解体屋外伝

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062065184

感想・レビュー・書評

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  • 再読。

    洗脳者集団の攻撃によって自己を失ったひとりの「解体屋」―洗脳外しのプロ―の逃亡と反撃を描くSF小説。

    「解体屋」〈デプログラマー〉、「洗濯屋」〈ウォッシャー〉、「錠前屋」〈プロテクター〉、命令旋律〈コマンド・メロディ〉、「高速洗濯」〈コイン・ランドリー〉、「意識下の戦争」〈サイキック・パンク〉…等々、独自の用語とそれらに振られたルビが中二的でいちいち格好良い。各章タイトル(「第一章 盲目王の脱出〈ブラインデッド・エクソダス〉」など)も、同様に決まっている。

    相手の定めたシナリオに乗らず、言語を用いて置かれた状況を再構築する、というのが解体屋の基本戦略として語られるけれど、それを再確認するような、解体屋とその相棒・ソラチャイとの掛け合いが熱い。
    「自分でかけた暗示のトリックに、自分ではまっちまったらおしまいだ。そいつは暗示のレールの上を一直線に走っていくだけさ」「だから」「……暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」
    そう示されたあり方が、洗脳や洗脳外しといった小説の枠を越え、生き方のひとつの指針を表しているようで印象的。

  • 設定が面白い割にはストーリーが今ひとつだった。

  • 駄目になったときに読み返す、一番大事な本。


  • いとうせいこう著の1993年作。
    この早すぎる作品に対していかなる言葉で語る事が出来るか、ずっと考えていた。

    物語は、洗濯屋(ウォッシャー)と呼ばれる洗脳家と解体屋(デプログラマー)と呼ばれる、脱洗脳を生業とする者達が跋扈する近未来での出来事。主人公である解体屋が自我が解体した状態で精神病院で拘束されている状態から物語が始まる。

    まずここでのやり取りがいい。解体した自我のなかで、他者から与えられたコンテクストのみが、無秩序に断片化され、現実から切り離され内的世界へ閉じ込められている状態が描写される。

    「わかっちゃいるけどやめられない」
    解体屋は再びアイコンを確認した。植木等の顔が書いてある。おかしい。腹が波打った。ソラチャイは気付かず、聞き返した。
    「え、やめられないって」
    「やめられないとまらない」
    アイコンには河童が書いてある。芥川龍之介だろうか。サブデータを引き出し、その近似ラベルを良く見る。えびせんという文字が読めた。
    「欲望はいつも他者のものである」
    「ジャック・ラカンだね。三点目。ああ結局ゲームに逆戻りか」
    「そこに言語ゲームが成立した時、語り始めてはじめて意味を持ったと言えるのである」
    「・・・・何だっ・・て?」
    伝わっている、と解体屋は思った。熱さの感覚が顔から腕の外側まで広がった。鳥肌が背中を襲う。俺は感動しているんだ。そう思うと、更に大きな感動の波が解体屋を飲み込んだ。
    「どうしたの?泣いてるみたいだけど」
    ソラチャイが顔を覗き込んだ。
    解体屋は大声で言った。
    「おなつかしゅう!」
     (略)
    「あなたはいったい・・・」
    「俺は・・・、俺は・・・デプロ」
    解体屋はためらった。言おうとしていることが、実は他者のテクストの引用にすぎないかもしれないと思ったからだ。いや、そう思うこと自体が引用なのだとしたら・・・。
    だが、それでもいい。解体屋はうなずいて声を上げた。
    「俺はデプログラマーだ。俺は解体屋なんだ」
    そう言った途端、何かがカチリと外れたような気がした。

    本来ならここは「俺は俺だ」なのだろうか。しかし最初の滑り出しとして、自我が解体している未明の状態から物語が始まるのが素敵である。まさに再びこの世に蘇るわけだ。ここにあるのは精神病者の解体思考が、外部の解釈によって現実と接続し、コミュニケーションが意味を持ち始めるプロセスと、全く同じものだ。

    解体屋は相手の瞳を通じて相手の脳内(こころ)にジャックインする。


    言ってみれば、解体屋は自己を三つに割るのだ。ひとつを外界にあてて相手の精神を揺さぶる言語/身振りを操作をし、もうひとつの自己をマザーコンピューターにして相手の反応の分析を行い、そうして最後のひとつを意識下の戦闘者(ハッカー)にする。

    これは、フロイト的な自我構造論に対応する筈だ。照応は余り納まりが良くはないが、順に、自我、超自我、イドを人格化したものだろう。この辺りとにかく精神分析の一番ヤバい精妙な感覚が、驚くほど上手く描写されていて、かれが勉強と想像だけでこれらの文章をものにしてとするならば、並のことではない。

    「あんたは大学かなんかの研究室で、安全な範囲の臨床例をリストアップしてさ、それで何かわかったつもりなんだろうけどね。例えば、患者に巻き込まれたことはないだろう?それじゃあ治療にならないからってさあ。だけど、俺たちはそんな甘いこと言って足れないんだよ。巻き込まれて巻き込むんだ。思いっきり投影させるんだよ。そういうことをしないあんたらには、脳がただのシステムだっていうダークサイドは一生わからないだろうな」

    そしてデプログラムの為にサイコシンセスし、相手の抵抗を扱い、解体するプロセスはスリリングそのものだ。最もダイナミックな精神療法の際のスリリングな綱渡りをエンターテイメントに昇華している。

    そして最終章、解体屋は他者の中に自己を発見し、その他者の自己の合一のなかで究極の体験をする。

    あいつは、解体そのもの。無そのもの。ただそれだけだ。あの声に引き込まれれば、誰でも自己の内部でこの白い闇に出会う。そして、何もないという真実を知って解体され、言語のしみひとつさえなくなるまで自己崩壊する。ハッカーの呼吸機能が停止していた。頭のなかにまで白いもやもやがかかる。
    人間にとって、とハッカーは息を切らせて報告した。人間にとって最大最強のプロテクトは、多分この無にかけられた頑丈なプロテクトだ。この真っ白な闇にプロテクトをかけて、人はようやく生きてゆくことが出来る。そのプロテクトの正体がわかるか?ハッカーは苦しげにつぶやいた。
    聞こえるかマザー。錠前屋(プロテクター)・・・。ソラチャイ。そのプロテクトは、世界は無ではない、というたったひとつの暗示だよ。それが世界暗示だ。絶対に外してはならない世界暗示だったんだ。世界は無ではない。そんな単純な暗示にかかって、俺は今まで生きてきた・・・。

    この先については、興味のある方は本書を是非読んでもらいたいと思う。

    視覚化されたこころ、メタな意識の扱い方、そして解体した自我から始まる物語が、やがて世界存在に肉薄してゆくところまで、、、精神世界を安易なスピリチアリズムにおもねかず、リアルにしかもマジカルに描き切った、早すぎた傑作だと思う。

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著者プロフィール

1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書)など。

「2020年 『ど忘れ書道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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