しっぽ学 (光文社新書)

  • 光文社 (2024年8月20日発売)
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一本の筋を通して(「人間のしっぽはなぜ無くなったのか」という謎の結論に向かって、ぶれる事無く)、あっちこっちと自分の経験(調査方法)や知識(調査結果)、自己の来歴(研究者の歴史)を披露している。自分でも言っているが、面白い(経歴の)研究者というポジションなのだろう。

以下、引用。

●しっぽの生えたヒトがいるという『日本書紀』の記述自体は、真実の表現というより比喩なのかもしれない。身体特徴ではなく、異なる生活習慣や服装を指すものなのかもしれない。だが、そうした記述があるという事実こそが、先天異常らしい表現の存在を 示してくれた。面白い発見はいつも自分が予想する道の先にあるとは限らない。こうした思わぬ寄り道や発見があるからこそ、研究は面白くてやめられないのである。
●善なるものにしても悪なるものにしても、複数のしっぽを持つ動物は通常の動物とは異なり、なんらかの力を有していると表現されることが多い。あまり詳しく書くとトンデモ本になってしまいそうなので控えるが、私はこうした空想上の動物におけるしっぽというものが人間を取り巻く自然環境や、人智のおよばない自然災害の比喩として登場している可能性をヒトにはない器官のしっぽを持つか持たぬか、あるいはそれを何本持つのかというのが、ヒトの御しえない自然の力の比喩なのではないだろうか。
また、同時に大変興味深いと感じるのは、こうした変形しっぽを持つ動物の表現が古代から我々の生きる現代まで、ずっと存在していること、かつその表現方法に変化があることだ。 現代の我々にとって、しっぽは「おそろしい」や「ありがたい」ではなく、むしろ「かわいい」の対象物である。
知識の拡大や技術革新によって、ヒトの御しえる自然の範囲は広がった。人間が野生の獣と接触したり、獣に害されたりする機会も、かつてよりは減少している。自然と人間との距 離感が変化し、自然は楽しむもの、動物は愛でる対象へと変化した。これが、しっぽの表現 の背後にあるものの変化だと私は考えている。たとえば、かつては瑞獣や妖狐など畏怖の対 象であった多尾の質は、ポケモンの世界では愛らしいキャラクター(ロコン、キュウコン) となり、飼い慣らすことさえできるようになった。
このように、我々「人」が紡いできたしっぽに関する表現を注意深く読み解いていくこと で、しっぽの向こう側に我々は何を見てきたのかが分かるのではないだろうか。こういった 研究手法では、データを収集し、定量的に評価することは難しい。こうだと断定することも 難しい、面白おかしく話を作っている、そう言われかねない研究手法でもあることは十分に解している。
だが、「人」の成り立ちは「人」が遣してきたものからしか解明できないと私は信じている。しっぽの生えたヒトに関する表現からは、先天異常の可能性の他に、自身と社会的背景や居住地の異なる人間をどう担えていたかを読み解けるかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2024年に読んだ本
感想投稿日 : 2025年2月23日
読了日 : 2024年10月22日
本棚登録日 : 2025年2月23日

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