本書は和辻哲郎が欧州留学の際にイタリア各地を訪れて綴った美術紀行である。イタリア美術といえばルネサンス、特にその絵画が注目されがちだが、和辻の筆は、どちらかと言うと絵画よりも彫刻や建築などの空間芸術、とりわけギリシャ人が残した空間芸術を語る時の方が冴えている。ジオットからボッティチェリに至る数々の巨匠の絵画を論じても、総じて「よく描けてるね」という感じで、絶賛とまではいかない。東洋的な落ち着いた色調を好む和辻には、西洋絵画の色彩感覚が今ひとつ肌に合わないと見える。
一方「ミロのヴィーナスの比ではない」とまで褒めちぎる「シヌエッサのヴィーナス」を語る次の一節は圧巻である。「肉体の表面が横にすべっているという感じは寸毫もない。あらゆる点が中から湧き出してわれわれの方に向いている。内が完全に外に現れ、外が完全に内を示している。・・・霊魂そのものである肉体、肉体になり切っている霊魂である。」和辻は処女作『古寺巡礼』でも法隆寺夢殿観音の微笑にモナリザの微笑にはない「霊肉の調和」を見出していた。
ミケランジェロのモーゼ像も「中から盛り出るもの」を刻み出そうとするのだが、内なる精神を外に押し出そうと意匠を凝らすミケランジェロに対し、ギリシャ彫刻には内と外の区別がないと和辻は言う。ミケランジェロは「深刻」で「精神的」かも知れぬが偏っており、全体の調和の中で朗らかに安らうギリシャ人にはかなわないと。ミケランジェロを「ごたごた」していると評する和辻の美意識には簡素を重んじる東洋人の感性が滲んでいる。
建築においても和辻はシチリアに残るギリシャ神殿の「粛然」とした「単純さ」を讃えており、それをロマネスクの「厳粛」さでも、ゴシックの「神聖」さでもなく、唐招提寺の「魂の静けさ」に重ね合わせる。こう見てくると、本書はイタリアを介した和辻のギリシャ発見であり、東洋再発見の旅と言えるかも知れない。和辻の美意識のプリズムを通した比較文化論でもある。随所に散りばめられたイタリア各地の自然・風土への眼差しには常に日本との対比が意識されており、それは後に本格的な比較文化論である『風土』に結実する。
- 感想投稿日 : 2023年12月30日
- 読了日 : 2017年1月28日
- 本棚登録日 : 2023年12月30日
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