激しい雷雨によって探偵事務所に閉じ込められた探偵と助手と依頼人の3人は、それぞれの語りから連歌をつらねるようにとりとめなく話し続ける。


再読。
堀江さんは〈日本のニコルソン・ベイカー〉と呼ばれるべきじゃなかろうか。インスタントコーヒーとクリープと砂糖の〈三種混合〉にはじまり、ここにでてくるエピソードはどれをとっても『中二階』に引けをとらない細部への執着心にあふれている。
人にはオチのない話をしたい気分というのがあって、それに「オチ、ないのかよ」とツッコミを入れてほしいときもあれば、こんなふうにオチのない話を数珠つなぎにして永久に話の終わりを留保してくれるような空間が嬉しいときもある。そんな話に耳をそばだてて盗み聞きしたい気分のときもあり、そんな人のためにこの小説はある。この辺の呼吸も『もしもし』のようなベイカー作品を思い出すのだ。

2020年10月25日

読書状況 読み終わった [2020年10月25日]
カテゴリ 小説

イスラエル産のSFシーンの中心人物2名によって、英語圏の読者向けに編まれたアンソロジー。ここでのSFは科学小説 Science fictionではなく思弁的小説 Speculative fictionを指しており、非リアリズム小説全般を覆う定義と考えると収録作の幅広さが納得できる。邦訳は英語からの重訳になるが、元々英語で書かれて作品も5作、ロシア語で書かれた作品が1作収録されている(ほかはヘブライ語)。巻末には編者による「イスラエルSFの歴史」も。


以下、特に気に入った作品について。

★ ガイ・ハソン「完璧な娘」(中村融 訳)
テレパスの訓練教育を受けることになったアレグザンドラは、〈死体保管所〉(モルグ)の鍵の管理を任される。遺体の記憶にダイブできる能力者が、自他の境界を超えてしまう危うい心理をポリフォニックに書いている。ちょっと萩尾望都っぽい。これは元から英語で書かれた作品のせいか中村融のおかげかわからないけど、訳が一番よいと思う。文字通り“死者の声を聞く”話なため、ドラマ『アンナチュラル』を思いだしたりも。

★ ニル・ヤニヴ「信心者たち」(山岸真 訳)
戒律を破ると物理的に天罰が下り人が死ぬようになった世界で、同性愛者の「わたし」とガビは〈全知〉と呼ばれる人物がつくる機械に一縷の望みをかける。短いけれど、黙示録的なヴィジョンと映画『アンブレイカブル』的なオチで印象に残った。淡々とドライに神や天使を書くのも好み。

★ サヴィヨン・リーブレヒト「夜の似合う場所」(安藤玲 訳)
列車でヨーロッパを移動中に世界が滅んでしまい、生き残ったイスラエル人の女とアメリカ人の男が世界の再興をめざすも……というポストアポカリプスもの。全員血の繋がらない、人種の異なる聖家族のようなイメージを冒頭にもってきておいてあのラスト。後味最悪(笑)。修道女目線で書いたら『侍女の物語』だよなぁ。読むのが辛くなる話を読ませる端正な文章も魅力的。

★ エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」(市田泉 訳)
大学のカフェテリアで知り合った絶世の美形デイヴィットは死神だった。そうと知りながら彼と結婚したモールも次第に死神化していく。ポーの「赤死病の仮面」を思わせる死神たちのマスカレードパーティが楽しい。〈ガス室〉の死神とユダヤ人の主人公を会話させるアイデアは大胆だが、皮肉たっぷりのユーモアで笑わせる。

★ ヤエル・フルマン「男の夢」(市田泉 訳)
夢に見た人を自分のベッドに召喚してしまう能力をもった〈夢見人〉の男とその妻と友人をめぐる悪夢のような現実。ブラックユーモアを発想の源としてリアリティを与えていく手法がジュディ・バドニッツやレイ・ヴクサヴィッチを連想させる(市田さんはヴクサヴィッチの訳者でもある)。岸本佐知子編集のアンソロジーに入ってそう。

★ ニタイ・ペレツ「ろくでもない秋」(植草昌実 訳)
理由も告げず彼女にフラれ、友人は天啓を得てカルト教主になり、喋るロバが唯一の親友になった男のさんざんな秋の記録。これ好き。明治期のダメ男一人称小説をヒップホップ時代の感覚でアップデートして、喋るロバとUFOを足したような感じ。終始グダグダ。湯浅政明にアニメ化させたい。この人、拳銃買っても一度も元カノを撃とうとは考えないのがいいんだよね。「パイロットのボールペン」がでてきて嬉しかった。

巻末の「イスラエルSFの歴史」では、シオニズム自体がユートピア実現構想であるため、そこではむしろファンタジーは忌避されていったというイスラエル文学界の状況や、長らく無視されていた幻想小説(=非リアリズム小説)を興隆させたファンダムの動きとそこから出現した書き手の紹介など、興味の尽きない内容だった。リアリズムにあらずんば小説にあらず的傾向は日本...

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2020年10月25日

読書状況 読み終わった [2020年10月21日]
カテゴリ 小説

2005年、オーストラリア。祖母を看取ったカサンドラは、葬儀の席で大叔母たちから実は祖母のネルが養子だったことを知らされる。驚くカサンドラだったが、ネルはもうひとつ謎を遺していた。オーストラリアから遠く離れたイギリスのコーンウォールにコテージを所有していたのだ。「これをカサンドラに遺贈する。いずれその意図を理解してくれることを願って」と書き残したネルの足跡を追って、はるばるコーンウォールのトレゲンナという村にたどり着いたカサンドラは、かつて貴族の邸宅だったブラックハースト荘で貴族の令嬢と童話作家と画家が過ごした日々にネルの出生の秘密が隠されているのを知る。百年の時を行き来しながら、一人の女性のアイデンティティにまつわる謎を追った歴史エンターテイメント。


時空を超えたシスターフッド、そして祖母と孫を描いた作品。ネルがなぜ偏屈ばあさんになったのか、その絡まった糸をときほぐすうちに、カサンドラが抱える傷も少しずつ癒されていく。心地よい距離感を保ったシンクロニシティとも言うべきこの関係性は、親娘間では書きにくいことのような気がする。
物語は3パートに分かれている。一つ目がカサンドラのパート。軽いタッチのロードムービーふうで、少しおせっかいなキャラクターが次々登場し、後半にはラブロマンスもある。二つ目はネルのパート。船でのかくれんぼの記憶に始まり、人生が一変してしまった婚約パーティーのこと、謎解きの果てにトレゲンナにたどり着いたことが描かれる。三つ目はイライザのパート。サラ・ウォーターズの『荊の城』を思いだすようなイライザの身の上とローズとの友情。三つのパートを細切れに語って謎の解明を引き延ばすと同時に、同じ人物の時を経た姿が多角的に描かれる構成になっている。
一番の眼目はブラックハースト荘のパートだが、ミステリーを意識した(?)ミスリードが余計に感じてしまう。イライザが実母に決まってるんだから、もっとローズとイライザとナサニエルをめぐるドロドロに注視してゴシック気分を盛り上げてほしかった。友情で繋がるローズとイライザ、性愛で繋がるローズとナサニエル、創作で繋がるイライザとナサニエル…という掘り下げがあるものと思っていたので肩透かしを食らった。イライザがだんだん破天荒じゃなくなるのも寂しい(これは物語上必然性があるが)。アデリーンの徹底した悪役ぶりが一番好感度高い。
でも作中でイライザが書いたとされる童話が全部ちゃんと面白いのは偉い。元々は「Authoress」という題にするつもりだったというから、イライザの人生から妖精物語が生みだされるその飛躍こそがテーマだったのだろう。直接血筋と関係があるネルやカサンドラだけでなく、ジュリアがローズのスクラップ帳を、クララがナサニエルの原画を、クリスチャンがイライザの庭をそれぞれ大事に思っているところは、創作物と時間の経過とその需要のあり方をあたたかく描いていると思った。
最初に「時空を超えたシスターフッド」と書いたのは、ネルもイライザもローズも苦しみ傷ついて、秘密を抱えたまま亡くなったが、その気持ちを受け取る相手が未来にいたのだとわかる物語だからだ。過去に苦しんだ人びとへの共感が、いま前を向くためのパワーに還元されていくというポジティブなメッセージがあるからこそ、二人のキャラクターの死の場面で終わるにもかかわらず、読後感は明るい。

