生きるということ

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制作 : 佐野 哲郎 
yuzuringo102さん  未設定  未設定

示唆に富む。
表題を掲げた目的的な行動、労働、仕事は人間の疎外を産む。
それは短期的に見れば技術や能力の向上、
それに伴う仕事の成果をもたらすのかもしれない。
しかしもろ刃の剣とはまさにこのこと、
能動性に不可欠な、
動力の発生源である情緒の働きを弱らせることとなる。
目的も所有、理想も所有、
必要なのはその都度の行動が「目的」となっており、
今確かな成長をこの心に刻みこめる状態にあることである。
社会変革と言う名を掲げて行動をしてはならぬ。
それが例え「善的」に見えることばであっても、
それは神が望む「それ」ではなく、
あくまで自分の主観により形成された「思考」に過ぎぬ故。
思考の行きつく先は欲望とイメージの肥大。
どんなものをも所有してはならない。
必要なのは自分が世界と確かにつながっているという「ある」という確信のみ。
「働きたい」すらも、いらない。観念はいらない。行動があるだけ。

●以下引用

「仏陀は人間の発達の最高段階に到達するためには所有を渇望してはならないと教える。」

「イエスは教える。たとえ全世界を得ようとも、自分を失い、自分を損するならば、何の益があろうか」

「あること。人が何も持つことなく、何かを持とうという渇望することもなく、喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用し、世界と一となる存在様式。」

「ゲーテのファウストは、あることと持つこととの間の葛藤の劇的な記述。私は知っている、何ものも私のものではなく ただ私の魂から妨げるものなく流れ出る 思想のみがあることを そして愛に満ちた運命が 心底から私に楽しませてくれる すべてのありがたい瞬間のみがあることを」

「この疎外の過程において人間は愛を経験することをやめ、<愛>という女神に屈服することによってのみ、自己の愛する能力との接触を保つ。彼は能動的で感じる人物であることをやめ、その代わりとしての偶像の疎外された崇拝者となった」

「私はあなたに対して大きな愛を持つと言うのは無意味である。愛は持つことができる物ではなく、一つの過程であり、人が主体となる内的能動性である」

「多くの言語が「持つ」にあたる言語を持たないと知ることは、一つの驚きであろう。それは間接的な形で表現されなければならない」

「持つ存在様式においては、世界に対する私の関係は所有し占有する関係であって、私が自分自身をも含むすべての人、すべての物を私の財産とすることを欲するという関係」

「関心と言う言葉。ラテン語の語源では、<中にあるいは間にある>に含まれている」

「読み書きの能力は決して宣伝されているほどありがたいものではなく、まして経験や想像する能力を貧困にする」

●p59「会話において、あらかじめ何の準備もせず、どのようなささえもしないで事態に臨む人々である。彼らはその代わりに、自発的、生産的に反応する。彼らは自分についても、自分の持つ知識や地位についても忘れてしまう。彼らは自我を妨げられることはない。ある人物はあるという事実、生きている、そして捨てて反応する勇気がありさえすれば、何か新しいものが生まれるという事実にたよる」

「自明の理だと想うことの大部分は、彼らが住んでいる社会の暗示的な力によって生み出されている」

「私たちの教育は一般的に、人々が知識を所有して持つように訓練することに努め」

●「ある様式での信念は、まず第一に、或る観念を信じることではなくて、一つの内的方向付けであり、態度である。人が信念を持つというよりも、人が信念の中にあると言う方がいいだろう」

●「実を言えば、<愛>というようなものはない。「愛」とは抽象概念であり、おそらくは女神であり、異邦人である。実際には愛するという行為のみがある」

「愛が生産的な能動性である以上、人は愛の中にいること、あるいは愛の中を歩むことができるだけで、愛に陥ることはない」

「なんじに持てるものを捨てよ。すべての足かせからなんじ自身を解放せよ」

「シャバットの役割。それは肉体的あるいは精神的に努力をしないという意味での、休息それ自体ではない。それは人間と人間との間、および人間と自然との間に完全な調和を回復するという意味での休息。」

「シャバットには、人はあたかも何も持ってはいないかのように生活し、あること、すなわち自分の本質的な力を表現することのみを目標として追求する、すなわち祈ること、勉強すること、食べること、飲むこと、歌うこと、愛の行為を行なうこと。それは喜びの日である。十全に自分自身となるからだ。」

「あること、分かち合うこと、そして連帯の倫理」

「人は神の意志を行なうことすら欲してはならない。それもまた渇望の一形態であるから。何も欲することのない人物とは、何ものにも貪欲でないじ人物である。非執着」

「すべてのものが、何でもが、渇望の対象となりうる。日常生活で使う物、財産、儀礼、善行、知識、思想」

「能動性の現代的な意味は、能動性と単なる忙しさとを区別しない。しかし、この二つの間には根本的な相違があって、それは能動性に関連した<疎外された>と<疎外されない>という用語に対応している。疎外された能動性においては、私は能動性の行動主体としての自分を経験しない。むしろ私の能動性の結果を経験する。しかも<向こう>にある何ものかとして、私から切り離され、私の上に、また私に対立して存在するものとして。疎外された能動性においては、私はほんとうに働き掛けはしない。私は外的あるいは内的な力によって働きかけられるのである。」

