真夜中の五分前―five minutes to tomorrow〈side‐B〉 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2007年6月28日発売)
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変わってるね。

恥じらいがないだけですよ。
恥じらいがないから周りに合わせようとしない。
だから変な部分が変なまま残ってこんな大人になってしまった。
それにも恥じらいがないから、おめおめとこんな面を世間様にさらしている。

仮に来てくれたところで、友人はすでに僕の知っている友人ではなき。

その提案に乗りかけ、自分に対してそんなにも優しさを示す人間がこの世界にいることが不思議になった。

私にはわかる。あなたは水穂さんを愛していたのよ。
僕はその衝動に負けた。一度許して仕舞えば、涙は止まることなく溢れ続けた。水穂が死んでら今、僕は初めて水穂の恋人だった僕自身のために泣いていた。
自分自身を哀れむことの愚かさを僕は初めて自分に許していた

サイドえーでは許せなかった。許してくれたのはかすみだった。いいんだよと言ったのはかすみだった。
その全ての水穂が、その水穂と過ごした時間が、ただ愛しかった。
どれくらい泣いていただろう。時にただ感情に流されるまま、ときにその愚かしさを自嘲しながら、ときにそんな自分を客観的に眺めて呆れながら、それでも僕は長い間、水穂の墓の前でただ泣き続けていた。
愛していたから泣けなかった。自嘲し、呆れ、哀れむことのの愚かさを知っていたからこそ、泣くことは、自分のために時間を使うのが憚られたんだろう。

極限の愛とは、「誰だために それが僕のために」今は言えるそれがありのままに
生きてくことだと それが人なんだと

僕はそれを優しさと 呼ぶことはもうしないよ
相手が何者かではなく何者でも自分が愛しているという確固たるもの
愛するということ愛してたということ
失っても、いなくなっても、愛すことは出来る
自分がその人のために愛した時間があれば
それは紛れもなく愛だという事
会えなくなった悲しみを凌駕し逃げることもなくただそこに自分が愛してたという自信で5分を使う
苦しみを凌駕し、楽しさを与えることが慈悲
慈しむことができた僕はいつか魂だけになっても彼女達と共鳴し続けることが可能なのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2017年11月10日
読了日 : 2017年11月10日
本棚登録日 : 2017年10月30日

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