2020年10月25日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年9月21日]
カテゴリ 小説

地球と月のあいだに浮かぶ博物館惑星〈アフロディーテ〉は、既知世界における動植物、芸術・工芸、音楽・舞台など、ありとあらゆるものを収める。その総合管轄部署〈アポロン〉に勤務する田代孝弘は、頭に浮かぶイメージを直接検索できるデータベース・コンピュータ〈ムネーモシュネー〉を操る学芸員。博物館惑星に持ち込まれる厄介な美術品たちとそれに翻弄される人びとを描いた連作短編集。


最後まで主人公を好きになれなかった。自らの審美眼を誇るわりに思い入れているものがあるわけじゃないし、素人目線をバカにしたすぐ後で「素直な感性」に感じ入ったりする。ネネとの関係やラストの妻とのエピソード含め、全体的に中間管理職おじさんの夢って感じ。地球の文化をアーカイブするための人工衛星があって、未来の芸術作品がトラブルの種になるというアイデアは魅力的だが、すべてが人情話に終始するので物足りなかった。

2020年10月25日

読書状況 読み終わった [2020年9月14日]
カテゴリ 小説

1967年、イギリスでバーバラ、マーガレット、ルシール、グレースの4人の科学者がタイムマシンの実用化に成功した。その後、マーガレットを代表として3人はタイムトラベル推進協議会(通称「コンクレーヴ」)を設立したが、バーバラは短期間に時間移動を繰り返したせいで精神に異常をきたしたため、プロジェクトから外されてしまった。時は流れて2017年。タイムトラベルとは無縁の後半生を送ったバーバラとその孫ルビーの元へ、半年後の日付が記された死因審問の通知書が届く。そして2018年初頭、おもちゃ博物館のボイラー室で身元不明の銃殺死体が発見され…。「時間が可逆ならば人の死生観はどう変化するのか」という心理学的な問いをテーマにした、ポップなタイムトラベルミステリー。


面白かった〜!原題はずばり「The Psychology of Time Travel」。タイムトラベラーは他人が死んでもその人が生存している時勢に飛んで簡単に再会できるため、他人の死に鈍感になっていく(必要がある)のではないかという仮説をはじめ、宇宙飛行士の例を使って説明される“時差ボケ”や、脳外科医から見たタイムトラベラーの脳、果ては神学的決定論に支配され心理学が無用になった22世紀の心理学者による精神分析など、タイムマシンがあるからこそ起きる人の心の変化を巧みに描いている。著者自身心理学者なのだそう。
この極めて具体的なディティールが本書を読む楽しさのキモだ。時間移動を使った脱税法、過去や未来の自分と肉体関係をもつ特殊プレイ、コンセプチュアル・アーティストとして名を馳せるタイムトラベラーなど、タイムマシンが実用化された世界にリアリティを感じさせる描写が魅力的。対して、コンクレーヴの入社試験や神明裁判のようすは、タイムトラベラーが我々とは別のルールで動いていることを教えてくれる。“ループしたタイムパラドックスのなかにしか存在しない本”という設定など、ハリー・ポッターやアリスの世界のようなのだ。
また、射殺事件解明のあいまに進行するルビーとグレースの恋のゆくえも大きな魅力。タイムトラベラーの恋愛模様は複雑で、まず出会いの瞬間に老グレースは死に、ルビーはグレースの死後の時間をタイムトラベルしてきた若きグレースと一緒に過ごす。グレースのふるまいは完全にファム・ファタルなのだが、後半に彼女の出自が明かされ、その謎のベールがはがれる。話のなかにイギリスの職業階級や人種問題を自然に取り込んでいて上手い。
タイムマシンの開発者をはじめ、活躍する登場人物のほとんどが女性キャラクターなのだが、そこに特別な理由づけはされておらず、科学者も医者も時間移動を司る大企業の社長も女性である世界としてフラットに描かれている。そういう意味では物語のスタート時点で本書は歴史改変された世界と言えるのかもしれない。フェミニズム的なメッセージや、LGBTについて声高に主張する作品ではないが、超超楽しいエンタメ小説のなかで彼女たちの姿が“当たり前”のものとして描写されることに力づけられる人も多いだろう。

2020年10月25日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年9月13日]
カテゴリ 小説

キリスト教原理主義者たちのクーデターによりアメリカから独立した小国、ギレアデ共和国。低下し続ける出生率を憂う支配層は、女性たちから自由を剥奪し出産を管理する社会システムをつくりだす。33歳のオブフレッドは、支配階級の老夫婦の元に代理母として派遣された〈侍女〉。ほんの数年前まで夫と娘と暮らし、自分の仕事と財産をもっていたが、ギレアデ建国と共に家族と引き離され、指導員の〈小母〉たちが侍女を教育する施設へ送られて、今は老いた〈司令官〉の子を産むためだけに生かされている。人間性を失うまいとするがゆえに周囲の人びとを憎みきれないオブフレッドの人生はどこへ連れていかれてしまうのか。現代とのリンクが多すぎて、読むのが恐ろしくなるディストピアSF。


読み終わってまず悔し涙がでた。そんな小説は初めてだった。オブフレッドの時代から150年以上経過した未来で、彼女の物語を史料として眺める男性学者のホモソーシャルな女性蔑視ジョークに、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』で知ったモダニストの妻たちとその作品の扱いを思いださずにはいられなかった。この講演録をもって『侍女の物語』を終わらせたことに、アトウッドが抱いている男性社会に対する憎しみの深さがうかがえる。
講演内で司令官の正体がほのめかされ、彼が侍女システムの創設者らしいとわかるところは、グロテスクを通り越して暗い笑いを生む。自分でつくりだした偽りの秩序を自ら破り、恩を売って侍女から〈本物の愛〉を搾取しようとするクソジジイ。彼の行動を少しでも好意的に受け取ろうとしてしまうオブフレッドの努力が泣けてくる。自分が本当にモノ同然と思われているなんて、誰でも信じたくないものだ。
読み進めるのが苦しくなるようなディストピアを描いた本書だが、暗黒で美しいイメージの宝庫でもある。侍女たちが着用を義務づけられる真紅のワンピースと、〈翼〉と呼ばれる帽子。ヴィクトリアン様式の司令官の家。その居間でおこなわれる家族の儀式。女性たちから文字を奪うため、売り物の絵だけが描かれた商店の看板。マニ車のような祈りの簡易化装置〈魂の巻物〉。頭に袋をかぶせられ鉤に吊り下げられた罪人たち。文章だけを追うぶんにはうっとりすると言ってもいい、産業革命以前に退行したかのような世界観に、唐突にカメラを下げた日本人観光客やテレビなどが出現し、ああこれは今と地続きの未来の話なのだと思いだす。
前半はオブフレッドの目を通して少しずつ明らかになる最悪になってしまった世界の姿に惹き込まれていくが、後半がオブフレッドの閉じた人間関係をめぐるスリラーになっていく。周囲の思惑に翻弄されるオブフレッドにほんの束の間、人間らしさを思いださせてくれるのが〈小母〉の施設で同室だったモイラとの再会である。
ギレアデ社会に反抗し続けるモイラはオブフレッドにとって(読者にとっても)理想的な存在である。状況に流されるままのオブフレッドより主人公らしいと言ってもいい。〈小母〉たちから逃げおおせたモイラをオブフレッドは英雄視し、自分を鼓舞するポジティブなイメージとして思い出を反芻していた。しかし思わぬ場所での再会に、モイラなりの弱さ、彼女にも逃げ切れない現実があることを知り、そのことがオブフレッドの心を壊してしまったのではないかと思う。その後、オブフレッドはニックとのセックスに溺れ、わかりやすくメロドラマ的な状況に陥ってしまう。
娼館に囚われた同性愛者のモイラや、フェミニスト活動をしていたせいで〈コロニー〉に連れていかれ、放射性物質の除去作業をさせられている母親と比べて、無抵抗なオブフレッドを弱いと切り捨ててはいけない。同じ状況になれば、ほとんどの人はオブフレッドと同じ生き方を選ばざるを得ないだろう。それは彼女の弱さではなく、支配者たちの卑劣さゆえなのだということを忘れてはいけな...

