人間失格 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.75
  • (2522)
  • (2644)
  • (3799)
  • (393)
  • (102)
本棚登録 : 29863
感想 : 2728

「不幸。この世には様々の不幸の人が、いや、不幸な人ばかり、といっても過言ではないでしょうが、しかし、その不幸は所謂世間に対して堂々と抗議ができ、また『世間』もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。

しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議のしようがないし、また口ごもりながら一言でも抗議めいたことを言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆れかえるに違いないし、
自分はいったい俗にいう『わがままもの』なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自ずからどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策などないのです。」


よく、他人から、「一体何で悩んでいるの?話聞くよ」なんてことを言われることもあると思う。

深く思う。ああ、これだ、これなんだ・・・。自分が自分であるが故の苦しみなんだ、と。
自分ですら、良く分からない苦しみなんだ。

そして、誰にもそのことを分かってもらえないがゆえに孤独で、「世間」と疎外され、そのなかを不安とともに生きていかねばならない。
人の独りよがりの「善意」―それも、マジョリティがそろって「善い。何が悪いのか」という善意―によってかえって傷つき、生きていくべき場所を失いつつ、なおかつ生きていかねばならないという矛盾。

ほのかな光を見つけても、再び闇へ闇へと引きずり込まれていく描き方は読者の胸に深く突き刺さるのではないだろうか。

とくに、「自分」が精神病院に入れられ「廃人」という烙印を押されるまで、友人たちが優しく接してくれたという顛末。


胸にたたみかけるような迫力で文字が迫ってくる体験だった。

特に「第3の手記」の後半、「自分」が人間失格になってしまうまでの性急に堕ちていくたたみかけを読みつつ鳥肌の立つような興奮を覚えた。

「自分」は神に罪を問うが、この作品では「神」が立派なテーマになっている。それも救いの側面が一方的に取り払われ、ただ、絶対的に恐れるしかない対象―「世間」「自己」の表象のみでなく、その深く、人間存在の深淵の混沌―のようなものである「神」。

読んでいるときは、あたかも自分の人生が主人公と重ね合わされて堕ちていくような怖さに襲われるのであるが、
死ぬことすら許されない煮え切らない「バッド・エンド」の読後に思うことは不思議と意外と「スッキリ」したものであった。それはなぜかはわからないが。

それまでこの作品を忌み嫌おうとして遠ざけていたのかもしれない。しかし、人間の深淵の混沌から正面と向き合うことで、「それをどうするか」、それに対して「自分」はどう生きるかというヒントを投げかけられ、物事をごまかさずはっきりみる目をもつことが与えられたように感じる。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年5月4日
本棚登録日 : 2013年5月4日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする