通称「歌姫」と呼ばれる日本製のホビーロボット・DX9の落下をめぐる連作。初音ミクを連想させる、ボーカロイドがそのままロボットになったような彼女たちは、再生されたツインタワーから墜落し、廃墟化しつつある団地から飛び降り、あるいは砂漠にパラシュート降下します。
 南アの首都ヨハネスブルグからニューヨーク、アラブを経て東京に至る物語の舞台の、内戦、テロ、虐殺、あるいは自殺といった荒廃した景色を背景に落ちるDX9、のイメージは私は好きでした。

 最初の表題作はあまりピンとこなかったけれど、二話めの「ロワーサイドの幽霊たち」から徐々に惹きこまれ、あとの三作はストーリーがなんとなく連続していることもあって一気に読んでしまいました。
 いちばん好きなのは「ジャララバードの兵士たち」です。鳥葬用の沈黙の塔、デジタルカメラやゲームなど、娯楽用に開発された日本の技術を転用して軍事利用するゲリラ(私も昔どこかで、プレイステーションなどゲーム機の高度な機能は軍事利用できると聞いた)、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』を想起させる台詞、ハザラ、レズビアンなど、道具立てがとにかく楽しかった。ルイとザカリーのキャラクターもよかったです。
 最終話「北東京の子供たち」の、高齢化によって廃墟やスラムと化していく高層団地群、というのも惹かれる舞台でした。自分が巨大団地に二十年暮らしてその移ろいを眺めていたというのもありますが、この話に描かれている北東京(赤羽あたりかな?)の未来図は結構リアルな気がしました。
「ロワーサイドの幽霊」は、アメリカ人にはこういうふうにあの同時多発テロを描くことはできないだろうと思いました。このところ東日本大震災を主題にした現代アートを幾つか興味深く見たのですが、そのどれもが外国の作家の手になるもので、やはり日本人にはこういう表現はできないかもなあ、と思って、それと似た感じ。

 作者がどこにもいないような淡々とした文章で、けっして明るいストーリーではないにもかかわらず、読後感があまり暗くないのも個人的にはよかったです。

2013年8月8日

読書状況 読み終わった [2013年8月8日]

読書状況 読み終わった [2013年7月8日]

読書状況 読み終わった [2012年7月5日]

 22歳で恋愛経験のない主人公の大学生・ホリガイの、自分のことを「処女」ではなくあえて「女の童貞」と称する気持ちに、自分が22歳だったときのことを重ねて深く共感したのが手にとったきっかけですが、実際読んだらメインのテーマはそこじゃなかった、というか、そこにとどまらなかった。
 語り口が軽くて飄々としているので読みやすいけれど、深刻な暴力を扱っていて、主題としてはむしろかなり重い気がします。それも、デートDVや児童虐待といった、日常に潜んで見過ごされてしまいがちな、最も陰惨なかたちをとる暴力。

 小学生のときに男子二人にボコボコにされたというホリガイの思い出、イノギさんが経験したとんでもない事件など、読んでいてつらくなるような「暴力」のエピソードが幾つかあるなかで、私は恋人のリストカットの傷口をたびたび傷つけて陶酔する河北にいちばん怒りを感じました。
 河北にその話を聞かされたホリガイは「彼の陶酔を削ぐ」ような発言をして飲み物を浴びせられ、「軽んじられた仕返しに河北はわたしを呪ったのだ」と感じるのですが、「おまえ以外のひとのまえではいい人間でいるよ、本当だよ」というのは確かにものすごく悪質な呪いだと思う。

 ホリガイは自分のことを「芯がなく、あちらこちらを見遣りながら、手をこまねいていて煮え切らない」などというけれど、作中に二度ある救急車を呼ぶ場面でのホリガイは決断力も勇気もあってすごくかっこよく見える。身長も175センチあるというし。
 ただ、イノギさんとの展開はかなり意外でした。この話は理不尽な暴力にひどく傷つけられた「女の子ふたり」の話で、それが本当に予想外だった。
 最後に吐露されるホリガイのイノギさんへの気持ちはすごく切なくて、友情とも愛情とも簡単に名付けられないこういう感情がいちばん美しいとあらためて思います。 

