1941年。パリの尋ね人

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レビュー : 14
制作 : Patrick Modiano  白井 成雄 
wabutaさん 小説   読み終わった 

 ノーベル賞の選考委員は本作を「記憶の芸術」と評した。
 
 パリでノートルダム寺院やサン=ルイ島あたりをうろついて、さてマレ地区の方へでも行こうかなと右岸に渡った辺りに、無名ユダヤ人犠牲者記念堂がある。この一冊との出会いは、観光ガイドには一切紹介されていないあの建物の前を偶然通りがかり、あれなんだろうと覗き込み、ああそうかと気が付いて入場し、そうして簡単には言葉では言い尽くせない衝撃を受けたあの日のことを私に思い起こさせた。
 国際空港のセキュリティーチェック以上の物々しい検査、中庭に建つ夥しい数の名が刻まれただけの壁、そうして1940年代の無数の老若男女の笑顔の写真、数え切れない数の家族の幸せな瞬間を写し止めたスナップ写真、それらは全てドイツ占領下のパリでそこから乱暴にもぎ取られアウシュビッツなどの収容所に送られ命を奪われた人たちがパリで生きていたときの「痕跡」であり「記憶」だった。
 それらの「無名の人たちが生きた記憶」にまつわる展示を、現代のパリジャンたちが無言できわめて真摯な姿勢で見入っていた姿も忘れることができない。

 パトリック・モディアノは、偶然見かけた尋ね人広告に載っていた15歳の少女ドラの足跡を、変質者かストーカーなみの執拗さで丹念に跡付ける。モディアノによって発掘された一人の少女の足跡は、あくまで無名の一人の少女にかかわりを持つ、家族や友人たちなどの、幾人かのやはり無名の人々の頭の中にあった「記憶」でしかない。
 しかし、そのあくまで「個」の記憶はモディリアノの手によって、ドラと同じようにかつてはパリで普通に暮らしていたのに、突然捕えられアウシュビッツに送られ命を奪われたやはり無名の人たちの記録、すなわち無数の無名の記憶と結びつけられる。
 そうして更に、モディアノ自身の実父とドラとの偶然の接点について語られる。無名の「個」の記憶と作家の「個」の記憶の接点は単なる「個」と「個」の偶然の邂逅ではない。徹底した「個」の記録にこだわった物語が人類の歴史の一断面という普遍性に出会った瞬間に立ち会った気がして、そのシーンで私は鳥肌が立つ思いがした。

 「記憶の芸術」と評した選評は、
 「忘却の彼方にある人々の運命を思い起こさせ、占領下の世界の人々を描き出した」
 とも賞賛している。見事な表現だ。だが、この作品の歴史的意義と作者が結実させた芸術性には脱帽するけれども、普通の読者にとっては詳細すぎる記述は読み通すのに相当な根気を要することも言っておかねばならないだろう。
 さらにまた、余計なことではあるかもしれないが、1941年の時点では世紀の悲劇の完全な被害者であったユダヤ人が、今日では様々なやむを得ざる理由はあるのかもしれないが、数多くの無名のパレスチナ人を殺す側に回っていることもまた事実である。
 だから、モディアノの芸術は、1941年の悲劇の記憶のみを描いたのではなく、無名の人々の悲劇の全てが、今日の私たちを含むすべての私たちと無縁ではないのだという普遍的な訴えの書であってほしいと思う。タリバンの凶弾に襲われたマララさんが同時に平和賞を受賞したが、ノーベル賞がナチスやイスラム原理主義を単純に糾弾する偏狭な価値観から自由であるのかどうかは私にはわからない。しかし、『1941年。パリの尋ね人』は、この世に忘れ去られてよい記憶など一つもなく、抹殺されてよい無辜の命だってひとつもないのだという普遍的な叫びなのだと信じて、「私の」ノーベル文学賞を贈りたい。

レビュー投稿日
2014年12月21日
読了日
2014年12月21日
本棚登録日
2014年12月21日
3
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