難解です。
しかしそれは、述べられている内容が難解だというわけではなく、筆者の修辞法によります。
昭和15年という時代に、応召を控えた筆者が遺書のつもりで決死の覚悟で書いたということにはもちろん十分な敬意を払わなくてはなりません。
しかし、遺書として文章の格調を高めようとするあまり、いたずらな修辞法が駆使され、これが文章を大変読みにくくしています。
筆者が伝えようとしていることは、そんなに難しいことではありません。
単純な事柄を、わざわざ難しい概念、修辞法で論述しています。筆者は自説を「愉快だ」と感じているようですが、読者は余分な読解力と想像力を要求され、いささか不愉快になります。執筆時38歳という「若さ」もあったのでしょう。
解説者は「現代の科学者を目指す若者に読んでもらいたい」と述べていますが、このままでは読めません。若者に読んでもらうためには、無駄な修辞をなくし、極めて平易に伝えることが必要です。頭が良い人でないと読めないというのではダメです。
演繹的・帰納的(つまり科学的)な論旨展開が行われているように見えて、典拠とする観察事実はほとんど提示されず、突然直感的な考えが述べられます。
「哲学的」と言われるのは、つまり非科学的ということです。
最終章は歴史ではなく進化について述べているのですから、単純に「進化について」とすべきでしょう。歴史という言葉が意味する事柄については何も述べられていません。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2015年5月27日
- 読了日 : 2015年5月26日
- 本棚登録日 : 2015年5月23日
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