2012年4月21日

読書状況 読み終わった [2012年4月21日]
カテゴリ 文学

 カップルだったり夫婦だったり、収録作の登場人物たちは概ね異性と愛情のある交際をしているのですが、主題として描かれている「恋」は必ずしもその、わかりやすい二者関係のあいだにはない。
 主人公カップルのあいだにある愛情がそのまま作品のテーマになっているのは「森を歩く」と「優雅な生活」くらいではないでしょうか。幸せな恋愛生活が描かれているのもこの二作くらいな気がする……あ、「春太の毎日」もものすごく幸せな話か。

 一緒に暮らし性生活も含めて当たり前の日常を重ねていくことと、「恋」という狂気を孕んだ激しい感情はまったく別のもので、そしてそれは性別も、もしかしたら種族も関係なく生まれる感情なのだ、ということが全編をとおして語られている気がします。
 こういうのが本当の「恋愛小説」だと思う。正真正銘の恋愛小説というものは、甘ったるいどころか、むしろ怖ろしいものだと思います。

 私は「裏切らないこと」と「夜にあふれるもの」が好きです。
 単行本で出た当初、冒頭の母親の行為に本気でドン引きして読めなかった「裏切らないこと」は、最後まで読んだら弟を持つ姉としてよくわかってしまった。「夜にあふれるもの」はこれこそが恋! という怖ろしく美しい物語だと思います。

2012年3月10日

読書状況 読み終わった [2012年3月10日]
カテゴリ 文学

読書状況 読み終わった [2011年12月11日]

 ギムナジウム五年生(14歳くらいかな?)の男の子たちの、クリスマス休暇までの三日間のお話です。「飛ぶ教室」は主人公の5人がクリスマスに上演する劇のタイトルですが、お芝居そのものよりも彼らのやんちゃな日常がメインな感じ。
 柵を乗り越えて無断外出するのはもちろん、仲の悪い近隣の実業学校に人質をとられて喧嘩したり、紙くずかごに級友を入れて教室の天井近くに吊るしたり、高いはしごから飛び降りて足を折ったり。

 腕っ節が強くていつも腹ぺこのマティアス、怖がりでちびのウーリ、正義感の強い奨学生のマルティン、皮肉屋で大人っぽいゼバスティアーン、身寄りがなく作家志望のジョニー、という5人の少年が魅力的です。
 が、同じくらいかそれ以上にいいのが「禁煙さん」と「正義さん」というふたりの大人です。昨今は物語のなかにあってさえまともな大人が減ってきましたが、このお話で出てくる先生たちはみんなすごくまっとうで、責任をもって生徒たちを愛しているところにすごく感動しました。
「正義さん」は寄宿舎の舎監で、言いつけをまもらなかったら「二週間、自分にあいさつをしてはいけない」と少年たちをおどしたりします。この「変わったおどし」に「ききめはあった?」と尋ねる禁煙さんにジョニーが「おおありです」と答えるのですが、信頼関係があれば力なんかなくても男の子に言うことを聞かせることができるんですね(笑)

 個人的な恨みもないのに「学校の歴史をひきつぐだけ」で大げさな喧嘩をしたり、「いくじなし」とみんなに馬鹿にされて自分でもそれを気に病んでいるウーリが勇気を見せるために傘を持って高いところから飛び降りたり、「女の子」だった私には入っていけない、「男の子」の世界の出来事なんだろうな、と思いました。だからすごくまぶしくも見えるし、何でそんなことするんだろう……とついあきれちゃう気持ちもちょっとだけある(笑)
(私が読んだ岩波少年文庫版の訳者あとがきで、映画では喧嘩相手のエーガーラントという少年が少女に変更されていた、と好意的に書いてありましたが、私はこういう「男女平等」はどうも小手先っぽく見えてしまうなあ……その世界に「女」がいないならいないでいいじゃないですか)
 死ぬ気で高いところから飛び降りる、みたいな通過儀礼が男の子の成長には必要なのかな、やっぱり。ウーリは劇で女装して女の子役をやるはずだったのに結局足のケガで舞台には立てなくなり、その役を下級生に譲ることになった、というのも何だか象徴的だ。

