イー・イー・イー

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本棚登録 : 134
レビュー : 14
かわさん ブンガク   読み終わった 

共感がほしかった、誰かに共感したい、誰かに共感されたい。誰にも通じないはずのひねこびた言い回しや変わったコード進行を誰かとわかちあえればそれが手に入る。20歳が生きる目的なんてだいたいそんなもんだ。

イー・イー・イーとはイルカの鳴き声である。主人公アンドリューはニューヨーク大学文学部卒のインテリだが、小説家の夢は実現できそうもなく、ドミノ・ピザのアルバイトに甘んじている。彼は過剰に肥大した知性と自意識ゆえに、日常の陳腐さに耐えられない。日常の陳腐度があるレベルを超えると脳がおかしなイマジネーション・ワールドに逃避する。イルカや熊やヘラジカは、そんな第二世界の住人だ。

ドミノ・ピザの同僚たちを見下しているのに彼らに見下されているという不条理。若い頃は特にそんなシチュエーションに耐えられないものだ。レベルの低い会話の中に突如ちん入するシュールレアリスティックな脳内風景。そのコントラストの自然さがなんとも可笑しい。

たぶん、アンドリューに彼女がいた頃はよかったのだろう。アンドリューは彼女の面影を今も追いかけてしまう。彼女の面影は薄れすぎて、ほんとうにただの影になってしまっている。影があることでアンドリューは自分の実在を確認できたが、今は…。

友達のスティーブの妹、エレンもアンドリューのように無気力で孤独だ。小説はいつしかエレンを主体に進み始める。アンドリューとエレンがいつしか出会うのではないか、という期待を小説は裏切る。

新進作家の出版記念パーティ、というアンドリューにとってもっとも自尊心を踏みにじられる、もっともドラマチックな場面。アンドリューは人生の何かを悟ろうとする(深遠な文学的なレトリックにより、そう錯覚させられる)。読者はエレンのことを忘れるが、最後にアンドリューはエレンのいた痕跡へ帰ってくる。ほのかな予感を抱かせて小説は終わる。

とはいえ、そんな筋書きにはきっと意味はなくって、楽しむべきはシニカルなギャグ未満の文章の味わいなのだろう。頻出する厭世的青年好みの固有名詞は、それひとつで内面の巨大な空虚を浮かび上がらせて絶妙だ。ゼロ年代ポップ・カルチャーの通行パスを持たないおじさんおばさんはお断り。お断りのつもりでも、かっこわるい青年期を過ごしたすべての人に普遍的な内容だ。

ウディ・アレンの自虐ジョークにもどこか似ているけれど、アレンのそれはちゃんとショーとして、スタンダップ・コメディとして成立している。タオ・リンはマイクの前で無様にスベり続ける。スベるから面白くないのではなく、どこか不愉快だから面白くないのだ(笑)

好きになれないし読みにくいしなんの益にもならない、けれどちいさなトゲのように心に刺さり続けるだろう小説。

レビュー投稿日
2012年9月26日
読了日
2012年9月26日
本棚登録日
2012年9月26日
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