神学大全I (中公クラシックス W 75)

  • 中央公論新社 (2014年7月24日発売)
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神学大全は全体が三部構成になっており、本書はその第一部、しかもそのごくわずかな抄訳であるが、神の存在論証やトマスの存在論を中心に最も重要なテーマを扱っている。特筆すべきは厳密な原典読解による訳文もさることながら詳細を極める訳注である。これは一般読者にとって有難いことこの上ない。しかもそれがトマス研究の第一人者である山田晶氏によるものとあれば、おそらく専門家にとっても無視し得ない重要文献と言えるだろう。長らく古書市場で入手困難であったのもうなづける。二分冊で少々値ははるが再刊を喜びたい。

「神においては存在と本質は同一である」というのがトマス哲学の根本命題であるが、これについての山田氏の注釈が明晰である。「本質(エッセンティア)」とは「存在者」が「何であるか」を規定するものであり、「存在(エッセ)」とは、それによって「存在者」が現実的に「存在する」ものである。ここでアリストテレスの可能態と現実態の区別を想起してもよいだろう。 「本質(エッセンティア)」はそれ自体としては未だ「あらず」、「ある」ことの可能性を示す静的な概念である。「存在(エッセ)」とはこの可能性を現実的に「ある」ものとする動的な概念である。「神においては存在と本質が同一である」とは、神は「存在」そのものであり、これを限定するいかなる有限なる「本質」もなく、したがって、神の「本質」は無限であり、無限なる「本質」が神の「存在」に他ならない。山田氏はある著書『 トマス・アクィナスのキリスト論 (長崎純心レクチャーズ) 』でこのトマスの「存在(エッセ)」は「いのち」と置き換えることができると述べている。全ての被造物は存在と本質の複合であるが、被造物に「存在(エッセ)」即ち「いのち」を吹きこむことで存在者たらしめるのが、無限なる「いのち」そのものである神なのだ。

全訳は創文社から出ているが、1960年に刊行が開始され全36巻が完結したのは2012年であり、何と半世紀以上に及ぶ壮大な訳業である。その間バトンは高田三郎氏から山田晶氏、さらに稲垣良典氏へと渡されたが、いずれも我が国の中世哲学界の権威である。当然ながらこの全訳はよほどのトマスマニアでない限り、素人が容易に手を出せる代物ではない。本書の初版は1970年で第一部(1〜8巻)の訳業がほぼ完成した段階のものである。続編として第二部、第三部の抄訳が出ることを期待するばかりである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年12月29日
読了日 : 2015年3月28日
本棚登録日 : 2023年12月29日

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