 マティアスとウーリのあいだの友情が美しい。そのぶん、ゼバスティアーンがちらっとほのめかす孤独がせつない。
 あと、書かれたのは1933年で、ケストナーはナチスに目をつけられていたそうです。作中でドイツ語のクロイツカム先生が生徒に書かせる「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」という一文が重い。

 少年たちの合言葉「あったりまえ!」は原語だとどうなってるのか、気になる。
 
 

2010年11月23日

 この巻で主に語られているのはサンド夫人の娘・ソランジュの結婚をめぐる一連の騒動で、それに引っ張られてどんどん読み進めることができたんだけど、読み終わって印象に残るのはやっぱりドラクロワの煩悶だったりします。
 ようやく完成した議員図書室の天井画とそれを見るドラクロワの描写で第一部が完結するからかも知れないですが(しかしこの天井画、ほんとうに見たい……!)
 作中ドラクロワは仕事をするためにアトリエへ行くことへの「抵抗」を、単なる「怠け癖」ではなく「時間の問題」ではないか、というようなことを考え続けていて、最後に完成した天井画の下で「奪われたのは享楽の時ばかりではなかった。彼の生の時そのものであった。そして、削り取られたその痕跡を、画家はただ自分を見捨てゆくもう一つの生の、彼の不在の未来に於る持続を夢見ることによってのみ慰めねばならな」いことに呆然とするのですが、確かにひとりの人間が生きている現在をそれこそ食い潰すほど膨大に費やさなければ芸術は生まれず、あらためて残酷なものだと思いました。
 百年後のドラクロワの評価を知っているし、彼の絵を見てのんきに感動していたので感慨深く読みました。「自分だけが置き去りにされてゆく。今こうして家の中に取り残されているように、この十九世紀という時代の中に。そして彼ばかりが、自分から離れてずっとあとの時代にまで生き残っていく」という愛人・フォルジェ男爵夫人の嘆きもせつない。

 ジョルジュ・サンドは支離滅裂なくらい感情的に描かれていて、ショパンとの関係が破綻する経緯も一方的にショパンに同情するしかないような感じなのですが、……それでも私はサンド夫人がショパンの何を煙たく思うのかちょっとわかるような気がするなあ。
 ショパンを「現実には目を背け、何時も夢のような考えで頭をいっぱいにしている」としか理解しなかった彼女こそが世間知らずのお嬢様で、現実認識ができていなかったのは全くその通りなんですが。

 ところでこの小説、どこまでが創作なのか気になります。

2010年11月22日

読書状況 読み終わった [2010年11月22日]
カテゴリ 文学

 06年センター入試の現代文に使われた小説です。「僕」という一人称を使って語り合う文芸部の少女たちが印象的で、たまたま当時受験生だった弟にその問題を見せてもらってからずっと忘れられずにいました。
 これだけの情報では見つかるまい、と思いつつダメモトで探してみたらタイトルがわかって驚きました。インターネットってすごいな~。

 裕生たちほど日常的にではなかったけれど、思春期に「僕」「俺」という一人称を使うのは身に覚えがある感覚です。私もノリで使うことはあったし、周りの子にもいました。
 日本語には英語の「I」に相当する中性的な一人称がない、ということは私は今でも考え続けています。作中、裕生は「僕」を手放し「私」という一人称を選び、私も同じ一人称を選んでいるのですが、もっと何かあるのではないかという気がしていて……ないものねだりなんですが。