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2020年10月24日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年9月11日]
カテゴリ 小説

スクラップ場で兄のマーカスを轢いた車両を発見したアイゼイアは、事故は偶然ではなく明らかな殺意をもって計画された殺人だったと確信し、執念深く調査を再開した。そんなとき、かつてマーカスの恋人だったサリタから「妹を救ってほしい」と依頼される。昔からサリタに密かな片想いをしていたアイゼイアは張り切り、フィアンセの出産を間近に控えたドッドソンを再び相棒に誘って、サリタの妹ジャニーンがいるラスベガスへ向かう。だが、それはカジノの高利貸しと中国系マフィアとメキシコ系ギャングの三つ巴に足を突っ込んでいくことを意味していた。〈IQ〉シリーズ第2作。


前作のクールなアイゼイアから一転、今回のアイゼイアはコンプレックスまみれで人間関係が拗れやすい困った若者に。亡くなった兄の元恋人への想いは過剰に膨らんで暴走気味。アイゼイアのカッコつけが加速したせいでドッドソンも「敬意を示しながら話すことはできねえのか?」と懇願しだす始末。これに関してはマジでドッドソンの言うとおり。
しかし、そんなドッドソンへの冷たい態度も、サリタへの過度の期待も、兄を殺した宿敵の心理状態に近づくことで謎を解く伏線となり、アイゼイアの抱える孤独が敵と鏡像関係になる構成はやっぱり上手いなぁと感心。今回、さまざまなギャングたちの姿が “気がついたら今のように生きるしかなかった” 存在として、アイゼイアと対比されているように思う。そしてアイゼイアも自身が本当に必要としているものに自覚的にならなければ、同じ道を辿る可能性もあると示唆される。
対してドッドソンはビジネスの面では不安要素だらけなものの、フィアンセのシェリースを心から愛し、かつてのようなバカもしない。そんなドッドソンの環境を無意識に羨んでいるアイゼイアが、そんな自分を受け入れられずに憎まれ口を叩いてしまう負の連鎖にはやきもきするが、最後には読者の知らんとこで仲直りしてドッドソンは無事産まれた息子のミドルネームに「アイゼイア」とつける。もう勝手にせえ。
今作もクライマックスはギャングの抗争。ラモーナの死をきっかけにしてピタゴラスイッチ的に発生した抗争を利用したアイゼイア、8年の間に非情になっちゃって…。フランキーとマンゾの愛憎関係、バルサザーが死んでから彼が唯一の友人だったことに気づくレオ、ルワンダ内戦を生き抜いたセブとガヒギの絆など、ギャング側の私情も、語りはコンパクトだが熱い。
初登場のシェリースはめちゃくちゃイケてる女で、推しキャラの最愛の女がイケてるって最高だな〜! 前作では打算まみれのビッチ扱いだったデロンダも、今回はチャーミングな姉貴役。ラモーナとロコスの女たちのねじれた関係や、デロンダとジャニーンのシスターフッド、人身売買に手を出していた父を決して許さないヴァン姉妹など、女性の書き方も悪くなかった。
そしてなんといっても人種のごっちゃ煮としてのLAの書き方ったら。特に片脚を失いながらケンブリッジに通ったセブと、黒人とヒスパニックのハーフだった母と中国系マフィアの父のあいだに生まれ、同じくケンブリッジに通って弁護士になったサリタの対比は、よく考えるとエグい。「アフリカ系アメリカ人の土地にいるアフリカ人。そのふたつはそれぞれの大陸と同様にまるでちがう」というセブの述懐に、映画『ブラックパンサー』を思い出すのは必然だろう。(チャドウィックさん R.I.P)
丸屋九兵衛の監修がついて註が増え、特にNBA知識がない私はとても助かった。解説も大変ためになった。(でもあの解説を載せておきながら帯で〈暗黒街のホームズ〉をまだ使ってるのはどうなの?)

2020年9月16日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年8月28日]
カテゴリ 小説

アーサー王亡き後、ブリテン島ではブリトン人とサクソン人が平和に共存していた。しかし、いつしか島は竜が吐く忘却の霧に覆われ、人びとはほんの一時間前のことすらも思い出すことが困難に。そんな中、ブリトン人のアクセルとベアトリス夫婦は、存在さえ忘れかけていた息子との再会を目指し旅に出る。道中、隣国からやってきたサクソン人の戦士ウィスタン、竜に噛まれた少年エドウィン、かつて円卓の騎士と呼ばれたアーサー王の甥・老ガウェインらと出会い、少しずつ過去の記憶を取り戻しはじめた老夫婦の旅の終着点とは。


一人称小説の利点を完璧に活かしていた『日の名残り』『わたしを離さないで』と異なり、本作は三人称。視点人物もコロコロと入れ替わる。全員矛盾したことを言い、ウィスタンを除いて記憶も曖昧なので、信頼できる人は誰もいない。
私が好きだったのはガウェインおじいちゃん。円卓の騎士も今は昔、愛馬ともども年老いたガウェインは、中世の騎士を現代的な目で眺めるとドン・キホーテになってしまうという典型のようなキャラクター。大仰でプライドが高く、カルヴィーノの『不在の騎士』のアドルールフォにも似ているのだが、実は戦時中のPTSDに悩まされながらも生き残りとしての矜持を持ち続けようとしていることが長い独り言を通じてわかってくる。『日の名残り』の言い訳おじいちゃんことスティーブンスもなんだかんだ好きなので、私はイシグロの書くおじいちゃんが好きなのかもしれない。
妖精や死の島、竜などが登場し、全体の筆致も寓話的なのだが、中世キリスト教修道士の腐りきった欺瞞性と、彼らを罠にはめるウィスタンの作戦部分だけは冒険歴史小説然としていて面白かった。サクソン人の遺跡を用途もわからずブリトン人が使い潰しているさまもテーマに関わる重要なモチーフで、小説としては塔に火を放つ場面がクライマックスだと思う。
この作品は、過去作と同じく〈忘却〉をテーマに、夫婦関係とかつての敵対関係を重ね合わせ、都合の悪い記憶を忘れることで手にするつかの間の平和の是非を問うてくる。アクセルとベアトリスは記憶をなくしたからこそお互いを思いやることができたが、それが忘却のためではなく、本当に心から許し合った結果であればもっと良かったのかもしれない。だが、ウィスタンとガウェインが互いの誇りを尊重して一対一の正々堂々とした一戦を交わすことができたのは、偽りとはいえ戦争のない平和な時代ゆえだろう。キャラクターの中では唯一ベアトリスだけが本心を語らない。アクセルは「わが最愛のお姫様」と呼べるうちに別れがきて幸福だったとも言えるだろうが、ベアトリスにとってはどうだったのか。〈忘却〉の両義性は人間の業そのものとも言えるなぁと思わされる、静かなファンタジーだった。

2020年9月16日

読書状況 読み終わった [2020年8月26日]
カテゴリ 小説

NASAの火星探査プロジェクト〈アレス3〉に参加した宇宙飛行士のマークは火星で事故に遭い、彼は死んだものと思った仲間たちは地球への帰路についてしまった。NASAともロケットとも交信するすべのない状態から、マークはいかにして生き延びるのか。火星サバイバルSF。映画「オデッセイ」原作。


初っ端からめちゃくちゃハリウッドっぺー!しかも90年代っぺー!ので、映画化されたのも納得。“アメリカ人が理想とするアメリカ人”的なマークのキャラクターと、NASAの面々が地球で繰り広げるジョークの応酬がマジで30年前の映画っぽいのでなんなんだよと思いつつ、ここまでポジティブな小説を読むのも久しぶりだなぁと思った。
マーク本人が「NASAに頼らず一人でなんでも決めてたころが懐かしい」とこぼす場面もある通り、NASAのターンよりマークの一人語りの方がずっと面白く、通信不可能になるたびに喜んでしまった。マークのログは火星でのHow to サバイバルになっていて、それが全然知らないキャンプ知識を語っているユーチューバーの動画を見るような楽しさなのだ。
キャラクターはルイス船長とフライトディレクターのミッチが好きかな。マークと同じく二人ともリスクをとって生存に賭けることができ、他人を信頼し自分の責任をきっちりとれる人物。ルイスみたいなキャラが70年代ディスコのファンだと面白い、って感覚は古臭すぎると思うけど。ヨハンセンが若くて可愛いという理由で男性陣からハラスメントを受けるのも嫌。
そんなわけで、小説としてはノリきれないところもありつつ、空想科学読本としてはとても楽しかった。作中、「火星にくること自体、不必要な危険でしょうが」とルイスが言う通り、そもそも宇宙に行こうなんて思わなければ火星でサバイバルすることだってない。NASAのプロモーションかよ、と鼻白む気持ちもありつつ、やっぱり宇宙飛行士は人類の夢を背負っているのだなぁと思いました。

