回送先:府中市立宮町図書館
いわゆるみちのく震災をいかようにして整理するか。このとらえどころの無い混沌に落とし前などという答えはまったく存在しない。もちろんそれは、本書をしるした書く執筆者のみならず評者含めた読み手も同様であろう。
本書が切り口に求めたのは昨夏逝去した作家小松左京の『日本沈没』であったり坂口安吾をめぐる評論であったり、宮崎駿の長編アニメーション映画『崖の上のポニョ』であったりする。そうした切り口も正統性がまったく無いとはいわないが、この行き詰まりに見えてしまう現象はかつて、事実上の祥月命日に相当する「9・11」とどこか近接したトートロジーでしかないと疑わざるを得ない苦々しさもどこかあるのも事実である。
確かに、さまざまな事態や感情が一気に押し寄せた(評者はこれを「メランコリーの津波」と呼んでいる)ことによって、SFという枠を超えて混乱状態に陥り、その結果SFが何もかけなくなったと絶望する見方もあるのかもしれない。しかし、そのように見なすのはまだ早いだろう(これについては同様の指摘をした仲正昌樹と言葉は違えど一致するだろう)。なぜなら、SFがSF足りえるための諸条件や倫理はなにも崩壊していないからだ。崩壊したもののあら捜しをするのも良いのかもしれないが、それをするには語彙が足りていないことを自覚しているが故の苦慮と見るべきか。
惜しむらくは評価すべきその一貫性の無さだろう。小松左京や放射能というディストピアなど引き出しが雑然としている状況にあって、一貫性を期待するのは土台無理だとしても、一貫性を期待して読み始めた読み手に更なる混乱と「あれはたいしたこと無い」「どっかで聞いたロジックの二番煎じ」という余計な感想を引き出させる根拠になってしまったことは否めない。苦慮を苦慮のまま指し示す、その営みがどうしても理解できなくなっている風潮の中でどうするか、同語反復ではない何かを求めて。
- 感想投稿日 : 2012年6月14日
- 読了日 : 2012年6月14日
- 本棚登録日 : 2012年6月14日
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