「女子校では誰も女性である必要がない。皆、ただ一種類の人間でありさえすればよかった。」
 私の出身校は共学だけどこの感覚はわかる。そういう扱いをしてくれる学校でした。だから卒業してから、周囲の目線にすごく戸惑ったなあ。

 校門、部室、理科の授業中など、学生生活のありふれた場面でほんの些細なことにも揺れてしまう感じやすさが丁寧に描かれています。「尚クン」と同じ感性を持っていながら、それゆえにうまく歩み寄れなかったり、「見る者」という傲慢な立場から中性的な美しい少女に恋心を抱いたりする裕生の心の動きがリアル。

 大人になることを留保したがる少女の話の終わり方は一つしかないとわかっているけど、やっぱり切なかったです。それだけ切実さが伝わってきた。
 まだまだ誰もが恋をして健康に大人になってゆける無邪気な時代の話だな、とも思ったけど。
 全体に端正な文章ですが、ラストシーンは特にきれいです。

 同じ本に収録されている『人魚の保険』も面白かった。来日したオーストラリア人青年の目で描かれる東京とその住人が新鮮で、著者は観察眼の鋭い人だなあと思いました。

2010年11月21日

読書状況 読み終わった [2010年11月21日]

 ショパン、ドラクロワをはじめジョルジュ・サンドなど後世に名を残した芸術家たちの日常を垣間見ている気分で、読んでいて楽しいです。結構下世話な話題で盛り上がっていたりするし、ドラクロワはしよっちゅう批評家や他の画家の悪口を言っているし。
 単純に「天使のような」(と作中でさんざん絶賛されている)美しい金髪のショパンと、自画像を見ても男前なドラクロワが親しく話をしているところは想像するだけでテンションが上がる。

 ショパンとドラクロワは篤い友情で結ばれているのですが、ドラクロワがショパンの音楽をも深く尊敬しているのに対してショパンはドラクロワの絵を心からは好いておらず、「自分が彼の音楽を愛するほどに、彼にも自分の絵を愛してもらいたいと」ドラクロワが思っているあたりは切ないです……
 ドラクロワは作中で結構酷評にさらされているんですが、読んでいると彼の絵を実際に観たくてたまらなくなる。国会の図書室の天井画とか、「地獄のダンテとヴェルギリウス」とか、「キオス島の虐殺」とかを。

 まだまだあと3冊あるので続きが楽しみです。
 

2010年10月23日

読書状況 読み終わった [2010年10月23日]
カテゴリ 文学

 わかったかわからないかと聞かれると正直わかってはいない気がするけど、嫌いではない。

 変な電話で連れ出されて海芝浦へ行くまでの、車窓から見える京浜工業地帯を夢現でスケッチしているような「タイムスリップ・コンビナート」がいちばん好きです。いきなりマグロ(のような何か)と夢のなかで恋愛している、という冒頭の期待を裏切らないヘンテコな小説でした。
 ホームの片側が海に面していて、改札口は東芝の工場の門に繋がっているから社員以外は出られないという「海芝浦」はいかにも架空の駅っぽいのに実在していたりとか、あくまで現実のこの日常の話なのに、「沖縄会館」を「沖縄海岸」と聞き間違えていきなり海へ連れて行かれてしまうような、不安な時空間。

 祖先が蘇ってきて、生者死者入り乱れて奇想天外な法事をする「二百回忌」はすごい迫力だった。よくこれだけ滅茶苦茶なイメージを幻視して文章化するなあと思います。「真っ赤なタカノツメを木綿糸に通してネックレスを作り、大鍋に沸騰させた湯の中へただ放り込んだだけの」トンガラシ汁とか、家がタコみたいな形で蒲鉾で出来ているとか。
 地面から生えてきた「凄まじい程の美少年」が、「千年にひとりの珍しい男フェミニスト」と喝采されるところが妙に苦い。

