これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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本棚登録 : 4450
レビュー : 317
制作 : Michael J. Sandel  鬼澤 忍 
yassan0898さん  未設定  読み終わった 

  マイケル・サンデル「Justice ~ What's the Right Thing to do?」(邦訳「これからの正義の話をしよう」)をやっと、ふぅ、と云いながら読み終える。
  息子が置いて帰った時にはあまり関心はなかったのに、読んでゆくうちに引き込まれたと云っていいだろう。普段何気なくしていること、当然だと思っていることが果たして正義の観点から正しいと云えるのか、改めて気づかされ、かつまた深く考えさせられる。
  例えば、米国における現在の志願兵制度、これは正義なのかという疑問。恵まれない環境の同胞を金で雇い、危険な仕事をさせる。その決定を下すのは決して生死のリスクを負わない人々だという事実(そういう上流階級の人たちの子女は兵隊にならない)。だからアフガンにしろイラクにしろ、平気で兵隊を派遣できたのだと。これは果たして正義と云えるのか。
  米国の奴隷制度、現代では勿論これは認められないものだが、では南北戦争前に白人が黒人を奴隷として扱ったことに対して、現代の白人たちは責任を負わないのか。あれは過去のことで今を生きる白人たちには何ら責任がない、現在の白人は奴隷制度と何のかかわりもない、と云えるのか、それは正義として正しいことなのか。
  同じようなケースで、ドイツは第二次大戦後、ホロコーストを犯したことに対してドイツ国民としてユダヤの人々に謝罪した。時の大統領がイスラエルの議会に出向いて謝罪の演説をした。これは立派なことだが、正義の観点から必要だったということなのか。ナチスの罪をナチスとは無関係だったドイツ人が負うことが本当に正義の要求することなのか。では日本の場合はどうなのか。今を生きる戦後生まれの我々に戦争の責任を負う或は感じることは必要なのか。
  次々と例を検証してゆくこの本のプロセス。このサンデルさんの話について行くにつれ、やはりこれまでそこまで深く考えていたか云えばウソになる。現在の辺野古移転問題一つとっても何が正義なのだろう。米国の志願兵の問題と同じく、我々は犠牲になる側の人間ではなく、リスクを背負わずに辺野古問題を眺めているに過ぎない。歴代の政府の人間もしかり。国家という全体のためには一部に犠牲があっても仕方がない、これは正義と云えるのか。

  人間にはそれぞれ立場の違いがあり、それが前提となって論じられる問題の正義の考え方というものは本当に難しい。この本はサンデル教授が講義をするような流れで書かれているが、実際に生の声を聴きながら話を聴く、それが最もふさわしいテーマと云えるのではなかろうか。いつだったか、NHKで抗議の有様が放送されていたが、その時には関心もなく逃してしまったのが残念。

レビュー投稿日
2015年6月12日
読了日
2015年6月11日
本棚登録日
2015年6月12日
3
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