フォトエッセイ 希望の大地――「祈り」と「知恵」をめぐる旅 (岩波ブックレット)

著者 :
  • 岩波書店 (2012年6月7日発売)
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もっと無駄をしたいと思ったし(消費的なという意味でなく、その時点は効果がわからない文化・芸術的な側面において)、

「ため」や「先を見据えて」になっている自分の自覚が出来た。

この本を読み終えた後の久々の散歩、

その道中にみた野菜畑。

肥しをやり、雨が降り、人の手が入り。

それでもなお十分ではなく、必要なものがある、

「ただ悠然と流れる時間」。

体や心が動き出す時は、動きださねばいけないという強迫観念だとか、

先を見据えての戦略、及びその地点からの現在点の把握みたいなところからではなくて、(そうすると僕の場合は驚くほどに動きや流れが止まる)

悠然と構え、ちょっとしたきっかけ、たとえば朝の体操とか、普段車を使っているところを散歩に切り替えるとか。

そんなことが繋がっていく気がするなぁ。

今も、ひどく残り時間ばかりを気にしていて、瞬間にのっていない。

何も仕事をしているばかりが人生じゃないんだから、

このありあまる時間を生きるということも、充実した時間として見方を転換させて行きたいなぁ。

▼以下引用

・フランスの哲学者パスカルは『パンセ』の中で、「パスカルの賭け」という概念を提示している。神の存在を証明できない以上、神など『いない』可能性は高い。しかし、神が『いない』と考えるより、「いる」と考える方がより豊かな人生を送ることが出来る。

・途上国への開発援助のよる道路整備は、日本車の輸出に、ダム建設は家電の輸出と欲望の肥大化に

・ソ連の社会を覆う、「千の耳と千の目」。

・精神面も同じく、「明るく」『エネルギッシュ』であることが、必要以上に評価されるのもこの社会の特徴。だが本当に人間は明るく、エネルギッシュであり続けられるのか。道教では陰陽が主軸になるように、陽があれば、陰も必要なのではないだろうか

・たとえば突然雨が降った場合、自然と共に暮らす人々は、雨に対して愚痴をこぼすことはない、せいぜい天を見上げて『雨か』と短い感想を漏らすくらいだ

・また長い距離を歩いて疲れても彼らが不満を漏らすことない。一日中歩けば疲れるのは当然のことでどうしようもないからだ

・電気が止まっても、人々があわてない社会とは、人々の心の糊しろが大きい社会、本物の余裕を持った社会で、それこそが本当の意味で強い社会ではないだろうか

・完全に解き放たれた欲望が無限大に増殖する社会の誕生

・人々は欲望に振り回されるばかりで、もともと何を追い求めていたのか、またなぜそれを欲していたのかさえ分からなくなっている

・人間など到底かなわない存在がその領域には『いる』、または『ある』のだから、聖域では肩肘を張る必要はない。頑張る必要もない。初めから『負けているのである』。それ故ひたすら祈るのである。祈りとは人間を超えた療育との対話だ。そして祈ることで人は心から不安を取り除き、心を静めた。それが聖域の意味であったのだ

・暗闇があることで、本当の『明りの意味』が理解できるように、正面から死を見つめることで、必ず『生』は輝きを放つようになる。死を覆い隠すような社会では、多くの人が生きる意味を探しあぐねることになる。

・終わりまでの残りの時間にとらわれていた。すると時間は止まったようになり、一瞬は永遠に感じられ耐えられない。私は一秒を乗り切ることだけに精神を集中させていた。

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感想投稿日 : 2012年8月26日
本棚登録日 : 2012年8月26日

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