戦場にかける橋のウソと真実 (岩波ブックレット NO. 69)

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  • Amazon.co.jp ・本 (63ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000030090

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  • 映画「戦場にかける橋」を見て、関連本があるのを知り読んでみた。これは通訳として関わった日本人のもの。

    著者の永瀬隆氏は1918年岡山市生まれ。青山学院文学部を卒業。1941年12月の徴兵検査で体重が足らなくて第三種乙種合格。乙種でも戦地に行ける「陸軍通訳」を志願し、1942年1月、南方軍総司令部参謀部諜報班に配属。1943年1月からシンガポール駅でタイ国に輸送される捕虜を見送り、輸送業務の通訳をした。それが泰麵鉄道とその捕虜たちとの最初の出会い。

    戦後の連合軍の行った捕虜の墓地の調査に同行したことで、捕虜への贖罪をしなければとの思いで、戦後、弔いの旅を続けることになる。1976年には建設現場の一つであるクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者が再会する事業を実現。その過程で出会った元捕虜との友好から手記(「クワイ河捕虜収容所」レオ・ローリング著)を翻訳し、印税でタイに寺院を建てる。

    捕虜収容所での詳細な記述があるのかと思ったが、収容所付きの通訳ではないので、軍曹と収容所に視察に行ったりして捕虜の思想動向を探ったりしている。ただ初期の捕虜収容所に天井が無く、水を含んだ毛布に捕虜がくるまっているなどという記述がある。また通訳した捕虜が鉄道ファンとして泰麵鉄道の駅名のある略図を持っていたことから、その水責めの拷問を目の当たりにした様子が書いてある。

    終戦の日は、憲兵軍曹に同行してバンポン南方のラップリーにいて、イギリス落下傘部隊が国境のカレン人部落に降下してカレン人を使ってゲリラ訓練をしているという、情報確認をしていた。でその朝ラッブリー駅でシンガポールへ逃げる途中の邦人から敗戦のことを聞いている。上官からではないのだ。

    終戦となり原隊ともいえるのタイ駐屯軍司令部は終戦処理班となり、連合軍への武器返納や使役の通訳をする。そして本部副官から「君の名前は憲兵隊の名簿から消しておく」と言われる。通訳だからか。そしてそれが戦犯に問われなかった一因となる。が、泰麵鉄道の地理に明るいもの、として連合軍捕虜墓地捜索隊へ参加したことが、一生をかけて自分自身を裁くことになった。21日間の調査で沿線には200余カ所の墓所があり、チェックした墓は13000にもなったとある。この日本軍の捕虜虐待の結果としてのこの墓地をみているうち、抱いていた敵愾心も消え、この犠牲者になにをすべきかと考えるようになったとある。

    また鉄道建設には「ロームシャ」と呼ばれた近辺の現地の人も多数死んでおり、捕虜の墓にくらべ土まんじゅうがあるだけだったとある。当初は募集だったが集まらず、つかまえたとある(「死の鉄路ー泰麵鉄道ビルマ人労務者の記録」リヨン著 1981毎日新聞社)

    映画「戦場にかける橋」は鉄道関係者のあいだではいろいろな意味で不評であるという。日本軍関係者は日本軍は鉄道建設で一片のアドバイスも受けていない。これは日本軍のプライドからいって本当ではないかという。ただ、建設には捕虜たちの労働力があってできた、という点が肝要だという。そしてラストの「戦争なんて愚の骨頂だ」と叫ぶのは、戦争の意味を覚った者のみが言える遺言だろう、という。

    1985.8.20第1刷 図書館

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