八本脚の蝶 (河出文庫)

4.11
  • (24)
  • (6)
  • (11)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 397
レビュー : 25
著者 :
yamaitsuさん  >な行   読み終わった 

web上に今も残るブログ「八本脚の蝶」(http://oquba.world.coocan.jp/)しかしその著者の二階堂奥歯はもうこの世界には存在しない。2003年4月26日、彼女は25歳で自ら命を絶った。早稲田大学卒業後、国書刊行会に入社、2000年の『山尾悠子作品集成』出版記念パーティーでは新人編集者として異例のスピーチ、のち毎日新聞社の書籍出版部へ転職。本書にも追悼文を寄稿されているそうそうたる面々の担当をしていた。本好きなら誰しも羨むような経歴の持ち主。

亡くなった人の日記、というので、最初は『アンネの日記』のような印象を受けた。彼女が今も生きていたらどれほど意義のある文章を紡ぎだしていたことだろうと、惜しむ気持ち。しかしアンネと違い、彼女は自由に行動ができ、自ら死を選び取った。

序盤は正直、20代前半でこれほどの膨大な本を読み、博識で明晰な彼女の言葉に感心すると同時に、どうやらかなり裕福そうな家庭、これだけの読書量とサブカル的趣味にもかかわらず彼氏もいてコスメや香水が好きでオシャレも大好き、ハイブランドでガンガン散財、という彼女の日常生活に対して、「なんだただのリア充か」という浅はかな嫉妬も感じました。変な言い方だけど、自殺した読書好きの女の子というだけで、外見コンプレックスやコミュ障、いじめ、不幸な生い立ちなどテンプレな何かを勝手に期待していたのかもしれない自分が浅ましい。

しかし読み進めるうちに、どんどん彼女の入り組んだ内面に引き込まれていってしまった。これほど鋭い感受性では生き難かろうと思う反面、これほどの才能があれば何でもできただろうに、というアンビバレンツ。本当に辛かったことはブログには書かれていなかったのかもしれない。彼女はいつも自分をひとつの物語として読み解こうとし、物語の外へ出たがっていたように思う。内側と外側がくるりと裏返ってしまうような世界へ。

そして2002年11月6日の日記にある一文が、彼女の内心の葛藤をとても簡潔に言い表していると思う。以下フレーズにも登録したけれど引用します。

私はフェミニストでありかつマゾヒストである。
フェアネスを求める私が、残酷さを愛するということ、この事態は許容されうるのか、私はそれをどう受け止めればいいのか、これは私にとって重要な問題である。
女性を抑圧し支配し利用する言説と制度に反対しながら、責め苛まれ所有され支配され犯され嬲られ殺される女性の状態を愛することは、許されるのだろうか。

舌鋒鋭くフェミニズムについて語る文章は頻繁にみられる。その一つ一つにウンウンと力強く頷き、現代でこそSNSなどを通じて広まってきているジェンダー問題を、2000年代初頭にこの若さでこれほど鋭く分析した女性があっただろうかと本当に感心する。そして彼女は他者の侵入をあくまで拒むことの象徴として貞操帯を愛し、子供を絶対に産まないと決意している。ふいに『悲しみのミルク』という映画を思い出した(https://booklog.jp/item/1/B007BFMX9I)。バルガス・リョサの姪にあたるクラウディア・リョサが監督した映画で、主人公は自分を守るために膣にジャガイモを常に詰めているのだ。彼女がこの映画を見たらどんな感想を聞けただろう。

しかし同時に彼女は自分をマゾヒストであるという。殉教した聖女たちについての本を読み漁り、けして信仰からではなくキリスト教の本も読みながら『O嬢の物語』を愛読する彼女は、それほどまでの自己犠牲や苦痛をものともせず自分を捧げつくせる相手をみつけ奉仕したいという願望を根底に持ち続けていたのだろう。まあそんなことは私が分析しなくてもきちんと書かれているのだからいいや。

膨大な引用、それらの本についての書評、日常生活、しかしどんどんコスメやファッションの話は減り、終盤はほとんど引用(書物からだけではなく、彼女の信頼していた雪雪さんという人物や恋人のメールからも)で埋め尽くされ、自身の言葉は語られなくなっていく。精神的な不安定さ、パワハラ的な言葉、彼女を追いこんだものが何だったのか想像するのは無粋かもしれない。生きていて欲しかったけれど、この感受性を保ったままでは生きられなかっただろうとも思う。

余談ながら、2002年11月2日の日記に、黒百合姉妹のライブに行ったことが書かれている。その頃私もよく黒百合姉妹は見に行っていたから自分の日記を調べたらやはり、同じライブに私も行っていた。吉祥寺のSTAR PINE'S CAFE。あの洞窟のようなライブハウス、あの日同じ空間で、彼女と私も同じ音楽を聴いていたのか、と思うと不思議な気持ちがした。二階堂奥歯は実在していたのだ、と急にリアリティを感じた。

比べるのもおこがましいけれど、結局、愚かで鈍感な私のような者は彼女の二倍近い時間を生き続け、賢く敏感であったがゆえに彼女は死なねばならなかった。もちろん生き永らえたからといって私が傷つかず楽々と生きてきたわけではない。ああでも、ここまで生きたらもっと楽になれたんだよ、と声をかけてあげたい気もする。

2001年6月19日の日記で、ある編集者の自死について彼女はこう書いている。

事情はまったくわからないのだけど、辛いからなどではなくて、「気が済んだ」から死んだのだといいなと思う。死ぬ瞬間幸福に飛べたならよいのだけれど。

※収録
日記(2001/6/13~2003/4/26)
記憶――あの日、彼女と
空耳のこんにちは(雪雪)/教室の二階堂奥歯(鹿島徹)/エディトリアル・ワーカーとして(東雅夫)/2002年の夏衣(佐藤弓生)/六本脚の蝶から(津原泰水)/夏のなかの夏(西崎憲)/奥歯さんのこと(穂村弘)/主体と客体の狭間(高原英理)/最後の仕事(中野翠)/二階堂さんの思ひ出に添へて(高遠弘美)/夜曲(松本楽志)/ポッピンアイの祈り(石神茉莉)/旅(吉住哲)
『幻想文学』二階堂奥歯ブックレビュー
解説:穂村弘

レビュー投稿日
2020年2月17日
読了日
2020年2月17日
本棚登録日
2020年2月12日
8
ツイートする
このエントリーをはてなブックマークに追加

『八本脚の蝶 (河出文庫)』のレビューをもっとみる

『八本脚の蝶 (河出文庫)』のレビューへのコメント

まだコメントはありません。

コメントをする場合は、ログインしてください。

『八本脚の蝶 (河出文庫)』にyamaitsuさんがつけたタグ

いいね!してくれた人

ツイートする