社会学的想像力

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レビュー : 5
著者 :
制作 : Charles Wright Mills  鈴木 広 
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法政大学の学問を変える。大学まで来て学校で勉強することを選んだ志士達が集う、多摩初の読書会。その記念すべき一冊目の課題文献である。
学問への基本的姿勢を問うた本である。俗に言う「教科書に書いてあることなんか役に立たんよ」ということに対する考察を示した教科書。産業化する科学に対して痛烈な批判を浴びせ、科学と言うものの正体を浮き彫りにしていく。その上で、学問とはなんぞやという事を問い、社会への批判として結ぶ。
ユーモア交じりの痛快な批判は落語を聞くよう。結構笑えたりする。批判の対象に名前を付けて整理するのは、ミルズの思考、世界観だろうか。律義さと大胆さをかねそなえた(たぶん)社会学者の問答は現代人の「無関心」を貫き、「社会学的想像力(社会の構造的理解とでも呼ぼうか)」を呼びさまし、孤高の連帯へとさそう。
孤高フェチ、反権威フェチ、要するに目立ちたがり屋の僕をこれでもかというほどくすぐる一冊だった。ミルズが生きていたら、間違えなく、サインを貰いに海を渡っていたはずだが、それは権威主義的反応によるものではないことを断わっておく。
だから批判してみよう。時代だろうか、エリートのエリートのためのエリートによる啓蒙といった感じが否めない。権力に対する批判も、結局のところ権力作用に還元される。彼の社会のとらえ方は「一部の人間が全ての権力を掌握してしまっている。我々が権力に批判的でなくては、いつか大衆がみんな官僚化されて『1984』みたいな世界が到来する」という危機感が根底にあるのだが、まったく極端なものの見方と言える。本当にそんな世界が成立するのなら、よっぽど頭がいいのか、そうでなかったら実はもうとっくになっているのか、どれかである。
人間はどんなに従順になっても、言われたことを完全にこなすほど賢くはなれない。従順になっていたつもりが、知らずにそれと反する行動を取っていたりもする。そもそもそんなことが可能な権力組織が有るのなら、冷戦なんか起こっていなかったはずである。
権力にとってむしろ厄介なのは「社会学的想像力」を全く持ち合わせない人間であったりするのではないか。エリートには予想もつかないような行動をとる人間の及ぼすインパクトである。前に観たソ連の映画には、共産党体制下でどんなに規制されても、やはり人間的な無秩序を抑えきれない人間の姿があった。それはソ連を崩壊に導く要因にもなったのだ。その権力を崩壊させたものはいわゆる「自由と理性」と呼ぶにはさほど遠いものである。それを超えた「野生」だろうか。そして複雑なことには、そんな人間が秩序を求めて権力を承認するのである。秩序とは常に、その矛盾のイタチごっこによって成り立つのではないか。
これについて教員と話す機会が有ったのだが、彼はミルズの考察を「ジャンプ的」と評した。まさに!当時はナチス的国家再来への恐怖心から、ミルズのような言説が評価を得ていたのだという。
ミルズ批判に向けて問うべきことは、あの大戦期のドイツは「ナチス」のみによって作られたのだろうかということだ。「ナチス」は諸要因の中の小さなひとつにすぎなかったのではないか。権力と言うものがどのように作られ、権力と「呼ぶべき」ものとなり、どのように支配力を有するのかという大きな問いである。
―と、批判することもミルズの「自由と理性」による批判精神にのっとることなのであるが。ミルズはどこまで本気で「ジャンプ的」世界を想定していたのであろうか。それは自らの政治的スタンスを確保するという正義にのっとったものなのであろうか。文書の向こう側に生々しさを感じる。

レビュー投稿日
2010年6月26日
読了日
2010年7月5日
本棚登録日
2010年5月19日
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