バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

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制作 : 上村 勝彦 
xiaobaoさん 神話   読み終わった 

この世に生まれたからには、定められた行為に専念する事。

あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は、常に殺されることがない。それ故、あなたは万物について嘆くべきではない。

もしあなたが義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉を捨て、罪悪を得るであろう。

相対を離れ、常に純質に立脚し、獲得と保全を離れ、自己を制御せよ。

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してもならない。

執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、ヨーガ(実践)に立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地。

愚者が行為に執着して行為するように、賢者は執着する事なく
、世界の維持のみを求めて行為すべき。

賢者は専心して行為しつつ、愚者達をして一切の行為にいそしませるべき。

諸行為は全てプラクリティ(根本原質)の要素によりなされる。我執(自我意識)に惑わされた者は、「私が行為者である」と考える。しかし、要素と行為が自己と無関係であるという真理を知る者は、諸要素が諸要素に対して働くと考えて執着しない。

思考器官(マナス)は諸感官より高く、思惟機能(ブッデイ)は思考器官より高い。そして、彼(個我)は思惟機能よりも高い。自らの自己(アートマン)を確固たるものにして、欲望という難敵を殺せ。

自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし、自己を制していない人にとって、自己は敵のように敵対する。

梵天(ブラフマー)の世界に至るまで、諸世界は回帰する。だが、
神に達すれば、再生は存在しない。

非顕現なものに専念した人々の労苦はより多大である。全ての行為を神のうちに放擲し、神に専念してひたむきなヨーガによって神を瞑想し、念想する人々は、生死流転の海から救済される。

神に知性を集中せよ、それができないなら常修のヨーガによって神に達する事を望め。もし、それもできないなら、神の為の行為に専念せよ。神の為に行為をしても、あなたは成就に達するであろう。もし、それもできないなら、神へのヨーガに依存して、自己を制御し、全ての行為の結果を捨てよ。

知識は常修より優れ、瞑想は知識より優れ、行為の結果の捨離は瞑想より優れている。捨離により、直ちに静寂がある。

全ての者に敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、

常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、神に意(こころ)と知性(ブッデイ)を捧げ、神を信愛する事。

苦楽を平等に見て、自己に充足し、土塊や石や黄金を等しいものと見て、好ましいものと好ましくないものを同一視し、冷静であり、非難と賞賛を同一視する。尊敬と軽蔑を同一視し、味方と敵を同一視し、一切の企図を捨てる。このような人が要素を超越した者と言われる。

世界には二種のプルシャ(人間)がある。一つは可滅のもの。可滅のものは一切の被造物。不滅のものは揺るぎなき者と言われる。しかし、実は三つ目のプルシャがあり、それは最高のアートマンと呼ばれる至高のプルシャ。

なすべきであると考えて、定められた行為を、執着と結果とを捨てて行う場合、それは純質的な捨離である。

最初は毒のようで結末は甘露のような幸福、自己(アートマン)の清澄さから生ずる幸福は純質的な幸福である。感官とその対象の結合から生じ、最初は甘露のようで結末は毒のような幸福。それは激質的な幸福である。最初においても帰結においても、自己を迷わせる幸福、睡眠と怠惰と怠慢から生ずる幸福、それは暗質的な幸福である。

何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲により、行為の超越の最高の成就に達する。

神に最高の信愛を捧げ、神の信者達の間にこの最高の秘密を説く人は、疑いなく神に至るであろう。

レビュー投稿日
2015年10月7日
読了日
2015年10月7日
本棚登録日
2015年5月13日
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