じぶんを切りひらくアート ─違和感がかたちになるとき

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レビュー : 7
yuzuringo102さん  未設定  未設定

結局、「自分が突き詰めた(ている)もの」を見て、他人が「これは広めた方が良い」と思えば、それは自分の手から離れて、広まっていくのだと思う。

本著に掲載された作家も、多くは戦略的に何か売り出しているというよりは、人との出会いから、機会を生み、また人と出会い、、、そんな当たり前のことを繰り返している人たちに見える。

「★出逢いは出会いなんだけど、その出会いによって自分が表現しようとしているものが、どこに収まるのか、どこが着地点なのか探していた感じですかね。自分のスタイルが、より自然に受け入れられてもらいやすい場所に出会っていったっていう感じ」

という言葉はまさに今の自分にぴったりのもので、生じ、僕はどこに求められているのかが判然としないけれど、それはたぶん僕が押し出していくものというよりは、他者が見つけてくれるものだと思うので。しばらくはこのままでいようと思う。誰かがきっと適したところを教えてくれるはずなので。


◎以下引用

アートは自分からはじまる。自らの責任において、既成の枠にとらわれない自由を求める意思があること、そしてそれを行動に移す勇気があること

精神的に自由であるために、どんな生活をするかシバリはないわけで、働かなきゃいけないとか、家族を養わなければいけないとか、そういう立場は自分で切り開いて、自分でやっていくしかない

本当は僕がそんなことを言わなくても当たり前のものでなきゃいけないんだと思ってる

そういう風になるおそれとか理解してるけど、そんな小さなことを通り越して、それが必要で伝えなくちゃいけないことだと思ってる。それを一生懸命やらなくちゃいけない

「まんまじゃん」って笑われたりする。でも笑われても信念というか確信があるから、やり続けて行くと仲間が増えたり、「それは必要だ」っていうやつがいたりとかするから、少しずつ伝わってるっていう実感はある

先輩の勧めもあって銀座のギャラリーを借りて展示してみたんです。それがまたつまらなかった。結局友達が来て、たまに誰か関係者みたいな人が来たりして、とりとめもない話になるだけ。

写真自体に感動しかたっていうことよりも、その本自体が作品として機能しているというか。そういうものに惹かれた

写真じゃくて、情報の編集なのかもしれないなと思いました。ひとつをキラっとさせるんじゃなくて、全体の塊として、編集されたものをどうやって見せるかが重要

自分の作品を何かアートの歴史だったり、写真の歴史の文脈としてのせる必要はないって思った。

一番伝えたいことが、一番見えやすくなるようなかたちに落ちたところが、たぶん「作品」なんだと思う。その落ち方自体は、いまはいろいろあるんじゃないかな

作品をお金に換えて行くだけじゃ食って行けないし、いくつか選択肢と幅を持って、そのなかでやっていくしかない

★出逢いは出会いなんだけど、その出会いによって自分が表現しようとしているものが、どこに収まるのか、どこが着地点なのか探していた感じですかね。自分のスタイルが、より自然に受け入れられてもらいやすい場所に出会っていったっていう感じ

★自分探しというより、最初は自分の居場所を探していました。ただそのうち居場所を探すというよりは、自分が伝えたいこと、表現したいことっていうのは変わらなくあって、それを表現する場所がどこなのかを探すようになりました

★自分が本当に表現したいことができるところではなかったので、やっぱり場所さがしですかね

★そういう自分の感性が活かされるのはどこなのかなぁと思っていました

★人がいいと思わないんだったらやることないかなぁって、展覧会やって友達が見に来てくれて楽しくわいわいやって、そうやって趣味で続けていくっていうことにはまったく興味がわかなかった

そこにあるアーティストが見に来てくれて、知り合いのドイツのギャラリストの人を紹介してくれたんです

サラリーマンアーティストは40歳まで続けた。

★定職があると、気持ち的には楽だったので、作品に集中できた

何かほかの仕事と一緒に続けることになったとしても、もともとそうだったのでし、そのへんは楽観的に考えるしかないかな。別にアーティストだけで食べなきゃ終わりってわけじゃない

作家ってシャーマンみたいなところがあって、自分で作っている理由はわからないんだけれど、「つくらなきゃ」とか「つくりたい」って思ってつくるわけですよね。わたしの場合、それを人に見せて意見を言われることで、初めて自分がそれを作り出したかっら理由がわかるんですね

★たくさんの人がアートを理解できることはないと思うんです。だけどみんなが気付かないうちに、ちょっとだけ気づける人たちにメッセージを発信して、その気づくことができるマイノリティの人たちがわかったよっていうメッセージを発信していくことによって、いつの間にか全体のスタンダートになっていく。そういう変化を生み出すもの

その時に写真を見てもらったら理策さんが面白がってくれて。

個展にはいろんな人が来てくれました。森山大道さんとの飲み。

いろいろな写真家やデザイナーに写真を見てもらいました。やっぱり自分とセレクトの基準が違うから、そこで何が違うんだろうということを考えます。

褒めてもらうばかりじゃない。決してとんとん拍子だとは思いません。

最初から写真のテーマを決めてとらない


ストイックな型の中で踊らされて、その先に、ものすごく柔らかくて自由な精神世界がある

頭では何も考えないことが、一番の近道

振動を通して、世界と他者と、何か大事なものを共有している

自分に徹底的に向き合うことで、突き抜けてしまわないと意味がない

レビュー投稿日
2015年7月13日
本棚登録日
2015年7月13日
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