罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1987年6月9日発売)
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感想 : 416
5

下巻に突入。妹ドゥーニャの婚約者ルージンが気に入らなかったラスコ、母妹ラズミーヒン立ち合いのもとルージンと全面対決、完全撃破!うだうだラスコのわりに珍しく良い仕事をしたけれど、当然ルージンの逆恨みを買ってしまう。そんなことも露知らず今度はソーニャに会いにいくラスコ。さっきまでルージンのクズっぷりを批難していたわりに、ここでは無自覚にラスコもクズっぷりを発揮。自分の頭がだいぶおかしいことを棚上げして、自分を苦境から救ってくれる神の奇跡を信じているソーニャを冷笑し「ばかな女だ!狂信者だ!」扱い。いやラスコきみのほうがだいぶんきちがいじみた言動してるよ……気づいて!

思うに、ラスコは貧しい人々に親切ではあるが(ソーニャ父マメの葬儀代のためにポンと全財産あげちゃってるし)これって一種のマウンティングのようにも思える。だいたい自分だって大概貧乏で家賃も学費も滞納しているのに他人に自分で稼いだわけでもないお金を施そうなんていうのは自己犠牲でもなんでもなくて、自分より「より不幸」「より貧しい」人たちより自分が上でありたいだけ、つまり一種の見下し行為なわけで、やっぱりこれってソーニャに対してマウント取りたいだけなんじゃないか(少なくとも深層心理で)と思ってしまう。

ドゥーニャに振られたルージン45才の女性観も大概クズではあったが(若くて美人で知性もあり上品な女性と結婚して世間に羨まれ自慢したい、ただそんな女性が自分に従順でいてくれるためには彼女は貧乏であることが必須という考え)自分より弱い立場の相手に恩を売ってマウント取ることでしか恋愛を成立させられないという意味では、ラスコも大概同類ではなかろうか。もちろん、ソーニャがやがてそのラスコの高慢を打ち砕くというのが、この物語のキモになるわけですが。

ラスコは人間を凡人と非凡人(英雄)に分類し、凡人は非凡人に何をされても文句言えない(非凡人のすることは許される)という考えを、老婆を殺すことで実行したわけですが、そのわりに「新世界の神となる」もとい「自分は非凡人で英雄だ!」という自負はないんですよね。内心そう思ってるか知らないけど少なくとも表面的には。だから軸がブレるというか、自分のしたことの罪悪感なり、バレることの恐怖感なりに右往左往して興奮して血が上り実際に体調まで悪くなり熱出したり倒れたり突然激昂したりして手におえない迷惑キャラになっている。

読者としては、じゃあなんでわざわざ手間暇かけて利害関係のない相手を殺したんだと突っ込まざるを得ないし、ラスコもまた凡人であるなら同じく凡人である老婆がどんなに強欲因業ババアであっても殺害する権利などないわけで、そもそも被害者は「金貸し」という合理的手段で稼ぎそして彼女にお金を借りなければ生活できなかった人々にとっては一時しのぎにせよ老婆がいないともっと困ったわけで、無職でニートのラスコと金貸しとはいえ経済活動に参加している老婆のどちらが社会的に不要な存在かといえば実はこれラスコのほうじゃなかろうか。結局やっぱりここでもラスコは、他人を食い物にしてるババアより無職でニートの自分のほうがマシというマウントを取りたかっただけなんじゃないのか。

下巻も中盤になってラスコがソーニャに自分の罪を告白するときに、ラスコの本音(?)が明かされる。ナポレオン(非凡人)にはシラミ(凡人)を殺す権利があることを証明するために殺してみたら、なんとあろうことか自分はナポレオンではなくシラミのほうの同類だった!と殺ってから気づいてしまった、と。基本的にラスコが後悔している理由はこれで、金貸しの老婆のみならず偶然その場に居合わせただけの罪のない老婆の義妹リザヴェータまでついでに殺してしまったことを反省している様子はない。その点ではラスコはシラミ以下でしょう。先の話になりますがのちラスコは自首して刑務所に入りますが、これもあくまでポルフィーリー(※以下勝手にポル)に対して負けを認めただけで、心を入れ替え改悛するというのとはまた別問題。

さてそんな新世界のシラミだったラスコが出来そこないの夜神月だとしたら、彼を追いつめるポルは太ったL。ペンキ屋ミコライが突然の自白をしたため、ラスコを疑うポルの推理は一度は覆されたかと思えたが、ポルはあくまで真犯人がラスコであることを見抜いている。このペンキ屋について、ポルが「分離派教徒(ラスコーリニキ)」と言っているのも興味深い。ラスコが真犯人だと知っているぞという匂わせのために使っただけかもしれないが、ラスコーリニコフの名前の語源はこれであり、作中でポルいわく分離派教徒は「苦難を受ける」「苦難を受けなければならぬ」というこだわりがある連中らしいので、まさにラスコにピッタリ。

