謎解き 関ヶ原合戦 戦国最大の戦い、20の謎 (アスキー新書)

著者 :
  • アスキー・メディアワークス (2012年2月10日発売)
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天下分け目の決戦とまで言われた関ヶ原の戦いは、両軍合わせて20万近くの兵が集まった大規模な戦いでしたが、合戦自体はたったの1日で終わったと歴史の時間に習った記憶があります。

歴史の授業では10分程度で終わったと思うのですが、高校時代に関ヶ原の戦いにはそれに至るまで多くのドラマがあるはずだと思い続けていました。

負けてしまった西軍から見た、堺屋太一が記した「巨いなる企て」を読んで、それらを垣間見た気がしました。この本では、関ヶ原の戦いに至るまでの謎を20の視点から解説しています。

特に、西軍についた織田秀信(三法師で有名)が、籠城せずに無謀な外戦をして2日で敗れたのが西軍にとっては誤算であったと認識しました。

以下は気になったポイントです。

・東西両軍に分かれた両者は、武断派と吏僚派、尾張派と近江派等で分類されることはあるが、結局は、朝鮮出兵における前線と後方、統制される側とする側という立場の違いに起因する(p19)

・五大老の中の、家康と利家は別格、財務は五奉行が彼等2人の了承を得てできるように指示されている(p31)

・宇喜多秀家は、一門のうち軍団の先手衆をつとめる万石以上の旗頭6人のうち、じつに4人が出奔し、これにその他有力与力40人も同調して大混乱に陥った(p55)

・「内府ちがひの条々」の発給主体は三奉行で、それを二大老(毛利、宇喜多)が後押ししているので、その陣容は家康の予想以上に盛大であった(p107)

・秀忠の遅参は、使者の予想外の遅着(利根川大増水による川止め)が決定的要因である(p123)

・上杉景勝にとっての最大の関心事は、伊達政宗と最上義光で、両社をいかに屈服させるかが関東出陣の前提条件(p149)

・岐阜城がわずか2日で落城したのは、織田秀信が採用した城外出陣という戦術の稚拙さに尽きる(p170)

・織田勢の本陣4000人に対して、東軍は総勢3.5万人のうち、池田・浅野・堀尾等の1.8万人が攻めた(p172)

・西軍の事実上の総大将だった三成が信頼し、かつ掌握できたのは、大垣城在陣の諸将と、大谷吉継のみ(p200)

2012年2月19日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2012年2月19日
読了日 : 2012年2月19日
本棚登録日 : 2012年2月19日

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