破戒 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1954年12月28日発売)
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【読もうと思った理由】
直近で読んだ三木清氏の「人生論ノート」の感想欄(雑感)にも書いたが、本書を読もうと思ったきっかけは、ロシア人YouTuberのAlyona(アリョーナ)氏の「これって渋い?好きな日本文学作品について語ってみた」の動画がきっかけだ。その動画では、島崎藤村氏の「破戒」以外の日本文学作品も、いくつか紹介してくれているが、僕が一番興味関心を惹かれたのは「破戒」だった。またAlyona氏が、別の動画で紹介してくれていたが、ロシアでは、文学と国語(現代文)は、そもそも教科(科目)が別々に別れているとのこと。日本だと現代文の中で文学作品も学ぶが、ロシアでは、文学は独立した教科になっているんだとか。なるほど。国家として、文学にそこまで力を入れているので、稀代の小説家や小説好きが多い理由に、深く納得できた。

実はこの動画を見る前から日本近代文学も、そろそろ本格的に読み進めていかないとなぁと思い始めていた。最終的に理解したいのは、もちろん夏目漱石氏の世界観だ。ただその前にもう何人か近代小説家を読んで、もう少し慣れてからの方が良いかなぁと思っていた矢先だったので、ちょうど良いタイミングだと思い、読もう思った。

【島崎藤村氏って、どんな人?】
明治5年(1872)3月25日、筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名:島崎春樹(しまざき はるき)。明治14年、9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊、明治32年函館出身の秦冬子と結婚。
 
長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、小説家に転身した。続けて透谷らとの交遊を題材にした『春』、二大旧家の没落を描いた『家』などを出版、日本の自然主義文学を代表する作家となる。明治43年、4人の幼い子供を残し妻死去。大正2年に渡仏、第一次世界大戦に遭遇し帰国。童話集『幼きものに』、小説『桜の実の熟する時』、『新生』、『嵐』、紀行文集『仏蘭西だより』『海へ』などを発表。
  
昭和3年、川越出身の加藤静子と再婚。昭和4年より10年まで「中央公論」に、父をモデルとして明治維新前後を描いた長編小説『夜明け前』を連載、歴史小説として高い評価を受ける。昭和10年、初代日本ペンクラブ会長に就任、翌年日本代表として南米アルゼンチンで開催された国際ペンクラブ大会に出席。昭和18年、大磯の自宅で、『東方の門』執筆中に倒れ、71歳で脳卒中で没。

【感想】
日本近代文学の礎を築いたという夏目漱石氏をして、「明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思う」と、森田草平氏宛の手紙に書いたという。そう、あの夏目漱石氏も絶賛した小説が本書「破戒」だ。

日本近代文学って、もっと読みにくくて、暗くて、読むのにパワーがいる作品ばかりだと思っていた。ただ少なくとも今作は、僕が過去読んだ近代文学の中では珍しく、読後感が前向きになれて、最後に希望を感じられるエンディングだった。これはいわゆる、ハッピーエンドと言っても良いのではと思う。誇張でも何でもなく、最後数十ページはラストが気になり、家まで待てずに帰宅時の最寄駅のホームのベンチに座って、読み切ってしまった。

今作であれば、日本近代文学にアレルギーを起こしてしまっている人でも、チャレンジしてみる価値がある作品だと思った。それほどに読みやすい。仮名遣いもほぼ現代と変わらず、漢字率は確かに高いが、難しい漢字にはルビを振ってくれているので、誇張ではなく、現代文学と比べても、遜色なく読み進められる。また島崎藤村氏は、もともと詩人でもあるので、文章が非常に流麗で、また凄く感情移入がしやすい文体だ。なので、藤村氏の世界観に比較的簡単に没入できる。

このあたりで簡単にあらすじを書くと、以下となる。

主人公は長野県の山奥で教師をしている瀬川丑松。若い彼にはたった一つの秘密があった。それは彼が穢多(えた)という身分の生まれであること。時代は明治後期、法改正がなされたとはいえ、身分による差別は、日本中にまだまだあり、ほとんどの穢多が蔑まれながら生きていた時代。よって丑松は父親から口酸っぱく「身分を何があっても隠せ」と言われ続けてきた。丑松は、真面目に父親の教えを守っていたため、周りに身分を知られることなく、穏やかな教師生活を送れていた。だが丑松には、心惹かれる人物がいた。それは同じ穢多出身であり、穢多であることを公言している、猪子蓮太郎という思想家だ。猪子の書籍をずっと読んでいた丑松は、猪子にかなり感化されていた。猪子にだけは、自分が「穢多」であることを打ち明けてもいいんじゃないかという、葛藤に日々苛まれてゆく…。

そう、この物語のもっとも大事なポイントは、自分が世間で蔑まされている身分である「穢多」であることを、告白すべきか、言わざるべきか?ある事件をきっかけにして、その葛藤がより強くなり、丑松は苛まれてしまう。その丑松の心の機微を、ときに繊細で、ときに大胆に、われわれ読者に訴えてくる。丑松の苦悩する心情に、とても自然な形で導いてくれる。その筆致が、まさに島崎藤村氏の唯一無二の世界観なんだろうなと感じた。

最近小説を読んでいて思うのだが、その小説を面白いと思えるかどうかの境界線って、まさにさっき書いた没入感だと思っている。もっと下世話な言い方をすれば、ハマれるかどうかだ。売れてる作家とそうでない作家の違いって、実はそんな難しいことではなく、つまりは、自分の世界観にどっぷりハマらせられるかどうかなんだろうなぁと。特に最近そう感じている。

そういう意味でいうと、今作では、島崎氏はどっぷりハマらせてくれた。今までの他の書籍の感想でも何度か書いてきたが、ハマらせるためには、読み手の感情をいかに動かせるかがカギなんだろうと。それは多分読書だけでなく、普段のコミュニケーションにおいても同じで、聞き手の感情を揺り動かせるかどうかが、ポイントなんだろうなぁと、つくづく思う。そういう意味でいうと、本書のような、長年読み続けられた名著を思考しながら読むと、色々なヒントが散りばめられていたりする。それに気づけたとき、やっぱり名著は良いなぁと深く腹落ちできるので、個人的に古典の名著が好きだ。

【雑感】
次は、半年ほど積読で読めていなかった、浅田次郎氏の「壬生義士伝」を読みます。この本は会社の同僚で本好きの方から、勧められて購入した本です。その同僚の方は、浅田次郎氏の本だけは、極力単行本で購入するようにしているほど、浅田氏のことがファンなんだそう。「その浅田氏の本の中で最も感動する本ってどの本?」と聞くと、即答で「壬生義士伝」と返ってきた。新選組の吉村貫一郎が主人公の話ぐらいしか知らないが、まぁ、なにせ感動するんだと太鼓判を押されたので、期待して読みます!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年7月13日
読了日 : 2023年7月13日
本棚登録日 : 2023年7月2日

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