2020年9月14日

読書状況 読み終わった [2020年8月21日]
カテゴリ 小説

古代の天文学から、時間とは何か、エントロピーとは何か、を通じて相対性理論を紐解き、原子の宇宙に迫るため量子力学の世界へ向かう。〈千夜千冊エディション〉物理学篇。


第1章はガリレイやケプラーの著作で幕を開ける。プチ『ルナティックス』のような構成の一七三二夜が嬉しい。
宇宙と天体をめぐるロマンの第1章から、〈時間〉を科学的に捉えるとはどういうことなのかを解きほぐす第2章へ。この章は同じ〈千夜千冊エディション〉『情報生命』とリンクしている。
第3章は相対性理論によって宇宙のはじまりをめぐる議論が急速に拡大したことについて。ダークマターやブラックホールの仕組み、反物質とは何かなどが解説され、ワクワクすると同時にかなり難しくなってくる。『銀河鉄道の夜』ふうに宇宙創造のプロセスを講義してくれる六八七夜が優しい。
第4章は千夜千冊で最も長い一〇〇一夜の一篇のみで、1〜3章までと第5章の素粒子論をつないでいる。この章に限らず、「ヒッグス粒子」とか「パリティ」とか「自発的対称性の破れ」とかってなんだろう、と思っても繰り返しまた違う角度から説明してくれるので、なんとなくわかった気になれる。これが松岡正剛を読む危うさでもあるのだが、理系のセンスが全然ない私には、「超ひも理論」をわかった気にさせてくれるだけでも有難い。
第5章「素粒子と量子」はだいぶ立ち入った話で、イメージを浮かべるのも難しい。概念と論理をもてあそんでいるだけに見えてしまうなぁ…と思っていたら、一〇七四夜でデイヴィット・ボームが科学的思考を既存の言語様式と異なる方法で記述する試みをしていたと知り、この話は面白かった。
内容をすべて理解できているとは思わないのだが、子どもの頃読んだラッセル・スタナードの〈アルバートおじさん〉シリーズを思い出して懐かしかった(逆に言うと物理学の本を趣味で読んだのはそれ以来)。本書でSFを楽しむ土壌が頭の中にできたかな…と思いたい。

2020年9月13日

読書状況 読み終わった [2020年8月19日]

LAのロングビーチで探偵を営むアイゼイア・クィンターベイは、頭文字をとって“IQ”と通称されるほどのキレ者。とある事情でまとまった金が必要になったIQは、かつて同居していた腐れ縁のドッドソンと共に、〈ラッパーを襲う巨大ピットブル事件〉の謎を追うことに。18歳のときに目の前で兄を亡くし天涯孤独になったIQは、ドッドソンの誘いで“悪さ”に手を出し、取り返しのつかない事件の加害者になってしまった過去を持つ。罪を犯した2005年と、償いのため街の人びとの悩みを解決しようと奔走する2013年のエピソードが同時進行し、IQという探偵が生まれたわけを解き明かす、ポップな探偵シリーズ第1作。


「現代アメリカの黒人文化に造詣が深い作者によるヒップホップ小説にして、シャーロック・ホームズに倣った思考術を操る探偵小説である」とか、「スキップのあだ名“マゴット”って元ネタ『ハマースミスのうじ虫』かな?」とかは言い尽くされているだろうから、私はアイゼイアとドッドソンの関係性が最高なBLとして読みましたよという話をします。
アカデミック・デカスロンの地区チャンピオンで、ゆくゆくはハーバードに進学するはずだった優等生のアイゼイア。対して、地元のギャングに所属する若きクラックの売人ドッドソン。同級生ながら本来は交わるはずがなかった二人が接点を持ったきっかけは、アイゼイアの兄・マーカスの死だった。両親が死んでから兄と二人で暮らしてきたアイゼイアは、一人になっても今のアパートメントを離れたくないばかりに、家賃をアテにしてドッドソンを同居に誘ってしまう。
ドッドソンはすべての元凶であり、こいつのせいで何人もが血を流すことになった正真正銘のクズなんだけど、なんとも言えずカワイイやつ。162cmのオシャレさんで、服道楽に金を費やすかと思いきや、料理が趣味でフードチャンネルのアイアン・シェフやチョップドをよく見てたり、アイゼイアの予測に反して綺麗好きだったりする。アイゼイアに初めて食べさせた手料理のチキンガンボを、8年後にまた作って出したのに気づいてもらえずがっかりしちゃうんだよ? 完全に萌えキャラじゃん。アイゼイアにいつも推理を先回りされて悔しく思っているが、他人の感情を汲み取るコミュニケーションの面ではドッドソンのほうが優れていたり。兄の死から目を逸らしたいと思っているアイゼイアの気持ちを察して、優しい労わりから強盗をやろうと持ちかけるやり口なんかサイテーでサイコー。このドッドソンのワルなんだけどお茶目なキャラ設定のおかげで、二人の同居生活が「悪質だけどていねいな暮らし」になっていく、その描写がほんとうにツボ。
2013年時点では殺し屋にも一目置かれるような探偵になっているアイゼイア。2005年のまだカッコ悪い頃の姿を記憶しているのはドッドソンとデロンダくらいだ。ドッドソンはアイゼイアは常に上から目線で自分をバカにしていると感じているらしいが、同居時代のアイゼイアはドッドソンの世慣れた振る舞いに少し憧れていたような心中の描写があり、それを表に出さないようにしているところにニヤついてしまう。ドッドソンお手製のBLTサンドで、兄が死んで以来失っていた、食べ物を美味しいと思う気持ちがアイゼイアに蘇ってくるくだりもすごくない? BLじゃないっていうほうがおかしいよ、こんなの。2013年のドッドソンの家に行ってテレビの録画見ながら「なぜここで鑑賞することに同意したのか、そもそも、なぜそんなものを鑑賞すると言ってしまったのか、アイゼイアは自分でもわからなかった」って一文もなに? ありがとうね。
ドッドソンがやらかしたド級のバカ失態のために、アイゼイアが不本意ながらピストルを握ってしまうクライマックスは心で感謝の涙を流しながら読んだし、二人の和解の会話はもう…こんなに気が利いて...

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2020年9月13日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年8月17日]
カテゴリ 小説

1945年2月。捕虜としてドレスデンにいたカート・ヴォネガットは、連合国軍によるドレスデン爆撃を目の当たりにした。長年その体験を小説にしようと考えてきた彼は、ビリー・ピルグリムという男を創造する。ビリーは同じくドレスデン爆撃を生き残ったが、帰国後にトラルファマドール星人に捕まって以来〈けいれん的時間旅行者〉となって、過去・未来の区別なくランダムに時空を飛び回ることになった。PTSDに悩まされる帰還兵の心理をSFに落とし込んだ反戦小説。


あからさまに兵士のトラウマからくるフラッシュバックを題材にした作品なので、「SF…?」と疑問符を浮かべながら読んでしまったけど、本文中に「二人とも人生の意味を見失っており、その原因の一端はどちらも戦争にあった。(略) 二人は自身とその宇宙を再発明しようと努力しているのだった。それにはSFが大いに役に立った」というくだりを見つけ、悲惨な現実に対してなにかフィクションが効用をもつのではないかという祈りのような物語なのだと思った。
特に印象深いのは、トラルファマドール星人との初邂逅を前にベッドを抜け出すシーンと、爆撃後のドレスデンの街を月面にたとえたシーン。どちらもSF的な書き方によって「宇宙の再発明」を試みるビリーとヴォネガットの思いが感じられる。そうした静かな場面が活きるのは、戦場での、あるいは戦後のアメリカ社会やトラルファマドール星でのスラップスティックめいたマンガ的な日々の描写のためでもある。トラルファマドール星人とのやりとりはナンセンスなコントのよう。
ヴォネガットはビリーを英雄にしなかった。作中唯一の例外は、のちに戦犯となるキャンベルに勇気を持って反抗したエドガー・ダービーだが、彼はティーポットを盗んで射殺された。ヴォネガットが戦争体験を“タフな男たちの物語”にしなかった理由はプロローグに記されている。そもそもヴォネガットがタフな男の話を書くつもりだったかはわからないが、結果としてこの作品は戦争の虚しさと人間の悲しみがひたひたと肌に感じられる稀有な語り口になった。ジェノヴァの善良な人びと、万歳!

