし、こうした登場人物たちの心理のありようを克明に、かつ分析的に描いていくといった手法は、やがては物語りそのもの中に解消していくのだが。
 全体としては、観念的に過ぎる小説だが、作中では第4章「周到な共謀(上)」で、清子が伝家の短刀を取り出すあたりが最も小説的で、また三島らしい表現だ。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月18日]
カテゴリ ☆日本文学

1960年上半期、芥川賞受賞作。選考委員10人のうち8人までが◎(他の2人は〇)と圧倒的な支持を受けての受賞だった(倉橋由美子の「パルタイ」もこの時の候補作だった)。言うまでもなく、V・フランクルの『夜と霧』に触発されての作である。本家がホロコーストを描いていたのに対して、こちらはタイトルにもあるように、その片隅で密やかに行われていた、精神病者の抹殺に焦点を当てた、精神科医でもある北杜夫ならではの小説だ。ただ、『夜と霧』が、まさしく当事者としての迫真性を持っていたのに比すれば、良くも悪くも客観的な視座だ。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月16日]
カテゴリ ☆日本文学
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キャロル・リードの往年の名画の原作。小説を映画化したものの場合、往々にして原作の趣きを損なってしまいがちなのだが、この作品に限っては、映画の方がいいかも知れない。リードの演出、ロバート・クラスカーのカメラワーク、オーソン・ウエルズのハリー、アントン・カラスの音楽といずれをとっても他には換えがたい風格だ。一方、原作のほうは映画に比べると、やや未整理な部分も目立つ。それにしても、第2次大戦直後、4カ国によって分割統治されていたウィーンを物語の舞台に選んだのは絶妙のアイディア。G・グリーンの作家的直感は見事だ。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月15日]
カテゴリ ☆イギリス文学

本書の出版は2006年だから、パリのライヴなグルメ・ガイドブックではない。ただし、食を軸としたエッセイとして、パリの雰囲気は濃厚に伝わってくる。つまり「食べよう」本ではなく、パリを伝える本だ。マグレブのエスニックなクスクスから、トゥール・ダルジャンに集う人々にいたるまで、パリの素顔の側面を実にうまく描いてみせる。それには著者の絵もまた寄与するところが大きいだろう。そして、ここに語られているように、多様性こそがパリの本質であることに気づく。パリを懐かしみ、そして強烈にパリを再訪したくなるなる本だ。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月13日]

本書を読むまでは、日本語の「女ことば」が自然発生的に生まれてきたものだと思い込んでいたが、それがきわめてナイーヴな考えであったことを知った。序章の例にあげられているように、現在もっとも典型的な「女ことば」は、翻訳書の女性言葉にこそ見られるものということになるようだ。例は『ハリー・ポッター』のハーマイオニのセリフなのだが、言われてみるとたしかに誰もこんな話し方はしていない。「言語イデオロギー」から「隠された男性性」、果ては天皇制へと論は展開するが、本書は言語学の立場からのジェンダー論として、きわめて示唆的。
 しいて難を言えば、「女ことば」の将来像の展望がなかったこと。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月12日]
カテゴリ ☆言語

37回(1957年上半期)芥川賞受賞作。この時点では、すでに第2次世界大戦の終了後12年を経ているのだが、未だに戦争の後遺症が色濃く残っていたことにまず驚く。戦争を清算してしまうことができない人たちがいたのだ。本編の主人公、片桐はそうした1人で、今で言えば典型的なPTSDを抱えた人物だ。彼の一生は、戦争、なかんずく硫黄島での強烈な体験によって決せられてしまったのだから。一方、小説の作法は、新聞記者として物書きとしてのキャリアをスタートさせた菊村らしく、取材記を語るスタイル。それがかえって斬新さとなった。
 なお、解説によれば、1998年時点での「文芸春秋」のアンケートでは、過去60数年間の芥川賞作品(約120作)の第14位だったらしいが、今では読者はずいぶん少なくなったようだ。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月11日]
カテゴリ ☆日本文学
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『桜の園』は、チェーホフの晩年に書かれ、いわゆる4大悲劇の最後を飾るもの。初演は1904年だから、日本との関連で言えば、まさに日露戦争の最中であった(もっとも、書かれたのはその前年だが)。そうして、革命の足音もしだいに迫りつつある頃だ。そのことは、劇にも濃厚に反映されており、登場人物ではロパーヒンが、まさにその体現者だ。一方、ラネーフスカヤ等の一族は、かつての富と繁栄の象徴であった桜の園を追われてゆく。その静かな交代劇は、「滅びの美学」ということになろうか。なお、3幕で幕を閉じる方が劇的ではないかと思う。
 この作品(併録の「三人姉妹」も)は、とりわけロシア名前に苦労する。なにしろ、トロフィーモフの愛称がペーチャ。もっとすごいのがレオニード・アンドレーエヴィチで、彼は通常はガーエフと呼ばれているが、リョーニャという愛称も持っている。

2014年4月19日

読書状況 読み終わった [2014年4月10日]
カテゴリ ☆ロシア文学
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