一方ソーニャは、父親の葬儀の場で、ラスコを恨むルージンに窃盗の罪を着せられそうになり、あげく継母カテリーナが大暴れで法事は台無し、傷心で帰宅したところへラスコが追いかけてきて殺人を告白、そこへ今度はまたカテリーナが発狂して子供たちと町を練り歩いていると知らせが来て急いで帰ったらカテリーナまで喀血死去。このカテリーナ・イワーノヴナ、かなり強烈なキャラクターなんですが『読まない』では彼女のシーンだけラテンアメリカ文学みたいだと言われていたのも納得。なんというか鬱々と内面に閉じこもるラスコはいかにもロシア的なキャラクターだけど、カテリーナは解放しちゃってるんですよね、自分の激情を。そして発狂してても彼女は圧倒的に正しい。

そして彼らがすったもんだしている間、ドゥーニャの元セクハラ雇用主だったスヴィドリガイロフ(※以下『読まない』に倣いスベ)は今度はラスコのストーカーとなり謎の暗躍をしている。『読まない』ではカテリーナのラテンアメリカ文学味に対し彼にまつわるシーンが幻想文学ぽいと言われていましたが、こちらも納得。彼が殺したのではないかと疑われている妻の幽霊が屋敷に出てきてトランプしたとか、過去にも少女を凌辱しただの下僕を自殺に追い込んだだの怪しい噂が満載、終盤悪夢にうなされるシーンの幻覚など、彼の周囲だけ英国ゴシック小説みたいだ。

そしてこの人物は実はラスコとは表裏一体のキャラクターであり、ネガとポジの関係を形成する。スベの気前の良さ(ソーニャの姉弟を孤児院に持参金つきで入れてやったり)は、ラスコと共通。ただラスコと違って彼はお金を持っている、とはいえそのお金は妻のもので元々は賭事で借金つくりまくるような人間性。ラスコの倍生きている(ラスコ23才、スベ50才)からやや柔軟で世渡り上手だけれど、本質的にラスコと同類と思われる。ラスコはソーニャに救われるが、スベはドゥーニャに拒絶され、ラスコの選択肢のひとつであった自殺を本人が回避した結果、それはスベが担うべき運命となる。

ドゥーニャとスベの対決場面はこの長い小説の中で唯一といっていいアクションシーンでクライマックス。ラスコに「歴戦の色事師」と呼ばれたスベにはなんというか一種の悪の魅力があり、最低の悪党ながらどこか憎めないものがあった(だから女性にモテたんだな、そしてラスコは童貞認定・笑)。ちなみに彼がドゥーニャに話すラスコ評が的確すぎるので以下引用。

「つまり特に彼を惹きつけたのは、多くの天才たちはちっぽけな悪には見向きもしないで、平気で踏みこえて行ったという事実ですよ。彼は、自分を天才だと思った、らしい、――少なくともある期間は、そう信じていた。彼は、理論を書くことはできたが、ためらわずに踏みこえることは、できない、つまり天才ではない、という考えのためにひどく苦しんだ。いまでも苦しんでいる。まあ、これは自負心の強い青年にしてみれば、堪えられない屈辱ですよ、特に現代は……」(387頁)

ソーニャがラスコに朗読して聞かせる福音書の「ラザロの復活」は、ご存知イエス・キリストが死んだラザロを生き返らせる場面。ラスコはソーニャに告白したときに「ぼくは婆さんじゃなく、自分を殺したんだよ!」と言っていたことを鑑みると、エピローグでようやく、すでに死者であったラスコがソーニャの愛により復活、本当の生を生きはじめるという意味に取れる。ソーニャ自身もまた娼婦となったときに自己を殺しており、復活の奇跡を待ち望んでいたわけで(ラスコは当初それを冷笑したけど)トルストイとかぶらなければこの本のタイトルは『復活』だったかも。なんて。

最後に解説を読むとドストエフスキー自身が結構なダメンズで、結婚してるのに浮気、離婚、恋愛遍歴を繰り返した上に、賭事が好きで前借りした原稿料もあっというまに全部スッてしまい女性に泣きつくなどしていたようで、そう思うとラスコもマメもスベも全員ドストの分身のように思えて来ます。余談ですが『罪と罰』が出版されたのは1866年、連載は1865年で日本は幕末。『読まない』でも吉田篤弘さんが唐突に「日本では前年に池田屋事件が…」とおっしゃってましたが、池田屋で沖田総司が喀血してる頃、ロシアでは『罪と罰』の構想が練られていたかと思うとギャップがありすぎていっそシュールかも。 ちなみにドストエフスキーは1821年生まれ、幕末の有名人だとかなり年長組の部類で、勝海舟が1823年、西郷隆盛が1828年生まれ(※すごくどうでもいい情報)

あと最後にもうひとつだけどうでもいい話をしておくと、ラスコのことを夜神月ぽいとイメージしていたせいで(実際には違ったけど)私の脳内キャスティングはずっと藤原竜也でした。急に激昂したり、ひとりごとを言いながらウロウロしたり、感情の起伏が烈しいあたりピッタリだと思う(笑)三浦しをんさんは、スベ=ヴィゴ推しだったけど、私はむしろショーン・ビーンを推したい。アラゴルンよりボロミア。日本版はじゃあ浅野忠信でいっか。ソーニャは満島ひかりがいいな・・・等と脳内でいろいろ楽しめるのも『罪と罰』の魅力!(と無理やりまとめる)とにかく思っていたよりずっと面白かった。読んでよかった!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:  ★ロシア・東欧 他
感想投稿日 : 2019年8月5日
読了日 : 2019年8月2日
本棚登録日 : 2019年7月26日

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