2020年9月13日

読書状況 読み終わった [2020年8月14日]
カテゴリ 小説

20世紀、カナダ。終戦の十日後に自動車事故で死んだ妹のローラは、姉のアイリスに学習帳の束を遺していた。死後出版という形で発表されたローラ名義の小説『昏き目の暗殺者』はゴシップ好きの好奇の目にさらされ、数十年後の今に至るまでカルト的人気を誇っている。83歳になったアイリスは、ひとりで暮らすいまの生活と、ボタン工場で一財を成した祖父の代から続くチェイス家の歴史をノートに記しはじめる。アイリスの現在記録と過去回想、ローラの小説と当時の新聞記事からの断片で構成された、モザイク模様の〈姉妹〉の物語。


最初、というか上巻まるまる一冊ぶんくらい、何が主題の小説なのか掴めず戸惑った。ローラがなぜ死んだのかという話かと思えば祖父の代に遡って話し出すし、リチャードとローラとアイリスの三角関係かと早合点すれば別の男が出てくるし、こちらの勝手な予測がことごとくスカされ、謎がどこにあるのかすらヴェールに覆われている。けれど、アイリスの文学的すぎる悪態と戦前の社交界の様相、そして作中作『昏き目の暗殺者』に惹かれて読み進めると、アイリスが書きながらにして隠そうとしてきたものたちが少しずつその恐ろしい姿を現しはじめる。
アイリスは本当にあの時点までリチャードの悪事を知らなかったんだろうか? 下巻でのローラとのやりとりは、わざと何度もSOSを受け取り損ねているようにみえる。上巻で語学教師がローラに手を出したときのアイリスの態度が、のちのちに効いてくる。ローラに対して、そして娘のエイミーと孫のサブリナに対して、83歳のアイリスは深い罪悪感を抱いている。きつすぎる皮肉を飛ばすことでその罪悪感を茶化そうとしているが、そのような書き方を選ぶほど、彼女がいまの孤独な生活を〈罰〉だと考えていることがわかって痛ましい。
私は一人っ子なので、こうした姉妹間の感情の機微についてはよくわからないところもあるが、〈長女の呪い〉の裏側に〈次女の呪い〉がべったりと張り付いていたことに気づく小説なんだろうなぁ。また、物語内で前面に顔を出すのはリーニーにしろウィニフレッドにしろ女性たちだが、その後ろには常に呪いをかける側の男性が隠れている。ウィニフレッドがどんなにムカつく女だろうと罪の主体はリチャードだし、ローラを殺したのは10代のアイリスをリチャードに“売った”父のノーヴァルだとも言える。
つまり、本書はフェミニズム視点から20世紀を語り直した歴史小説でもあるだろう。モダニスト、服飾芸術、精神病棟などなど、“女性特有の問題”をめぐるおなじみのモチーフも登場する。解説では〈盲目の暗殺者〉が指すものについて「エロス、歴史、エゴ」を挙げた《ロンドン・レビュー・オブ・ブックス》を紹介し、訳者はそれに「戦争」を付け足しているが、一つさらに重要なものが抜けている。「婚姻制度」だ。〈長女・次女の呪い〉以上に、〈婚姻制度の呪い〉をテーマにした作品だと思う。
大長編だし要素がてんこ盛りなのでいろんな切り口があるが、私には語りが魅力的な一冊だった。耽美的で露悪的な作中作『昏き目の暗殺者』におけるサキエル・ノーンの物語は山尾悠子が書くSFのようだし、老境のアイリスが吐くズキズキするような悪口は金井美恵子、大仰な詩や神話の引用によって重層的な詩情を醸し出す語りは皆川博子を思わせ、女性作家のよいところが一度に全部楽しめるようなお得さがあった。
また、娘の視点で父性の罪を暴く意味ではアンジェラ・カーター『ワイズ・チルドレン』のよう。一つの姉妹を通して20世紀を描いた点でも類似した二作ではないか。リチャードとローラの関係、罪悪感をいだく語り手のおどけた語り口などからは、やはり『ロリータ』を連想せずにいられない。終わり際は「すごい、『異形の愛』になった!」と思った。
アトウッドを読むのは初めて。鴻巣由季子さんの訳の美しさに感謝。

2020年9月13日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年8月11日]
カテゴリ 小説

日本で本格的に春画研究が始まった90年代後半〜2001年にかけて書かれた春画論。

本論に入る前の「江戸はトランス・ジェンダー」という若衆論が、日本の男性アイドル観のようで面白かった。「男にとっても女にとっても、若衆は自分と同じ性をもっていて、しかも非現実的な存在だった。男にとっては女の生々しさがなく、女にとっては男のむさくるしさがない。この世の者ではないかのような浮遊した存在なのである」。肝心の春画紹介では若衆は一、二枚しか出てこず残念。
日本のポルノである春画は(というか浮世絵全体だと思うが)、服飾芸術と強く結びついてハイコンテクストな世界を作っていた。それは文学においても同じで、のちの鏡花まで続いていく。黎明期からたくさんの絵師が紹介されるのだが、やっぱり歌麿だけ笑ってしまうくらいクオリティが高い。北斎は「関係を描くことや、絵を見る側の内面を想像することのできない絵師だったのかもしれない」という指摘が面白かった。

2020年9月13日

読書状況 読み終わった [2020年8月9日]

80年代後半から92年までに書かれた中篇4篇を収めた作品集。

「デュオ」
交通事故で恋人を亡くし、自身で演奏する能力も失ってピアノの調律師となった緒方は、恩師からグラフェナウアー兄弟を紹介される。デネスとクラウスのシャム双生児であるグラフェナウアーは、一本ずつの腕をテレパスによって統合し完璧にピアノを奏でる天才だった。耳が聞こえず喋ることもできない兄弟の手話通訳を務めるジャクリーンと親しくなるうち、緒方は双子に“もう一人”が存在することを知る。

特にクラシックにもピアノにも詳しくない人間にも、聴力以外の感覚を喩えに使って双子が奏でる悪魔的な音楽を感じさせる表現力。「ふかふかの鍵」のくだりはピアニストの身体性を伝えていて面白かった。でもやっぱり先に「海の指」を読んじゃったからちょっと物足りなくもある。結末は絶対ジャクリーン本人が銃を握って殺すべきだったと思います。


「呪界のほとり」
追っ手から逃げるうち、呪界-地面を叩けばどこでも水が湧いてくる魔法の世界-から飛び出してしまった万丈と相棒の竜。辿り着いた辺境の星アグアス・フレスカスには、呪界に強い憧憬を抱く老人パワーズがひとりきりで暮らしていた。

ラノベというかゲームのノベライズっぽい。特殊な用語がポンポン出てくるけど、説明過多に感じさせずになんとなく察することができる情報コントロールが巧み。しおらしいのに全然言うこときかない竜のファフナーがかわいい。


「夜と泥の」
若い頃”リットン&ステインズビー協会“で共に働いた蔡に呼びだされ、とある星にやってきた「わたし」。「いいものを見せてやる」と言った蔡に案内されたのは、地球化[テラフォーミング]のために協会が使わした人工衛星たちが暴走し、夏至ごとに一人の”少女“を復活させるという沼だった。

これ好き!『タフの方舟』を思わせるような、地球人の思惑の裏をかく異星の意思が描かれ、それに取り憑かれた蔡の姿はホラー的でもある。ヒトの生みだしたものがヒトの手に負えなくなって野生化していく描写、いいよねー。


「象られた力」
〈シジック〉のイコノグラファー・クドウ圓は、“リットン&ステインズビー協会”の文化事業部に依頼され、つい先日跡形もなく消え去った隣接星〈百合洋〉の言語体系“エンブレム”の謎解明のため動きだす。エンブレムは図形によって情報を多層的に伝達できるため、同じ星系の〈シジック〉〈ムザヒーブ〉でも急速に普及しはじめていた。〈百合洋〉はなぜ滅んだのか、エンブレムに秘められた力とは。

面白かった〜!これも“文字禍”の話。エンブレムに侵食された人びとの陶然とした言葉遣いと、畳み掛けるオブセッションの艶やかさは『13』のころの古川日出男を思いださせる。〈百合洋〉出身の建築家ハバシュが生んだ現代アートの延長のような建物や、圓の恋人・錦がつくるエンブレム・タトゥーのオートマシン、あるいは極小のエンブレムがラメになったアイシャドウや、圓とシラカワが食す〈シジック〉のビーガンじみた菌類食などのディテールから星系の文化を窺いしれるのも楽しい。そんな〈シジック〉の物語をメタ化するオチは、万物から常に物語や意味を見いだそうとする人類のサガを優しく俯瞰で眺めている。この“リットン&ステインズビー協会”もの、シリーズ化してほしかったなぁ。


