硫黄島いまだ玉砕せず (WAC BUNKO 57)

  • ワック (2006年12月1日発売)
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硫黄島では日米合わせて、40000名ほどの死傷者が出た。圧倒的戦力で上陸したアメリカ側の死傷者数が日本よりも多かった事は驚きだが、日本側も21000名弱の兵士のうち95%にあたる20000名程が死亡または行方不明となる。この戦いを率いたのは栗林忠道中将(戦後大将に昇進)、アメリカ側はミッドウェイ海戦で日本を打ち破ったレイモンド・スプルーアンス海軍大将であった。知っての通り、日本側守備隊は全長18キロにも及ぶ地下坑道を掘り、地下に篭ってアメリカを迎え撃つ戦法を採用した。ただでさえ硫黄が立ち込める火山地帯の島で地下の温度はサウナのごとく、川も湖も無い島では水も雨水に頼らざるを得ないという極限状態。その様な中でも前述した様に多大な損害を与えた栗林の指揮ぶりが戦後も長くアメリカからも尊敬畏怖の念を抱かせる戦いとなった。アメリカ側は1945年2月の上陸時に5日で陥ちると予測していたが、3月末までの1カ月以上戦い抜き、最後の最後まで、アメリカの本土上陸を少しでも遅らせる、太平洋の防波堤に徹した戦いであった。
映画ではクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で知る人も多いだろうが、多くの書籍も出ており、特に梯久美子の「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」は栗林中将の子思い、組織を率いるリーダーとしてのあるべき姿、人間性などがよく伺える一冊だ。
そんな硫黄島の戦いに於いて、戦闘開始前に海軍の硫黄島警備隊司令の任にあった和智恒蔵海軍大佐が、戦後に僧となり遺骨収集、戦没者供養などの活動に捧げた人生を本書は追う。戦闘前に更迭された原因は、新たに赴任した陸軍の栗林との防衛戦略の意見の違いからくる対立だそうだが、自らの部下の多くをこの戦いで失った事を、残りの人生をかけて贖罪しようとしたのではないだろうか。
和智氏はGHQに占領され、服従する日本側に於いて、遺骨収集のために島への上陸を訴えて活動を続ける。念願叶いいざ島を訪れてみると、頭蓋骨のない遺骸が多く、戦闘中にアメリカ兵が「お土産」として持ち帰った事を問題視し、その後の人生では、アメリカ兵士達に再三頭蓋骨を返すよう訴えるのである。
戦後も島には地下に立て篭もったままの残留兵士もおり、戦後の硫黄島訪問時に崖から身を投げるなど、戦時中と変わらず、戦後も悲劇が続いた。それ程悲惨な戦いとなった硫黄島の戦いであるが、現在に続く慰霊や遺骨収集での現地訪問(誰でも行けるわけではない)の先魁となったのは、間違いなくこの和智氏等の努力にあったと言える。
売名行為との誹謗中傷や、関連詐欺に巻き込まれるなど、様々な苦難を自らも負いつつ、亡くなる最後まで慰霊に人生を捧げ、部下のいる硫黄島への分骨という形で、島に眠る和智氏。地下から這い出して敵戦車に爆弾ごと飛び込む戦いや、映画に見られる様なアメリカ兵が摺鉢山に星条旗を掲げるなど、派手な場面ばかりが思い浮かぶが、その陰で戦後も長きにわたり戦い続けた1人の男の人生にフォーカスし、また違った視点で硫黄島の戦いを見る機会になった。
特に間も無く戦後80年を目前に控え、当時の戦闘を体験した人々の多くが鬼籍に入る中、体験者やその家族の言葉を聞き、新たな事実に触れることの出来る最後の時間が近づいている。平和しか知らない現代日本人が、その平和の礎を築くために散っていった同じ日本人が、過去に間違いなくいた事を心に刻み、続く平和を未来に繋げるためにも、読んでおきたい一冊だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年9月4日
読了日 : 2024年9月5日
本棚登録日 : 2023年12月2日

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