「疎外された能動性の最も適切な症例は、脅迫=強制症状の人物である。自分の意思に反して何か、たとえば歩数を数えたり。」

「疎外されない能動性においては、私は能動性の主体としての私自身を経験する。疎外されない能動性は、何かを生み出す過程であり、何かを生産してその生産物との結びつきを保つ過程」

●「単なる忙しさの意味での疎外された能動性は、実は生産性の意味においては、受動性である。一方、忙しくはないという意味での受動性は、疎外されない能動性であるかもしれない」

「最高の形の実践、すなわち能動性は、真理の追求に専心する観照的生活である」

「主として金や所有や名声への貪欲にかりたてられる人物は正常でよく産業社会に順応している。そして彼らは根本的に病んでいると見なされる。彼らはいわゆる正常な能動性にはほとんど順応していないので、ノイローゼぎみではないかとさえ思われる」

「外観、すなわち私の顕在的行動は、私を動機づける真の力と極端に矛盾することがある。私の行動は私の性格と異なっている。」

「人間には両方の傾向が存在することを指摘しているようである。一方は持つ、所有する。他方は分かち合い、与え、犠牲を払う」

「持つことを中心とする人物は、自分の好きな人物、あるいは賞賛する人物を持つことを望む。それゆえそれぞれが、自分の相手をやはり<持つ>ことを望む人々に嫉妬する」

「金持ちになったり、有名になったりするためには、個人は忙しいという意味で覆いに能動的にならなければならない。それは【内なる誕生】の意味においてではない。目的を達成した時、彼らはわくわくし、強烈な満足を覚え、絶頂に達したと考える。しかしいかなる絶頂なのか。おそらく興奮の、満足の、恍惚状態あるいは狂乱状態の絶頂」

「このような情熱は、人間のより大きな成長と力をもたらすのではなく、反対に人間を不具にする。徹底的快楽主義者の快楽、常に新しい貪欲の満足、現代社会にの快楽は、さまざまな程度の興奮を生み出す。しかしそれは喜びをもたらさない。じっさい喜びの欠如のために、常に新しく常に多くの興奮的快楽を求めることが、必要となる」

「喜びは、自分自身になるという目的に近づく過程において、私たちが経験する者なのである」

●「ある様式は、今ここにのみ存在する。持つ様式はただ時の中にのみ、すなわち、過去、現在、未来の中に存在する」

「過去を再創造し、よみがえらせることができる。このようにするかぎり、過去は過去であることをやめる。それは今ここである」

「成功はいかにして自分のパーソナリティを売りつけるかに大きく左右される。人は自分を商品として、というよりは、同時に売り手でもあり、売られる商品でもあるとして、経験する」

「市場的性格は自分にも他人にも何ら愛着を持っていないので、彼らは言葉の深い意味での思いやりというものを持たない」

●「頭脳による操作的思考の至上権に伴って、情緒的生活は委縮する。情緒的生活は促進されることもなく、必要とされることもなく、むしろ最適度の機能を妨げる。その結果として市場的性格は情緒的な問題に関するかぎり、奇妙に単純である。」

●「疎外された人間。この性格の人物は仕事から、自分自身から、ほかの人間から、自然から、疎外されている。精神医学の用語でなら、市場的人物は分裂病質の性格と呼ぶことができるであろう」

●「目的は、かのそれ自身を目的とする人間的な力の発達であり、真の自由の領域。」

「それ自身の目的としての人間的な力の発達。」

「全世界は主を知ることにのみ専念するだろう」

「人間の務めは世間的なことがらから遠く離れた、精神的な自己中心主義の雰囲気の中に引きこもることではなく、能動的な生活を贈って社会の精神的完成に寄与するようにつとめること/シュバイツァー」

「産業努力を特徴づけるものとして、過剰努力をあげる。人間としてではなく、働く者としてのみ生きてきた」

「人間社会と世界とが、産業化した生活の慣習によって衰えている。」

「愛の能力を、批判的で感傷的でない思考の能力とともに発達させること」

「自己および同胞の十全の成長を、生の至高の目的とすること」

「きままではなく、自分自身になる可能性としての自由。貪欲な欲求のかたまりとしてではなく、いつ何どきでも成長と衰退、生と死との選択を迫られる微妙な均衡を保つ構造としての自由」

「野心もまた貪欲の形態であり、持つ形態である」

「どこまで到達できるかは運命にゆだねて、常に成長する生の過程に幸福を見出すこと」

レビュー投稿日
2013年2月26日
本棚登録日
2013年2月26日
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