4作品に共通するのは、実体のないものが実体に干渉し、その精神を支配し、実体よりも実体たろうとする巨大なパワー。これは「フィクション」のメタファーでもあるだろうし、のちの『グラン・ヴァカンス』で結実したヴィジョンなのだろう。

2020年8月23日

読書状況 読み終わった [2020年8月5日]
カテゴリ 小説

甲骨文と金文(青銅器に刻まれた銘文)の研究によって、漢字は古代の神聖国家・殷の巫祝王による祭祀と呪術から生まれてきた文字だとし、個々の漢字の図像的な成り立ちから古代国家の宗教と生活に迫る、白川静の代表的な著書。


漢字は獣骨や亀甲を用いておこなわれる貞卜のために生まれたと考えられている。貞卜は単なる占いというよりも、王による予言とその成就を記録することで、巫祝王としての神聖性を表すものだったという。「文字はことばの呪脳を吸収し、定着し、持続するためのものであった。またそれを通じて、王の神聖化に奉仕するものとして作られたのであった」。こんなふうに文字の起源を王権に求めることがマルクス主義に席巻された70年代の大学界でどう受け取られたかは、松岡正剛『白川静』で知った。
中国で漢方の「竜骨」として出回っていた骨から近代の甲骨文研究がはじまったこと(!)や、先行研究に軽く触れたあと、すぐに怒涛の勢いで個々の漢字を解体し、独自のルールで読み解いていく。その確信に満ちた物言いにはじめは面食らったが、硬質で理知的な文体が古代神聖王朝に捧げられているところが白川先生の魅力だと思う。特に第二章「神話と呪術」冒頭「風のそよぎ」の導入部分は、ヨハネ伝のオマージュのようでとても美しい。
「媚」は戦いの先頭に立ったシャーマンの巫女、「蔑」はそれをとらえて戈[ほこ]で殺し、呪能を奪うことを指したという。ということは、中国の神聖国家も元々は巫女をトップにする女権王朝だったのだろうか。権力が男性に移行したとき、文字と記録の概念が生まれたのだとするとつじつまは合うような気がする。第四章「秩序の原理」の「刑罰について」も面白かった。「幸もまたカセの形であり、これは手に加えた。のちの手錠にあたる。これを両手に加えている形は執である」!
刺激的だったけど、読書って、勉強って大変だな、ということを思い出させてもくれる本でした。でもまた他の著作も読んでみたいと思う。

2020年8月19日

読書状況 読み終わった [2020年7月29日]
カテゴリ 新書

はるか未来の地球。不動[スティルネス]と呼ばれる巨大大陸は、数百年ごとにやってくる天変地異〈第五の季節〉と地震の脅威に晒されていた。人びとは〈用役カースト〉という世襲制の役割分担を作って〈季節〉に備えていたが、〈オロジェン〉、あるいは差別的に〈ロガ〉と呼ばれる者たちだけはカーストからもはじき出されている。オロジェンは地震を操る能力を持ち、それゆえに忌み嫌われ、権力者に管理・制御されるべきと考えられている人びとだ。オロジェンでありながら身分を偽り、二人の子どもを奪われた女性エッスンと、〈守護者〉に引き渡されオロジェン育成学校に入学したダマヤ、オロジェン最高峰の能力者アラバスターとバディを組むことになった〈帝国オロジェン〉のサイアナイト。三人の物語はやがて一つに重なり、スティルネスの、そして未来の地球が隠した巨大な謎に直面する。〈破壊された地球〉三部作の第1作。


いま我々がいきる世界が「神話時代」と呼ばれ、石伝承という旧約聖書じみた聖典によってしか窺い知れない過去になっている世界の話、というだけでワクワクしてくる未来の話。スティルネスはちょうど南北の中心を赤道が走る大きな大陸で、北米とアフリカがくっついたような感じ。かつてはサンゼ人という種族が統一支配していたらしいのだが、いまはそこまで影響力はない。だがサンゼが築いた都市ユメネスはいまだに尊敬を集め、人びとは容姿にサンゼ人の特徴がどれかほど表れているかを美醜の基準にする。こういう未来の文化人類学的なディテールが楽しい。
本作を語るキーワードは、地震を操る能力〈オロジェニー〉、そしてフェミニズムと鉱物幻想の三つあると思う。
まずはオロジェニーについて。地震を操る能力とまとめてしまうのは実は正確ではなく、大地に張り巡らされた地脈を自身の体内のできごとのように感じ、地上にある熱エネルギーを使ってその結節点に作用できる能力である。自然状態のオロジェンは感情と力が直で結びついていて、ほかの人間にとっては脅威となる危険な存在。つまり、自分の力に気づいていない子どものオロジェンが一番危ない。
だが、フルクラムにある訓練学校を出て帝国オロジェンになると力をコントロールできるようになり、オロジェニーを持たない人びとに対して「役に立つ」ことをアピールするため、常に冷静沈着であれと教えられる。オロジェンは地震を防ぐこともできるが地震の元凶ともなりうるがゆえに被差別民であり、帝国オロジェンは一目でそれとわかる全身真っ黒の制服の着用を義務付けられている。十指輪という最高ランクに達するまで住居は一人部屋すら与えられないし、優秀であればあるだけ種馬として子を成すことを強制される。そして訓練で制御不能と判断されたオロジェンは、力だけを搾取できるよう思考を奪われ、肉体も縛り付けられ、地震を抑止するシステムに奉仕するだけの機械となる。帝国オロジェンとして権力に仕えるサイアナイトとアラバスターは、こうした非人間的なシステムのなかでもがいている。
私は特にアラバスターが好きで、まさかこんな「自身の力が強すぎるがゆえにメンタルがバッキバキにひび割れた加害者意識過剰な中年男性」というドツボを突く男がさ……後半あんなことになると思わんよね……。ありがとう、N.K.ジェミシン。エロティックなシーンの描き方も繊細で、優秀な子を残すというミッションを強いられたサイアナイトとアラバスターの行為はどこまでも味気なく暴力的ですらあるのに(当然第三者からセックスを強要される状況自体が暴力なので)、イノンとの出会いを通じてサイアンとバスターの関係も思いやりを伝え合う良好なものに変わっていく。イノンの終身名誉ヤリチンぶりが頼もしい。
性的なことがらの書き方はフェミニズム的だが、男女間の対立を煽るような表現がなかったのも良い。エッスンの暮ら...

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2020年8月19日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年7月29日]
カテゴリ 小説

白川静が生涯をかけて漢字の字源を研究し読み解こうとしたのは、中国のみならず日本も含めたアジアの精神史であったことを松岡正剛が解説する。


何度目かの『漢字』(岩波新書)にトライ中、誰かのガイドがほしい…という気持ちで手に取った。期待通り、白川先生以前の漢字研究、日本の中国文学研究史における白川文字学の立ち位置などが掴めて助かった。
白川先生の個人史では、マルクス主義が60〜70年代の大学を席巻するなか、古代の王権が漢字の思想を創り上げたとする主張は反感を持たれた、という点にハッとした。たとえ古代を研究対象にしていても、現在地点の影響を受けずにはいられない。
白川先生が漢字の成り立ちに目を向けたのは、元々『万葉集』の万葉仮名を通じて、日本が大陸からの輸入品である漢字をどうフィットさせていったのか、という点に興味を惹かれたからだという。このことは『漢字』の最初のほうだけを読んでいるのでは全然わからないことで、白川先生の研究内容が身近に感じられるようになった。また、白川先生の魅力である(難所でもある…)硬質な文体は、幸田露伴に影響を受けたのだとか。
ナビゲーターとしての松岡正剛は頼り甲斐がある。饕餮文や孔子伝など、白川先生が追求しきらなかったことや事実誤認していた事柄にも触れつつ、全体としては深いリスペクトに溢れている。「東の野にかぎろひの立つ見えて〜」を含む柿本人麻呂の「安騎野の冬猟歌」をめぐる白川仮説を噛み砕いて説明しているくだりでは、私もその興奮を追体験できた。

