旬の味、だしの味

  • 新潮社 (2004年12月21日発売)
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・それは(手を抜く事)、とるに足らないような料理にも表れるからこわい。たとえば、一寸豆。そら豆の皮をむき、包丁目を入れ、湯がいて、水でさらし、おだしを含ませながらじっくり炊く。でも、それを湯がかないで直炊きにすると、まったくおいしさが違う。おなじ湯がくのでも、火を通しすぎるとだめ、湯がき足りないと、まただめ。つまり、なんということのない当たり前の作業のなかに、決しておろそかにできない大切なことがたくさん含まれているのです。
頭がやわらかいことも大事です。なんでも受け容れて咀嚼し、さらに表現するだけのものが自分のなかになければならない。そういうことが、哀しい哉ようやくこの頃わかってきた(笑)。ああ、もっと勉強しておくのだった、と。普通だったら歯牙にもかけない、「なんだあんなもの」というものでも、いったん覗いてみないとだめですね。・・
「料理屋の料理は、家庭料理から半歩出よ。」そうおっしゃった先達の言葉が強く心に残っています。二歩も三歩も出てしまうからだんだん悪くなっていくんだ、と。もちろん驚かせる料理、決して真似のできない料理も必要でしょうけれど、家庭料理の延長線上にあって、やろうと思えばできる料理、そういうものをきちんと大切にすることも必要です。
ですから、聞かれれば嘘も隠しもしない。なんでもお教えします。職人さんに聞かれても、教えちゃう。出来上がったものが自分で納得できなければ、その方はさらに工夫なさってもうひとつ先へ進むかもしれない。そうしたら、私はまた勉強させていただけるのですもの。

料理人のエッセイっていいなあ。毎日工夫と努力をこらして料理を作る。自分の体調や精神と向き合って整える必要があり、毎日アウトプットがあるから、インプット・内省・アウトプットが日頃から良いバランスなのかも知れない。
「料理人が仕入れからすべてひとりで手掛けられるようになるには、最低十五年はかかりますね。長いと思われるかも知れませんが、ひとつの季節をわずか十五回しか経験できないのですよ。そのうえ鮪一つ取っても、ボストンもあればイタリアも、アフリカも、世界中どこからでも集まってきている。それらを識別して仕入れを采配するには、もう自分の経験しかありません。」
とか読むと、そう、建築家のエッセイとも違う、移ろいをとらえて切ないような気にさえなる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ・対談
感想投稿日 : 2012年8月22日
読了日 : 2012年8月22日
本棚登録日 : 2012年8月22日

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