「なにもしてない」はつらい。超つらい。作家志望者は読んだら鬱必至。三十を過ぎて親から仕送りを受け、働かずに引きこもって売れない小説を書き続けるなんて苦行すぎる……「なにもしてない」で、「なにもしてない」という自意識に苦しみながrひたすら書いているからこそすごい幻視ができて、表現を研ぎ澄ませられるのかも知れませんが……。働くほうが圧倒的に楽ですよ……
 あとアトピーの描写がリアルかつ詳細すぎて軽くスプラッタの域。

2010年9月18日

読書状況 読み終わった [2010年9月18日]
カテゴリ 文学

 新聞連載で読んだときは『OUT』くらいスカッとするラストだったような気がしてたけど、結構救いがないというか、出口の見えない終わりだったなあ……。
 話が進んで、ギンジが自分の真実を取り戻せば取り戻すほど、追い詰められて逃げ場がなくなっていくような。

 終盤に出てくる2回のキスシーンがものすごく切ないです。あのキスは対になってる気がする。男と女、受動と能動、絶望と希望。
 あまりにも映像的なキスシーンなので、映画化すればいいのになあとか読みながら思ってしまいました。沖縄が舞台のロードムービー、結構いいと思うんだけど。

 ケンのかっこよさが異常だった……工場で奴隷同然に働かされてる中国人研修生をどうやったらあんなにかっこよく書けるのか。しかも新聞で読んだときはもっとすごい嫌な奴という印象で展開に唖然とした覚えがあったんだけど、「美しい象牙色の膚」とか「銀色のフレームの眼鏡」とかを読み飛ばしていたせいかなあ。いや、実際計算高くて嫌な奴なんですが。
 逆にジェイクは最後まであんまり垢抜けたヴィジュアルをイメージできませんでした。私の好みのタイプではないっていうだけかも知れない(笑)でも憎めないキャラでした。

2010年7月31日

 下流の若者たちのサバイバル人生ゲーム。記憶喪失の主人公がまったく状況を理解できないままに森の中を逃げているスリリングな冒頭からずっと緊張しっぱなしなので、愉快でも痛快でもない結構しんどい話なのに読みだしたら止まらない勢いがある。
 桐野夏生は社会悪にも、それに翻弄される人々の弱さや抜け目なさやずるさにも容赦がなく、厳しい。特にゲストハウス「安楽ハウス」とそのオーナーの釜田、釜田の恋人の香織など一見いかにも善良な見える人たちの何とも言えないいやらしさがすごくリアル。

 ギンジとジェイクが一度別れてからすれ違いの連続でなかなか再会できず、やきもきしました(笑)

2010年7月29日

読書状況 読み終わった [2010年5月18日]

 資本主義(拝金主義)がもたらしたディストピア小説を読んでいるようでした。最先端の科学がもたらす迷信と、法によって「正当」だと見なされる暴力が蔓延する、デオドラントされたクリーンな地獄。
 でもこの小説に書かれていることはかなりの割合で現実なんだろうな……

 それでも最後は読者に希望を持たせる楽観的な結末で、この読後感がクライトン作品の良さだと思います。徹底的に現実を踏まえて容赦なくリアルな描写を重ねていくのに、著者は希望を捨てていない。
 ……なのですが、クライトンはもういないのだと思うとたまらなく心細くなります……。複雑にこみいった問題をわかりやすく提示し、警鐘を鳴らし続けてくれたクライトンの作品がもう読めないのは、頼りにしていた先生を喪ったような気持ちです。

2010年5月5日

読書状況 読み終わった [2010年5月5日]

 冒険遺伝子・金髪遺伝子・社交性遺伝子……性格診断から裁判の証拠、企業の担保、広告の謳い文句までとにかく「遺伝子」がついてまわる。宗教のように科学「らしきもの」を盲信している大衆につけこむメディアや企業、お金に振り回されて倫理も正義感も麻痺している科学者ならぬ「科学屋」たちの姿にぞっとさせられます。
 マーケティング理論だけが最優先される社会。資本主義って本当にこわい。
 