2020年8月16日

読書状況 読み終わった [2020年7月29日]
カテゴリ 新書

視覚障害者が〈見る〉はっきりとした幻覚、シャルル・ボネ症候群。感覚遮断によって生み出される「囚人の映画」。さまざまな薬物に手を出した著者自身の体験から語られるトリップ幻覚。愛する人やペットを失った人びとが見る〈幽霊〉まで、脳神経科医が出会った実際の事例を元に、脳が見せるさまざまな幻覚を語るノンフィクション。


原題はずばり「Hallucinations」。この言葉は1830年代に「幻覚」の意味で使われるようになったが、元は「さまよう心」という意味だった。それ以前、幻覚は単に「apparition(亡霊)」と呼ばれていたという。MRIによって脳の活動を見ることができるようになる前は、幻覚を見ること=狂気と同義だったのだ。
読みごたえがあるのはやはり著者自身の大麻、LSD、抱水クロラール(鎮静剤)などによる幻覚体験を綴った第6章。虹の七色に含まれる「真の藍色」を見ようと、60年代当時は合法だった薬物をサックスみずから調合した。
「それは天国の色であり、私が思うに、中世イタリアの偉大な芸術家ジョットが生涯をかけて出そうとしたが出せなかった色だ。天国の色は地上では見ることができないから実現できなかったのだろう。しかしかつて存在したのだと私は思った。それは古生代の海の色。かつての海の色だ」
こんな恍惚とした体験もあれば、禁断症状が見せる幻覚の何も信じられなくなるような恐怖も味わい、サックスはその後薬物をやめたという。
本書に書かれている事例の中で、私にも心当たりがあったのは入眠時幻覚。子どもの頃は寝転がって天井の木目を見ているうちにそれが動いたりチカチカ光ったりし、気がついたら寝ているようなことが多かった。サイケデリックな色味のフラクタル模様が万華鏡のように移り変わる映像もよく見た。昔のiTunesのヴィジュアライザがそれにそっくりだった。
シャルル・ボネ症候群の女性が見る「黒いヘブライ文字が白いバレエの衣装を着て」「文字の上のほうを腕のように動かして下のほうでとても優雅に踊る」ステージの幻覚や、皿の上の果物を幻覚が勝手に補充して、まだ残っていると思って手を伸ばすと皿が空になっているという話がどこかおちゃめで面白かった。超常現象を否定する論者(大槻義彦みたいな)が、長いドライブの途中で宇宙船に攫われる幻を見た話も。アメリカ人のエイリアン・アブダクション信仰って、だだっ広い道が感覚遮断状態を作り出すせいなのか?

2020年8月5日

読書状況 読み終わった [2020年7月22日]
カテゴリ エッセイ

昭和9年の大晦日、東京。新聞記者の古市加十は顔なじみの女に誘われたバーで安南国の皇帝と知り合う。連れられるまま皇帝の愛人・松谷鶴子の住まう有明荘を訪ねたのが運の尽き、加十は思いもよらぬ大事件に巻き込まれ、皇帝の影武者をやることに。松谷鶴子の他殺疑惑、公園の噴水の鶴が歌う珍騒動、300カラットのダイヤモンド盗難、有明荘住人たちの痴情などがもつれにもつれて絡み合い、警視庁の切れ者・真名古の捜査は難航する。東京という〈魔都〉だからこそ24時間中に起こりうる出来事をこれでもかと詰め込んだ、豪華絢爛なエンターテイメント。


十蘭は洒脱。十蘭はドライ。死体がゴロゴロ出てくるのに徹頭徹尾カラッとしている。十蘭の小説のスタイル自体が、この小説における皇帝のキャラクターのようにすっとぼけていると言えばいいのか。
講談調のリズミカルな語り口と映像喚起力の高い描写でするすると読める。誇張された登場人物たちも、十蘭の手にかかれば類型的でお人形のようであること自体が魅力になる。インヴァネスを翻しながら孤高に捜査する真名古警視と、人をカマかけるのが群を抜いてうまいダンサーの川俣踏絵が好き。会話のうまさは一級品。女同士の啖呵の切り合いは痺れるカッコよさ。
昭和初期の都市伝説などを知ることで、当時の東京の空気が知れるのも勿論楽しい。建築中のNHK東京放送会館の工事現場から江戸時代に掘られた大伏樋へ通じる暗道を見つけた加十の目に、皇帝が着ている服ボタンから落ちたカーネーションの赤が飛び込んでくるところなど、十蘭の「絵力」を感じる。かつて東京という都市がもっていた煌びやかなダンディズムと軽やかな喜劇の精神をパッケージした、説教も耽美趣味もない痛快な娯楽作。その軽さの裏には豊かさがある。

2020年8月5日

読書状況 読み終わった [2020年7月18日]
カテゴリ 小説

文字通り“雷に打たれて”以来、ピアノを弾くことに取り憑かれてしまった医師。隣人の家から大音量で流れるレコードプレーヤーの音楽のような幻聴。聴覚は機能しているのに脳が音楽を構成する要素をうまく感知できず、無感動になってしまう失音楽症。反対に、言語に不自由を抱えている人たちが音楽の力によって、コミュニケーション手段やアイデンティティを取り戻す過程。脳神経科医の著者が出会い、あるいは送られてきた手紙や時に自身の体験談から、音楽とヒトの脳の関係を語ったノンフィクション。


私が本書で一番興味深かったのは絶対音感にまつわるくだり。ニューヨークと北京の音楽学校で行った調査で、4歳から5歳のあいだに音楽の訓練を始めた生徒のうち、中国人生徒は約60%が絶対音感の基準を満たしていたが、英語話者の生徒は約14%しか基準を満たしていなかったという。この差は中国語が言葉の意味を区別するのに音の高低パターンを用いる「声調言語」であることに関わっている。幼児期において言語能力の発達はふつう絶対音感の保持を妨げるのだが、声調言語はそれ自体音感を必要とするために、絶対音感も保たれるということらしい。
これは同時に乳幼児はみな絶対音感の潜在能力を持っているのだが、言語を習得するため、あるいは聴覚情報を総合的に処理できるようになるために抑制されていくものだということも表している。話はさらにネアンデルタール人の時代へ飛び、原始の人類は音楽でコミュニケーションをとっていたはずなのだが、言語の発達により大部分の人間は絶対音感を失くし音楽能力が縮小した、というスティーヴン・ミズンの仮説を紹介している。
まるで「文字禍」。他の章では古代ギリシャ人が膨大な「イーリアス」や「オデュッセイア」を覚えていられたのは叙事詩に節がついていたからだ、という当然の指摘もあり、ネアンデルタール人と比べて音感が退化してからも人びとは音楽で記憶をつなぎとめていたとわかる。言葉と文字が音楽をコミュニケーションの中心から追いやってしまったのだろうか。
もちろん音楽は今でも人間の記憶と感情を喚起させる力を失ってしまったわけではない。本書第3部、第4部で紹介された音楽療法で救われたさまざまな人たち、特にチック症状に悩むトゥレットの患者たちがドラムを叩くことで解放されていく姿にはとても感動した。視覚・聴覚・知覚に障害を抱える人みなに音楽が作用するのはそれが〈振動〉に他ならないからではないかとも思い、コロナ禍の今、現場で音楽を共有することの意味をまたもう一度考えることになった。
音楽に救われた人だけでなく、音楽に苦しめられた人びとも紹介されている。その多くは耳をよく使う音楽家だ。蝸牛管の衰えによって大脳皮質における音のマッピングが歪んでしまい、音感がズレてしまった作曲家の「自分がもっている耳で仕事をするんですよ。自分がほしい耳ではなくてね」という言葉には胸が痛んだ。聴覚が変調をきたすと、その空白を補うために脳が幻聴を聞かせることもある。ヒトの脳は〈意味〉を求め、〈意味〉をつくりだすことから逃れられないのだ。

2020年8月2日

読書状況 読み終わった [2020年7月17日]
カテゴリ エッセイ

ニューヨークで国税庁職員のふりをして詐欺をはたらいていたトム・リプリーは、かつての友人ディッキー・グリーンリーフの父親から「ヨーロッパへ行って帰ってこない息子を呼び戻してほしい」と依頼を受ける。トムがイタリアのモンジベロを訪ねると、ディッキーはマージという女性と共に悠々自適に暮らしていた。トムは徐々にディッキーと距離を縮め一つ屋根の下で暮らすまでになるが、二人のあいだには常にマージがいた。そしてある決定的な事件を境にトムはディッキーから疎まれてしまい、傷心のトムはディッキーを殺し彼になりすますことを思いつく。サンレモへの二人旅の途中、ディッキー殺害計画を実行したトムの危険な逃避行がはじまる。映画『太陽がいっぱい』の原作小説。


