志乃ちゃんは自分の名前が言えない

著者 :
  • 太田出版 (2012年12月7日発売)
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本棚登録 : 1129
感想 : 109
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 タイトルが示すとおり、吃音症の少女を主人公にした青春マンガである。
 吃音症には、同じ音が連続してしまう「連発型」と、最初の音がなかなか出てこない「難発型」がある。本作のヒロイン・志乃は「難発型」だ。

 「あとがき」によれば、作者の押見自身が中学生のころから難発型の吃音症であり、本作のストーリーは自らの体験を下敷きに作り上げたものなのだという。

 それゆえ、ディテールのリアリティと、読者に訴えかける迫力がすごい。
 たとえば第1話は、高校に入学した志乃がクラスの自己紹介で名前が言えず、クラスメートたちに笑われるいきさつが描かれている。それだけの話なのに、志乃の焦燥とくやしさ、悲しみ、孤独感が、読む者にビリビリ伝わってくる。

 くわえて、本作が素晴らしいのは、この手のマンガにありがちな「クサさ」や、過度の啓蒙臭を微塵も感じさせない点だ。
 青春マンガとしてフツーに面白いし、淡いユーモアもちりばめられ、ちゃんと「押見修造の作品」になっている。

《この漫画では、本編の中では「吃音」とか「どもり」という言葉を使いませんでした。それは、ただの「吃音漫画」にしたくなかったからです。
 とても個人的でありながら、誰にでも当てはまる物語になればいいな、と思って描きました。》

 「あとがき」にそうあるように、これは「吃音の少女をヒロインにした一級の青春マンガ」として、普遍的な魅力をもつ作品である。
 代表作『惡の華』のイメージが強いため、もっとドギツい内容を予想していたが、意外にも、センスのよい水彩画のような味わいの好作であった。

 なお、本作の「あとがき」は、一編の文章として独立した価値をもつものである。今後、マンガ家・押見修造を論ずる場合に、避けて通れない一文となるだろう。
 その印象的な一節を、以下に引く。

《もうひとつは、言いたかったことや、想いが、心のなかに封じ込められていったお陰で、漫画という形にしてそれを爆発させられたことです。
 つまり、吃音じゃなかったら、僕は漫画家にはなれなかったかもしれないということです。
 勿論、吃音だったから漫画家になれた、というわけではありません。しかし、吃音という特徴と、僕の人格は、もはや切り離せないものになっているということです。》

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: マンガ/あ行の作者
感想投稿日 : 2018年10月8日
読了日 : 2014年11月12日
本棚登録日 : 2018年10月8日

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