 登場する遺伝子導入動物の振る舞いは非現実的で、そんなことありえないと思ってしまいつつ、作中で「生物(ウェット)アート」として紹介されている、緑色に発光するGFPバニ―・アルバや「犠牲なき革」は最近実際に「医学と芸術」展で展示を見たので……なんだか生々しいです。

 頻繁に場面が切り替わり、細切れに語られる幾つものエピソードがこの先どう繋がっていくのか、楽しみなような、怖ろしいような。

2010年4月30日

読書状況 読み終わった [2010年4月30日]

 20年以上前に書かれた物語で、10年ぶりに再読したけど、やっぱり新しかったし、文体を含めてすべてが圧倒的にかっこよかった……!
 この作品のあとに生まれた電脳空間モノのどれもが、未だに到達していない地点にこの作品はあると思います。AIはAI、構造物は構造物、肉は肉、それ以上でもそれ以下でもなく、現実世界とマトリックスのあいだに優劣はないという冷静な認識。サイバースペースに没入して肉体を蔑ろにする主人公のケイスを、作者は肯定的に書かないけれど、だからと言って肉体が所属する領域を電脳より優位におくこともしない。

 古いものが滅び新しいものが生まれる、という王道中の王道の物語で、初読時は話の細部がほとんど理解できないままひたすら冬寂(ウィンターミュート)の企てとニューロマンサーの存在に感動したんですが、今回はディクシー・フラットラインが男前だなーと思いながら読んでいたので、最後は思っていた以上に切なくて泣けてしまいました……。

 あと、登場人物の服装が結構細かく書き込まれていて読んでいて楽しかったです。モリイとか特に。ザイオン人がいつも音楽を聴いているのも印象的だった。

2009年12月30日

イエスの父さんが好きすぎる。
「滅びよ」って言うところで5分くらい笑いました。そうだよね……鳩だもの……
 あと梵天さんもいいですよね! 大天使たちもいいけど天部もいいよな~(天部は元のキャラからして、阿修羅以外も個性派揃いでかなり素敵です)。梵天さんが甘茶をぶっ放しているトビラが最高です。

 あと確かにイエスはよく聖書で「はっきり言っておく」と言っているので、りんご狩りで「はっきり言っておく」って言いだしたのも笑ってしまった……本当にネタが細かいなあ。
 りんご狩りといえば、ブッダが「もう結婚してるから」と言っているのに不覚にもときめいてしまった。ああ見えて妻子持ちだった。ブッダが生活感ありありでイエスがのほほんなのは、そのあたりの差もあるんだろうか……

2009年11月6日

読書状況 読み終わった [2009年11月6日]

 面白かった……!
 4巻では綱吉にはあまりいい印象がなかったのですが、5巻を読んだらこの人はこの人で凄いなと思わされました。吉保に「裏切るなよ」というシーンが好きです。あの場面すごくエロいと思う。
 綱吉と右衛門佐とか綱吉と吉保とか、結局本当に深いところで繋がっている(ように見える)ふたりほど肉体関係が発生しないんだよね……切ない。

 四十七士のエピソードを、浅野内匠頭だけ性別逆転させずに描いたのが、うまいなーと思いました。あのエピソードがいかに男性目線のものかというのが際だった気がする。
 まだギリギリ戦国を引きずっている家光の頃と、すっかり泰平平和に慣れきった元禄の時代の空気の違いみたいなものも伝わってきました。