読み始めはどうしても昔見た映画版のぼんやりした印象といちいち照らし合わせてしまったのだが、話が進んでいくにつれこの作品もまた〈同性愛者の生き方〉を取り扱っていることがわかってきて驚いた。映画はヘテロセクシャルの物語として自然にみえるよう、筋がかなり変更されているようだ。(とはいえ、映画版にもホモセクシャルの要素があることは淀川長治が指摘していたらしい)
はじめに気になったのは『キャロル』の主人公テレーズとトムの境遇が似通っていること。二人とも孤児で他人の経済力に頼って生きてきたため、贅沢な暮らしに憧れ、今の自分の生活に嫌悪感を抱いている。テレーズは舞台美術デザイナー、トムは俳優を目指してニューヨークへ出てきたが夢破れ(かけ)ており、職業的に安定していない(トムが「デパートで堅実に働いていれば…」と考えるシーンも示唆的)。二人とも同性の友人がおらず、世間的に語られる“恋愛”に違和感をもっている。
ふたり旅が運命を大きく変えること(マージ視点から見たトム“と”ディッキーの旅はキャロルとテレーズの旅に似ていないだろうか?)、探偵とのハラハラする問答など、展開的にも『キャロル』と重なるところは多い。当時別名義で出版した『キャロル』のほうが先に出ているので、ハイスミスが『リプリー』でも共通のテーマを扱ったと考えても不思議ではない。トムの心理を詳しく見ていこう。
トムは打算まみれでディッキーの元へやってきたが、ローマでの夜遊びをきっかけに同居を許されてから本当に親愛の情を感じはじめる。このときトムの意識に性愛はなく、マージを疎ましく感じるのもディッキーをアメリカへ連れ帰るという目的のためだと考えているが、偶然ディッキーがマージの腰を抱いてキスするところを見てしまい、大いにショックを受ける。そして自分でもその衝撃の意味がわからないまま、ディッキーの服を着て鏡の前に立ちマージの首を絞めるという寸劇を演じるのだ。そこに帰ってきた他ならぬディッキーの言葉でトムが自覚を促され動揺するくだりは悲劇的だ。そしてトムが自身のセクシャリティにゆらぎを感じていたこと、「男を好きなのか、女を好きなのか、自分でもはっきりしないんだよ。だから、どっちもあきらめようと思ってる」というかつて言った“冗談”、しかしその言葉のなかには「事実もけっこうあった」「世間の人間と比べれば、自分ほど人の好い、心のきれいな人間はいない」という心情が読者に明かされる。
この日を境にトムはディッキーとマージから仲間はずれにされ、疎外感から精神的に不安定になっていく。ディッキーから決定的に嫌われてしまったことを認め「死にたいよ」と呟くシーンを起点に、ディッキーへの感情は反転して憎悪となり、ふたり旅に乗り気でないことを隠そうともしない彼をボートのオールで「たたき切るような感じ」で撲り殺す。犯行の直前、トムはひと気のない入り江で「ディッキーを殴りつけることも、飛びかかることも、あるいはキスをしたり、海に投げこんだりすることもできる」と考える。ここでキスを選ぶこともできた...

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2020年7月25日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年7月9日]
カテゴリ 小説

デンマークの片田舎。本島と地峡で繋がる離れ小島〈頭[ホーエド]〉に住む唯一の家族、ホーダー家。廃品を素材に使った大工仕事を得意とする父イェンスと太り過ぎだが優しい母マリアの元で、娘のリウは学校に行かず父と共に夜な夜な森で狩りをしながら暮らしていた。しかし、本島に移住していた父方の祖母エルセが帰ってきて状況は一変。閉鎖的だが満ち足りた家族の日常をエルセが壊そうとしたとき、イェンスはリウを伴って凶行に走る。何一つ失くしたくないというイェンスの執着が暴走し、静かな狂気に包まれたホーダー家は救われるのか。家をゴミ屋敷にしてしまう人の心理に迫ったデンマーク発のスリラー。


タイトルの『樹脂』は作中でイェンスが大事に持っている蟻入り琥珀のことであり、そこから着想を得た死体の保存方法にもかかっていく。どろりと重たい蜜のような愛情が家族を包みこみ、窒息させるまで追いこんでいくというメタファーでもあるだろう。妙に淡々と、それでいて着実に進んでいく狂気の描写もゆっくりと浸み出し垂れ落ちる樹液を思わせる。
本文はリウの一人称視点、マリアからリウへの手紙、イェンス/エルセ/ロアルに寄り添った三人称視点が入り混じる多声的な構成。イェンスの暴走を止められず、自身も娘が盗んだものと知りながらそれを食べ続けたマリアの手紙が、父と母を唯一の〈世界〉だと信じこんでいるリウの憐れさを強調する。ロアルはリウが食料を盗みに入る宿のオーナーなのだが、その状況から幼いリウを救おうと行動を起こしてくれるまともな人(でも一人で行かずに児相に連絡してほしい)。終盤は彼がホーダー家に潜入するサスペンスとそこからの逃走アクションが繰り広げられるのだが、リウもまた狂気に取り憑かれた者だとわかる最後の一文のキレ味がすごい。この小説はこのラストのために読んだ!と思わせてくれるようなゾクゾク感は久しぶりに味わった。
老女を窒息死させたあと夜の野で火葬する、赤ん坊を生まれた瞬間くびり殺してミイラにするなどグロテスクなシーンは多いのだが、本当に良い意味で描写があっさりしていて露悪的にならず、生理的嫌悪感がふしぎなほどないのも他にない読後感だと思った。とはいえ怖いところはしっかり怖く、特にロアル視点で見たホーダー家のなかは暗くて狭い上に足元をかけていくウサギたちの生ぬるい感触がぞわぞわする。ベッドに抑え付けられ、解放されたと思ったら人を塩漬けにするためのバスタブを持たされるのも怖すぎる。
家族と死体との共存生活はイアン・マキューアンの『セメント・ガーデン』にも近く、イェンスも上手く大人になれなかった子どものままだったのだろうと思う。「生き物は闇の中で殺すと痛みを感じない」という欺瞞を必要とし、ついには食料の盗みをリウ任せにしてしまうのも子どもっぽい。そんなイェンスの頭の中をトレースしたのがゴミ屋敷と化したホーダー家だったのだろう。
だからといってこの一家は最低最悪なだけでもない。イェンスに教わって作った弓でロビン・フッドのように獲物を仕留めるリウは健やかだと言ってもいいと思うし、森で集めた樹脂を濾過する静かな時間や天井から吊るされた本物のクリスマスツリーなど、憧れのスローライフ的な側面もある(笑)。
なぜ彼らの悪事がずっと露見しなかったかは〈頭〉という立地ゆえに人目がなかったことに尽きるので、本作をミステリーと言うのかは疑問だが(作者自身もそう思ってるらしい)、罪が罪と思われなくなるようなある種の聖域がどのように形成されていくか、という視点のホワイダニット/ハウダニットではあるのかも。あ、この既視感、『陰摩羅鬼の瑕』か。今気づいた。

2020年7月21日

ネタバレ
読書状況 読み終わった [2020年7月7日]
カテゴリ 小説

翻訳ミステリー愛好家の三人が1958〜63年にかけて書き繋いだ『エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン』での連載をまとめたもの。


古今の探偵小説を紹介するにも三者三様の好みと流儀があり、一冊でそれを読み比べられるのが楽しい。
福永武彦はやっぱり文章が上手くて、紹介する本を腐してることも多いんだけどツッコミが飄々としているのでサクサク読める。対して中村真一郎は腐し方が退屈なうえネチネチしている(笑)。
そして真打は歴史的仮名遣いになる前の丸谷才一。ミソジニー丸出しの内容をポンポン書いてはいるものの(「フェミニスト」を自称する男もれなく性差別主義者の法則)、やっぱり文章は一番面白い。冒頭だけ読んで挫折したウィルキー・コリンズの『月長石』、また挑戦しようかという気になった。『日の名残り』(20/6/13読了)の文庫解説でガックリした記憶が鮮明なのもあり、まともな時期もあったんだよなぁ…と遠い目に。『快楽としてのミステリー』でも読むか。

2020年7月21日

読書状況 読み終わった [2020年7月6日]
カテゴリ エッセイ
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