ホンモノの偽物 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII)

  • 亜紀書房 (2020年10月22日発売)
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ウォーホルが遺した版を使い、生前のウォーホルと同じ手法で刷られたシルクスクリーンプリントは「本物」か? 元素レベルまで天然ダイヤモンドと同一の人工ダイヤモンドを「偽物」のように感じてしまうのはなぜか? ドキュメンタリー映像は本当に「リアル」なのか? 歴史上のさまざまなエピソードを通して、フェイクとリアルの線引きについて考えるノンフィクション。


本書はウォーホルで始まりバンクシーで終わる。モダンアートは本物を認証する権威への批判と挑戦を内包してこそだから、現代美術の世界におけるフェイクとリアルの線引きは今後ますます混沌としていくことだろう。バンクシーが博物館の展示に紛れ込ませたエセ旧石器時代アートの欠片はそうと知って見ればおふざけの産物でしかないが、博物館という場の権威によって三日間は「本物」だった。そして博物館から放りだされても、それはバンクシーの作品という意味で「本物」なのだ。
これと同じ例として本書で取り上げられているのが、19世紀に中世絵画の贋作をしていたスパニッシュ・フォージャー(「スペインの贋作者」の意)と呼ばれる無名の画家。20世紀後半になってこの贋作者の手がけた作品が同定されていくうち独特のキッチュな画風にファンがつき、贋作と知って蒐集するコレクターが生まれていったという。19世紀の人びとを知る資料的価値があるとして、贋作認定後も美術館に入っているとか。
科学的な裏付けを伴わない場面で何をリアルとするかは、その時代の人びとが「その物語にノレるか否か」で判断されてしまう側面がある。とても本物には見えない作り物の化石を信じたベリンガー教授の心理は18世紀の考古学熱を思えば然もありなんだし、かと思えば、発見者が語る来歴が怪しすぎるのでずっと偽物だと思われていた「グロリア・コデックス」が本物の古代マヤの遺物だったりする。
上記のような歴史学上の反省があるかと思えば、人工フレーバーの開発史にスポットを当てた章もあるのが楽しい。今の「バナナ味」や「ブドウ味」を本物と比べて甘すぎると感じてしまうのは、そのフレーバーが開発されたとき市場に出回っていたのが今主流になっているものより甘い品種だったからとは。人工フレーバーの「リアルさ」はノスタルジーのなかにある、という締めが余韻を残す。
美術系の分野に限らず、いろんな「偽物」と「本物」の物語を知ることができて面白かった。クローンやAIの問題なども含めれば、これから先はリアルとフェイクの違いを問うこと自体がナンセンスになっていくのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2021年6月4日
読了日 : 2021年6月1日
本棚登録日 : 2021年6月4日

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