 桂昌院と永光院が再会するところで泣きました。

2009年10月12日

 子どもの読者を意識した語り口ですが、大人のための絵本だと思います。もし、私が10歳ぐらいでこの本に出会っていたら、ふたばちゃんの存在が心底鬱陶しかったかも(ふたばちゃんがちょっと感じの悪い部分を見せるから、というだけではなく、彼女の正体が)。
 ……とは言えもはやつばきちゃんよりふたばちゃんの方に感情移入しやすい立場の今の私には、結構切なかった。子どもは子どもだというだけで夢の時間を生きているように思われ、描かれがちですが、実際には目の前の現実を生き抜くのに必死だったり、早いうちから大人の振る舞いを身につけていたり、さまざまな事情で「子どもにしか見えない」妖精や不思議の国と関わることなく(時には拒絶されて)成長したりもしますよね。
 梨木香歩はそういう大人に優しいなあ、といつも思います。マジョモリに招待されるのにも、遅すぎるということはないのです。

 ところで、お茶はおいしそうだったけど、お神餞はクリームやジャムをつけてもあんまりおいしそうな感じがしなかったなあ……。お神餞ていう名前がいけないのか。

2009年9月30日

読書状況 読み終わった [2009年9月30日]

 マルコ・ポーロがフビライ汗に、自分が旅してきた都市の話を聞かせるという設定で、架空の都市の見聞記と、各章の最初と最後に挿入されるマルコとフビライの対話で構成されている小説です。短い章節の集合体なので読みやすいかと思いきや、結構話が抽象的で読みづらい部分もあった……

 でもすごく面白かったです。最初のうち、登場する都市はお伽話のような不思議な都市、ありそうもない都市ばかりなのですが、物語がすすむに従ってだんだん不気味な都市が多くなり、ディストピア小説のようになってゆきます。
 印象に残るのはやはり最後の方の都市。「まるい頬を動かして木の葉や草を噛んでいる呑気な笑顔」が増殖し続けるプロコピア、廃棄物に取り囲まれてデオドラントな生活をするレオーニア、占星術師の計画にしたがって完璧につくられたはずのおぞましいペリンツィア、などです。

 あとマルコとフビライの関係がなんかいかがわしい。彼らの対話はやがて緊張していき、「(フビライが)そしてついにマルコを窮地に追いつめ、馬乗りになり、片膝をマルコの胸に押し当て、髭をつかんで問いつめるのだった」というフレーズさえあらわれます。
 物語終盤では時間も空間も定かではなくなり、彼らが宮廷で向かい合って話をしているという前提も揺らいできます。

 私がこの作品でいちばん好きな場面はマルコとフビライのこのやりとり。

「『まだ一つだけ、そちが決して話そうとしない都市が残っておるぞ。』
 マルコ・ポーロは首を傾げた。
『ヴェネチアだ』と、汗は言った。
 マルコは微笑した。『では、その他の何事をお話し申し上げているとお思いでございましたか?』」

2009年5月31日

「沼地のある森を抜けて」にダメージを受けてしばらく梨木香歩の本は手に取れなかった昨夏、この本を読みたかった、と心から思いました。癒されました(あまり使いたくない言葉だがあえて使う)。回復に向かう、強い物語です。

「どこかで朽ちて分解されてゆくだけのことだ。」
 この諦念が好きです。私が本当にだめなとき、救われるのはこういう言葉です。

 ミケルの話だって知っていたのに、作中で「ミケル」っていう名前が出たとき涙が出ました。
「からくりからくさ」の四人(とミケル)は本当にいとおしいので、彼女たちの物語が続いていることは単純に嬉しい。この一冊だけで問題なく読めますが、「からくりからくさ」と「りかさん」(の「ミケルの庭」)も読んでいるとより感慨深いです。
 ちなみに私は最初、語り手が男性だと思って読んでいました。
 色んな読み方のできる本だと思うのですが、私はあえて時間軸どおりに解釈するのもいいかな、と思いました。ラストが過去なんじゃなくて、メインが夢、という読み方。

 雪に閉じこめられる家、オイルサーディンの缶詰とアルコール、凶暴なミンク、という道具立てもいい。挿し絵も素敵です。

2009年4月3日

読書状況 読み終わった [2009年4月3日]

