1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

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本棚登録 : 10181
レビュー : 700
著者 :
花鳥風月さん 小説・現代文芸(男性)   読み終わった 

「村上春樹の『1Q84』入荷しましたー」

朝の通勤電車に乗り込む前にそんな声が聞こえてきた。駅前の小さな本屋さんの店員が外に出て宣伝をしている。村上春樹さんの新刊が出る、というのは出版における一つのイベントめいたものがある。私がそのイベントを初めて体感したのは『ねじまき鳥クロニクル』が文庫化された時だった。少し遅ればせながらようやく手に取った『1Q84』。かなり入り込んで読めた。今までの自身の春樹体験でもっともよかったかもしれない。それはこの『1Q84』という作品がいい、ということと一致するわけではないと思う。何か今までの春樹作品がいろいろと腑に落ちた感じだ。

これまで春樹さんのものは中長編はほぼ読んできていたが短編やエッセイはかなり取りこぼしがある。そして『アンダーグラウンド』も読んでいない。今回『1Q84』を読んで『アンダーグラウンド』を読みたい、と思った。春樹さんの作品間のいろんなことがつながる感じが自分の中であった。『1Q84』自体も春樹さんがこれまでやってきたことをいったんまとめてみる、という思いがあるように感じた。

Book1の途中まで読んだ時「これは無意識のことが書かれているのか」と思う。そうすると何かがほどけるように読めていく。「そうか、そうか」とうなずきながらページをめくる手が加速した。

読みながら春樹さんはこれを河合隼雄さんに読んでもらいたかったんじゃないだろうか、と考えていた。するとユングが引用される箇所に出会う。「ああ、やっぱり」と思う。チェーホフの『サハリン島』の引用も印象に残って見事だと思うけど、引用されるものの多彩さも楽しかったことの一つだ。

村上春樹さんといえば日本人離れした登場人物の会話というのも特徴の一つだと思う。私もこれまで「まあ、そういうもんなんだろう」と評通りの読み方をしてきたのだけれど、これは「夢の語法」なんではないかと今回読んでいて思った。夜寝る時に見る夢の中では、論理的にはつながっていないような出来事同士でも何の違和感もなく連結されていく。村上春樹の登場人物同士の会話はまさにこれだ。誰かが何かを言う、すると相手は「あなたの言うことはわかるわ」とか相手が言ったことの単純な繰り返しを同意として返したりする。夢の中ではおかしなことでも全てが必然のようにつながっていくこととこれは感覚的につながる。こういうことは既に言われていることなのかもしれないが、なんで今まで気づかなかったのだろう、というぐらいこの書き方が自分の中で了解されるところがあった。

この本を読んでいて一番スリリングだと思ったところは、青豆と宗教団体のリーダーの対決の部分だ。リーダーの言葉は実は非常に理が通っていて魅力的とも言える。危険なカルト集団ともなりえるリーダーの言葉に理屈を見いだすのは大変後ろめたいことだ。だから、春樹さんはこれをどう乗り越えるのか、という関心を持ちつつ読んだのだが、これを「超える」という形では答えが示されていないように感じた。もっと違うアプローチを示してくれたように私見では思う。傷ついたものはどう癒されていくのか、ということと、暴力というものがどのような性質を持っているのか、が徹底的に書き込まれているのだと思う。

春樹さんのイメージする「暴力」は、「どこかに突然投げ込まれてしまうこと」ではないかと思う。何かの拍子に突発的に起こった事件に巻き込まれて被害者となってしまうこと、というのがかなり直接的にイメージされるけれど、「どの時代に生まれるか」とか「誰を親として生れてくるか」といったようなことだって、よく考えれば自分で選べることではない。そういう感覚に共通するものに「暴力」を見ているのではないだろうか。

幸せに生まれてくる人もいる。けれどもそうでない人もいるだろう。そういう時に「暴力」という強いイメージまでいかなくても、ある種の感情が喚起されることはあると思う。そして「暴力」を受けた、と感じた側はそれによって傷ついた心をどのように癒していけばいいのだろう、というようなことを春樹さんは考えているのではないだろうか。

そして私見ではそれは別の心に出会うこと、そしてそれを探し求めることなのではないだろうか。「心」というよりも「魂」という感じか。魂はどのように傷つき、どのように癒されるのか。青豆と天吾は互いの魂を求めている。そしてそれを求めていく過程が癒される過程と近似するのではないかと思う。

村上春樹さんがこんなにも売れる作家である、というのが昔から不思議だった。ストーリーとしてはそれほど論理的に説明できるものではないし、どの辺をみんな面白がっているのだろう、と思っていた。村上春樹作品というのは、そういう意識下で論理的に説明できるようなものではないのではないのだろうか。読む人の心の深い所へ沁みていくような作品だからこそ、こんなにも多くの読者を惹きつけるのかと思った。

今回、他の作品に対するイメージもだいぶ塗り替えられ、いろいろと読み直したいなと思った。他にもいろんなことを思った気もするけど、それは少しずつ残していくとしよう。

レビュー投稿日
2012年7月29日
読了日
2012年7月29日
本棚登録日
2012年7月29日
4
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『1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)』のレビューへのコメント

猫丸(nyancomaru)さん (2012年7月31日)

「出版における一つのイベントめいたものがある」
多作でも寡作でもなく程よく出て。音楽や文学との繋がりがあって、広い年齢層に支持されて(勿論、嫌われてもいて)、謎めいているから、解明したくなる。。。お祭りじゃないけどお祭りみたいですね。。。

花鳥風月さん (2012年8月1日)

確かにお祭りですね~。この祭はけっこう好きなんです。

> 音楽や文学との繋がり

「音楽との繋がり」で思い出すのですが、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」にも興味津々です(この人もチェコの人なのか…)

> (勿論、嫌われてもいて)

春樹さんにはあまりいいことを言ってない人のものもけっこう読むのですが、それだけ無視できないような存在なのかな… と思っています。村上春樹推しの内田先生の著作が気になるところです。

猫丸(nyancomaru)さん (2012年8月22日)

「この人もチェコの人なのか」
そうです。クンデラ原作の映画「存在の耐えられない軽さ」で使われたりしています。
熱心なファンが居て「日本ヤナーチェク友の会」で自費出版されたり。。。
もう随分前ですが、サイトウ・キネン・フェスティバル 松本で、オペラ「利口な女狐の物語」が上演された時は観に行きたかった(チケット取れず)
「内田先生の著作が気になるところです」
一応6冊読了したので、心置きなくガイドブック?が読める・・・ケトルでは本に出てきた音楽リストがあるそうなので楽しみにしています。。。

花鳥風月さん (2012年8月25日)

nyancomaruさん

『1Q84』読了されましたか? 「ケトル」そういえば本屋で見かけてたのに買うの忘れて別の本買ってました… 次行った時に買おうっと。「ケトル」の音楽リストを見てちょっと世界を広げてみたいです。

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