大人のためのグリム童話 手をなくした少女 [DVD]

監督 : セバスチャン・ローデンバック 
出演 : アナイス・ドゥムースティエ  ジェレミー・エルカイム 
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3

LA JEUNE FILLE SANS MAINS
2016年 フランス 80分
監督:セバスチャン・ローデンバック
声の出演:アナイス・ドゥムースティエ/ジェレミー・エルカイム/フィリップ・ローデンバック/サッシャ・ブルド/オリビエ・ブロシュ
http://newdeer.net/girl/

貧しい粉屋の男は、ある日謎の老人に「金持ちにしてやる代わりに水車小屋の裏にあるものをくれ」と取引を持ちかけられ、てっきり林檎の木のことだと思い応じるが、実は老人の正体は悪魔で、林檎の木に登っていた美しい娘を手に入れようとしたのだった。黄金が沸き出し大金持ちになる父親、悪魔は娘を奪いにやってくるが、水浴び好きの娘が清らかすぎて近寄れない。水浴びできないようにして再び娘を奪いにくるが今度は娘の涙が清らかでそれを拭った手が清められている。悪魔は父親に、娘の手を切り落とせと命じ父親は自分の命と金惜しさに娘の両手を斧で切り落とす。父に愛想をつかした娘は流浪の旅へ。

川の女神の助けを借りて、王子の庭にたどりついた娘は、一目で王子と恋に落ち、二人は結ばれる。しかし戦争が起こり王子は戦場へ。その間に娘は出産、王子の忠実なしもべである庭師はそれを知らせる手紙を王子に書くが、悪魔がその手紙をすりかえ、さらに王子の返事も「赤ん坊の目玉をくりぬき殺してしまえ、娘は追放しろ」という内容にすりかえる。忠実だが心優しい庭師は赤ん坊の代わりに子ヤギの目をくりぬき、娘と赤ん坊を逃がす。再び川の女神に助けられた娘は山奥の小屋で子供と二人のびのび暮らすが・・・。

原作はタイトル通りグリム童話の「手なしむすめ」(※ただし本作はかなり改変されている)類似の民話は世界各地、もちろん日本にもあり。日本では娘の手を切り落とすのは父親ではなく定番の意地悪継母の策略、娘を助けるのがお地蔵様になったりといかにも日本的。グリム童話では、娘を助けるのは天使になっており、ちょっとキリスト教臭がするので時代によって変化したのかもしれない。本作で、水浴び好きの娘を川の女神が助けるというのは、むしろ民話本来の姿に近い改変に思われるので好印象だった。

それにしても絵柄が独特。監督がジブリ好きなのか、高畑勲の『かぐや姫の物語』をもっとラフにしたような、筆で描いた線だけの絵で、いわゆるアニメと聞いて想像する、面をべったりカラーで塗ったものとは全く違う。表現の仕方としてとても面白い部分もあったが(父親が娘の手を切り落とすシーンで、娘の手だけが光り本体はぐにゃぐにゃの線だったり、父親の顔がその後ムンクの叫びみたいになったり、心象を絵で表現していて良かった)ただ、ちょっと見づらい。抽象的すぎて何が書いてあるかわからない、という場面が多々あり。色も木だから緑、というわけではなかったりするし、あまりにも芸術的すぎるかも。ただ夜の森のシーン等、光りの表現はとても美しい。

あまりにも個性的な絵柄ゆえ、失礼ながら娘が美人に見えなかったり、フランスではこの日本風(多国籍風?)が受けるのかもしれないが、日本人が見ると和風すぎて変な感じがする。日本昔話風で素敵といえば素敵だけど。私はなんだか違和感が拭えず落ち着かなかった。

童話なので多少のご都合主義は仕方ないと思いつつ、王子のお城に庭師しかいないのも気になった。王子というからには治めている「国」があるのだろうけどそういうスケール感が全くない。そして娘が子供を産んだあと、手がないから赤ん坊を抱けずお乳をあげられないというくだりがあるのだけど、これも子ヤギが赤ん坊の代わりに犠牲になるエピソードのためのご都合主義伏線にしかなっていなかった。逃亡後、手のない娘はふつうに赤ん坊を抱きおしめを洗っている。庭師が娘に渡す「新大陸の種」というのも意図が謎だった。これだけ無国籍風にしといていきなり「新大陸(アメリカ)」はないだろう。

「大人のためのグリム童話」となっているが、手を切る、目をくりぬく、などの残酷行為は民話では頻出することは今更ほぼ周知の事実であり、どちらかというとこの「大人のための」は性的な表現のことだったかも。ただこれはもともとの民話にはないのに、監督が勝手に付け加えたものでしかない。序盤、林檎の木に吊ったハンモックで娘が自慰をしていると思わせる場面があったり(私の勘違いだったらごめんなさい)母親が娘の体を洗ってやるシーンで無駄に陰毛を描き母親は娘の股の間まで洗う。王子との性行為、なぜか全裸で出産など、残酷描写よりこっちのほうが子供に見せられないかもしれない・・・。

最終的に戦争が終わって城に戻ってきた王子は悪魔の仕業を知り、妻子を探す旅に出て、彼らを探し当てる。そして執念深い悪魔もついに娘の強さ清らかさに匙を投げ諦めて去っていく。お城には戻らず、そこにもとどまらず、どこかへ行きましょうというラストは正直よくわからず。エンディングの歌がなぜかフランス語ではなく英語で「私は野生の女(ワイルドガール)」と繰り返す。ううん、どう受け止めていいかわからない・・・。

わりとジブリ的ヒロイン像になっていた気はするのだけど、初対面の王子が彼女の顔をめっちゃ褒めただけで恋に落ちたわりに、王子からのプレゼントである金の腕を乱暴に扱ったり川の中に蹴り落としたり。母親は娘のために殺されるが父親は娘を悪魔に売る、という導入も含め、男なんかいなくても女は強く生きていけるのよ~的な女性の自立、母は強し!大自然にかえればいいのです!みたいなニュアンスを伝えようとしてるのかもしれないが、正直この映画ではそれがあんまり素敵なことに思えないという・・・。現代的なメッセージを込めず、民話ならではの素朴な原理みたいなものを大切にしたほうが面白くなったような気がする。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ:  フランス・ベルギー映画 他
感想投稿日 : 2019年3月8日
読了日 : 2019年3月7日
本棚登録日 : 2019年3月8日

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