<span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"> 朝から慌しくする。
昼前から七尾市に向け出発。といっても、私は運転しない。助手席で寛ぎながら運んでもらう。クルマの運転は性に合わない。
講演会。身につまされながらお聴きする。懇親会。少しだけ挨拶。楽しくいただく。
<img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20080128_429611.jpg" width="112" height="160" alt="歌謡曲の時代" style="float:left;" class="pict" /> 「歌謡曲の時代」<br style="clear:both" />
アルコールも入っていたので、家では、エッセイ風の本を手に取る。阿久悠の「歌謡曲の時代」。机の横にポンっという感じで置いてある。ちょっとした時に読む。同じ箇所も何度も読んだ。この人は作詞家として日本一有名で実績も残されているが、物書きとしてもきわめて優れた方だ。時流に対するエッセイ的なものは、少々説教臭くて、私は続けて読むことはできないが、ご自分が作詞した歌謡曲にまつわる形で語られる人生観、社会観は、胸を打つ。
こんな記述があった。
最近のある売れているグループの歌をテレビで聞きながら、書き取ったという。後で、歌詞カードで比較すると的中率は20%に満たなかった。これでは、歌詞として聞き手には伝わっていないのではないかとして上で、続く。
「ぼくらは聞き取れなくては歌詞としての役目は果たさないし、意味が通じなくては知性や情感に訴えることは出来ないと考えていた。だから云々・・」
言葉は、「知性」に訴えるだけではなく、「情感」に訴える力を持つものである。否、「情感」に響かなければ、それらは「知性」にまで昇華されることはないのであろう。だから、と私も続ける。母国語、私たち日本に住まいをする人間にとって、日本語は大切なのである。</span></span>>
- 感想投稿日 : 2008年1月27日
- 本棚登録日 : 2008年1月27日
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