p29
「ほとんど理解できない不思議な経験に最も富んでいるのは、やはり誕生日であった。区別をしないのが人生の常であることは、僕もすでに知ってはいたが、誕生日の朝はやはり楽しい一日を予期しきって起きた」と書いたのは『マルテの手記』のリルケだが、たしかにその朝は、お祭りやクリスマスなどともまるでちがう気圧のなかにひろがっていたのである。
p34
一九三三年、昭和八年に書かれた「町の踊り場」は、秋声六三歳の作品で、それに先立つ数年間、あまり筆を執らなかった作家が一種の回生をなしとげるきっかけとなった短篇である。
p39
もうひとり、おなじ短篇からまったくちがう空気を汲み取ってみせるのが「荒涼の風に吹かれて」の古井由吉である。
p43
梗概にはこうした書き手の視点と読みの深さがすべて刻まれるのだ。自身の足場が不安定な者は永遠に手控えるべき、恐ろしく繊細な感性のリトマス試験紙なのである。
p51
判読しがたい文字で綴られていたのは、次のような文章だ。「書かれたものの力とその力を測る方法について私たちに確たる理論がなにひとつないのは、これぞ先験的な理論だといいたげな、内実の伴わない考えを持ち出してごまかそうとするのでないかぎり、さほど嘆く必要のない事実である」・括弧も引用符もない生の文章で、出展や作者名などはいっさい残されていない。
p52
p55
かつて画家を目指したこともあるノラにとって、詩人崩れのジョゼフは不思議な魅力のある男だった。人付き合いがいいわけでもなく、飛び抜けた才能があるわけでもないけれど、「存在しないものを観る能力」に長けていて、お金にも出世にも縁のない彼女の心を慰めてくれる。
(中略)
言葉をうまく操れば操るだけ人は言葉に閉じ込められる、人生とは、ちょうどテラスを支えている壁の割れ目からのびた木の根のように、言葉の違反のうちにしか現われない、と彼は言うのだ。作家なんて上手に話すことしか考えていない人間だから孤独なのだ、なぜならうまく語ることは統治の方法でしかないからで、意思の疎通が可能になるのは、共通の《不器用さ》によってのみである、と。ここには法的に結ばれた夫婦の問題というより、ひと組の男女におけるコミュニケーションの、言語的な困難が横たわっているのだった。-p59まで
p64
矮鶏抱けば猫よりかろく淡泊にて鳥はさびしき生きものらしき
そんなふううに斉藤史は詠んでいるけれど、これは改良品種という複製の命を背負った矮鶏がさびしいのではなくて、それを抱いている自分のさびしさを伝えているにちがいない。
p88
甘すぎると非難されるだろうか。なるほど野口冨士男や和田芳恵の小説に登場する幸薄い女性たちのこころばえは、いまや歴史のなかに閉じこめられた男性優位の社会の、共同幻想に属しているものであるにはちがいない。
p89
雪国の育ちではないから、深く重く降り積もる白い六方晶に囲まれた暮らしは想像の埒外にある。小説や詩から採取した既成のイメージを組み合わせ、風も雲も気温も捨象してひとつの幻をこしらえるのみの哀れな人間にとって、山口哲夫の『妖雪譜』は、雪を愛し、雪と闘い、雪に戯れる言葉のつぶてのいっさいを内包した屈指の名篇である。
p93
昭和九年に芝書店から刊行された神西清訳『チェーホフの手帖』は・・なフランス装で、けっして華美ではないのにどこか贅を尽くした風情のみごとな造本である。アンカット版だからペーパーナイフを入れながら少しずつ読むのもいいし、最後までまとめて頁を切ってからひと息に読むのもいい。
p100
山川方夫が三十四歳で不慮の交通事故をとげてから三十年が経過した。今年もまた私は、石原慎太郎の夏ではなく、山方方夫の夏を読み返すだろう。そして本当の空をきわどくかわしてどこにでもない虚に突き抜けた、けれどもおそろしく生の充溢した空を、息をつめて見あげることになるだろう。
p101
衝動買いを名目にしながら中身をほとんど確かめず、表紙の感触だけで古本に手を出す悪癖は、じつはそんなふうに黄ばんだ紙の海の漂流物を見つけるためだといっても過言ではない。
p102
吉江喬松は、国木田独歩に心酔する自然詩人、吉江孤雁として活躍した人物である、元来英文学の徒であったが、パリ留学を果たしたのちは早稲田大学仏文科の発展に尽力、いわゆる官学系の仏文学者とはひと味ちがった斬新なエッセイをつづり、また篤実なフランス文学史をものした。
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ここから回送電車3
p56
「小説は、時間の森への切り込みである」とフォレストは書く。ただし、そのような認識に達したあと書きはじめたのではない。『永遠の子ども』と題された「小説」に生じている重みは、批評文とそうでない文章の障壁について考え抜くごつごつした断章群が、娘との日々を生き直す行為と共存し、「無用なセンチメンタリスム」をみごとに殺しているからだ。・・・-p59
p143
蔵書リストを作成したり日記をつけたりする習慣のない私には、結局、本の顔や手触りが記憶を引き出すとても重要な装置になるからだ。
p155
高度経済成長と呼ばれる時代に生まれ育ちはしたものの、毎日の生活のなかに「直す」という行為がまだしっかり根づいていて、やたらと者が流通するようになるまえの暮らしを知っていた周囲の大人たちは、動かなくなたり破損したりした生活用品を安易に捨てないで、なんとか生き返らせようとしていた。・・・-p157
p165
行きつけのパン屋の、レジのお姉さんとの呼吸が、どうも合わない。呼吸といっても、別にふたりであやしげなことをするわけではなく、ただお釣りを渡してもらうときにたがいの指が触れてしまうだけの話だが、それが妙に気になるのは、ふだん無意識のうちに他者との身体的な接触を避けているからだろう。・・・-p169
p205
言葉には、裏と表がある。裏が表となり、表が裏になるという動きのなかで、文脈が生まれる。・・・
時間感覚はつねに相対的なものだ。・・・
p208
ボールは、そして言葉は、本来、だれかにむかって投げるべきなのだ。・・・
p209
ここではないどこかへ連れて行かれることこそ読書の醍醐味である、といった美しい標語を、本をめぐるエッセイなどでしばしば目にする。・・・-p215
p220
ほとんど成句となったランボーの「私とはひとりの他者である」という言葉を、否定的な文脈ではなく、それをじゅうぶん実感しながら肯定的にとらえなおしたうえで、いわば「私とは複数の他者である」ことを実践しようとしたのは、一九八七年に五十五歳でなくなったジョルジュ・ペロスだった。―p230
p231
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- 感想投稿日 : 2010年6月16日
- 本棚登録日 : 2010年6月5日
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