「いつ死んでもいい」老い方

著者 :
  • 講談社 (2011年11月10日発売)
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八十八ヶ所のお遍路を考えた人たちの知恵をおもったら、いまだったら観光地づくりのようなものだが、信仰と健康、足袋をうまくミックスしたセンスは天才的である。
ヨーロッパの巡礼などよりずっと庶民的であたたかみがある。



自分の人生は自分だけで蹴りをつける。よきにつけあしきにつけ、相続させるものはない。つくろうとしない
そういう決心をすれば人生どんなに清々しく、美しくなるかわからない。そう思えば美田の買えないことはむしろ幸いである。
なけなしの収入を、使うのをがまんして貯蓄をする
老後のためと若い時は考えるが、年をとると子へ譲るものが少しでも多いことをねがうようになる。そうなると明るい空が暗くなる。

若いうちは節約が美徳であるが、年をとったら消費が美徳である。ほしいものがあり、買うカネがあったらどんどん買うのだ。貯めこんでも地獄へもっといけるわけでもないし、こどもにやっても別に喜ばれもしない。


不老長寿にとって、ぜいたくは妙薬のひとつであるように思われる。元気が出る。いくらかでも世のためになっていると思えば、ぜいたくをしているという後ろめたさも消えるのである。
そうは言っても、ぜいたくは節約より難しいようである。



仲間はだれだったいい。ただし条件が3つだけある、仕事が全く違っていること。あまり能力が高過ぎないこと。ケチを付けるのをえらいことと勘違いしていないこと。
これだけの条件に叶えば、誰でもと心にきめたら仲間が出来た。


毎日曜日、NHKテレビに年来の人気番組「小さな旅」がある。
自分では心の旅だと思っている。カネも時間もかからぬのは本物のりょこうよりすぐれているとひそかに自惚れている。
25分が夢のようである。終わってわれにかえると、はっきり元気になっていることがおおい。心の旅は、心の洗濯で、命をのばしてくれる。本気にそんなことをかんがえる。こんな手軽な頭と心の健康法は、すくなくとも、私には他にない。


若者の生活を中心にして考えるからそんなことになる。年をとったらとったらしく、自己の生活のリズムというものをこしらえるのである。だいたい自信がなさすぎる。プライドがあれば、いくら夜中に目が覚めても、あわてることはない。



菊池寛「生活第一、芸術第二」
かねてから菊池寛がすきだったから生活派宣言を喜んだ。「学問的背景のあるバカほど始末の悪いものはない」といった意味の言葉を残しているが、やはり生活の達人でなくては思いも及ばない。生活を文学にした内田百閒が「なんでも知っているバカが居る」といったのもおもしろい。



一生の間で、一番頭のよいのは、生まれて数年であろう。その間のえいようじは言うに言われぬ苦しみ、痛み、不安を体験するが、片っ端からわすれてしまって後に残らない。3サイぐらいまでのことを正確に記憶している人がいないのは、すべての幼児がどんどん忘れどんどん覚えていたからである。それで頭脳がよく働いた。すべての子はこの記憶していない初期においては素晴らしい能力を持っていたと思われる、この時期の赤ちゃん、幼児はくよくよすることを知らないから健康である。そればかりか、頭も冴えていた。その時期の忘却力には及ぶべくもないが、わすれる力の強いのは人生の勝者である。
忘れるが勝ち。


喜びの日はごちそうを食べたりするだけでなく、褒めてくれる人がほしい。これはそんなに周期的にというわけにはいかないが、しかるべき人にホメられると、たいへんな活力、元気が出る。
長い間その高価は持続する。
そいうわけで、年をとったら、まわりに褒めてくれる人が欲しい。おべっかなどではありがたくない。信頼でき尊敬しているひとから ホメられると、先に勲章に劣らぬ延命効果を持つだろう。友を選ぶのに、佐々琢磨の相手を求めるのはごく若いうちのこと。
一人前の人間になったらケチをつけるような人間は一人でも少なくないほうがいい。そして少なくとも、一人、できでば二人、褒めてくれる人がほしい。
なかなか得られないが、もしみつかったら人生の幸運と思って良い。自分のことを言うのはなんだが、年をとってから、そういうあたらしい友にめぐまれた。それで、老いの細道がいかに明るくたのしくなったかしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2012年4月25日
読了日 : 2012年4月25日
本棚登録日 : 2012年2月26日

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