 マンガ家さんならではの創作にまつわるあれこれやマンガ話だけでなく、ジェンダーやフェミニズムにまではみ出ていくのが、人によっては鬱陶しいだろうけど私には興味深かった。

 三浦しをんとの対談の部分だけ、そうだよね! ほんとそう思う! とひとり熱く頷きながら立ち読んだことがあったのですが、改めて読んでやっぱり全編にわたって共感の嵐でした。
 その中でもよしながふみにより共感する部分と、三浦しをんにより共感する部分があって……フェミニズムに対しての立ち位置や、その立ち位置を自覚したうえで「普通の人と同じです! って顔をしてたい」という感覚と、「初めて生理が来てせつなくてって描かれてしまうと、男の人たちが初潮というものを何かものすごいことみたいに考えちゃわないかしらって」というあたりはよしながふみに、第一欲求としての性欲の切実さがわからないことと、そこから生じてしまう頑なさやショックに関しては三浦しをんに、叫び出したいほど同感です。私も吉田秋生の『櫻の園』は「あーそんなふうに描くから男の人が生理にヘンに夢をもつんだよ!」とやきもきしたし、『西洋骨董洋菓子店』の橘の「人生の半分」発言にはショックを受けました(笑)

 「肉体関係はなくても成立する」というよしながふみの「やおい関係」の定義や、こだか和麻との対談での「(女性は)本当は、男の人と同志で恋人になりたくて、でも男の人は女の人にそんなものは求めていないから……」という指摘は、本当に同じ事を常々考えているのでそれを言ってくれてありがとうございます! と思いました(笑)
 「少なくとも日本とアメリカにおいては最大の宗教は恋愛」(よしなが)という発言は本当に名言だと思う。

 三浦しをんとの対談で、少女マンガには行き場がなかった人たちの受け皿としてのBLから更にこぼれていくのは「『きみがぼくの運命の人』みたいな一対一の関係から恋愛が抜けたもの」ではないか、という話題があがり、「非常に重要なポイントだから、(BLの網から)別にこぼれなくていいよって思うんですけれど、こぼれていくんでしょうね」と三浦しをんが嘆いているのですが、まさにその「一対一の関係から恋愛が抜けたもの」を、私は読み手として切実に欲しているし、書き手として目指してもいるんですが……前途多難なんでしょうが。潜在需要は絶対あると思うけどな。
 創作に関わる話題だと、

「普通の感覚の人が読んでくれる時はどう思われてもいいんだけど、読者さんの中にはまさに(『西洋骨董洋菓子店』の)小野のような状況の人がいたりする訳で、そういう人が読んだ時に絶望的な気持ちにならないマンガでなければいけないと思いながら描いています」(よしなが)
「読み終わった人が、ただでさえ不幸だったのにより不幸になるようなものって絶対書きたくないと思っています。でも逆に幸せな人がより幸せになるようなものも書きたくないんです」(三浦)

 ……これ、同じようなことを藤田貴美も書いていて、私が惹かれる作品はもう全部背景にこういう作り手の思いが流れているような気がする。

『日出処の天子』は私もぜひ大河にして欲しい(笑)
この何年かで少女マンガの古典的作品を結構読みましたが、今のヘタな純文学よりよっぽど物語が深いし面白いしで、畏怖するやら文学の凋落に悲しくなるやらです。
 ちなみに母の影響で白泉社系のマンガばっかり読んで育ったおかげで、マンガ談義の部分にもわりとついていけました(笑)

 ……纏めるつもりが今もうひとつ書き落としてたことを思い出してしまった。
 やまだないと・福田里香・よしながふみの鼎談で、やまだないとが、岡崎京子はオタクを憎んでいた、という話をしていて、「岡崎さんはあれだけいろんな女の子を描いているんだけど、オタクの子はつねに...

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2009年2月17日

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