場所の記憶―日本という身体

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  • 岩波書店 (1990年7月10日発売)
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記憶が内蔵・堆積されている場所なり事物なりを手がかりとして、「現在」を想起する、「今」を知覚する。そういう感覚を磨いていきたい。純粋な「今=瞬間」の知覚は、ひとつの祭祀空間でのみ可能で、そういう空間なり、言葉なり、場なりを作っていきたい。

純粋な「今」というのは、自分の中だけでは知覚しえない。いつでも、また体積の上のある「現在」を識り、記憶が更新される、そういう次元と関わっている。


場所は記憶を持っている。場所の記憶に感応する

それは、太古を幾重にも集蔵した「場所」

------------以下関連することとして、折口さんの「まれびと」についての論考を。引用元はhttp://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20080111

人の心に「現在」を意識させる。過去と未来の「間」に、鮮やかに出現する。そのとき、過去も未来も消失して、意識が「現在」だけに憑依している。そういう「間」に抱きすくめられる心の動きのことを「まれ」というのだ。この歌の「まれなる」という言葉には、そのような感慨が含まれている。「年にまれなる人」も、桜とともにそういう現在という「間」にあらわれたのだ。

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感想投稿日 : 2017年7月10日
本棚登録日 : 2017年7月10日

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