- Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000221474
感想・レビュー・書評
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【版元】
著者 竹内章郎
ジャンル 哲学
刊行日 2005/02/24
ISBN 9784000221474
Cコード 0012
体裁 四六 ・ 上製 ・ 290頁
在庫 品切れ
「弱者」のための生命倫理.ベッドサイドは常に社会との関係のうちにある.共同性から切り離された,病んだ生物としての個体とは抽象に過ぎない.障害者・高齢者差別と生命操作に道を開き,現代版の優生思想を支える生命観を告発する.「能力の共同性論」という新しい人間観への挑戦.社会の能力主義的再編に抗して.
■著者からのメッセージ
“昨今の生命倫理や医療倫理の種々の本が,あまりにもノウハウ的・マニュアル的で教科書然たるものになり過ぎていることに,僕が心底,疑念を抱いたからこそ,本書が世に出ることになったのかもしれません.それはいったいどういうことか,もう少し書きます.
「脳死」と臓器移植,人工妊娠中絶,障害児の誕生や出生前検査などのほかにも,遺伝子工学や,人体実験・治検や,インフォームドコンセントや,医療資源等々でもまだ尽きない,たくさんの生命倫理的問題があります.そして例えば,「脳死」状態の家族をドナー(臓器提供者)にするか否かとか,未婚の若年女性の中絶を認めるべきか否かとか,障害児の出生を防ぐための絨毛検査を受けるか否か等々,現実の問題に迫られて,決断を下さねばならない場合があり,そんな折りには,助けとなるマニュアルが必要なのかもしれません.しかし,どんなマニュアルで「武装」したところで,その時々の決断は,マニュアル通りにはならず,各々の状況や各人の基本的な考え方次第で大きく変わり,それこそ十人十色の決断となるはずです.
実際上は,あてにならない可能性の高いマニュアルなどに習熟するよりも,生命倫理や医療倫理に関わる上記の諸問題が,現在の社会の在り方や文化の様相全体といった大きな領域とどのように繋がっていて,また,そうした繋がりの中にどんな深刻な問題――最も深刻なのが,現代では商業的という形容詞すらつく優生学・優生思想でして,これを克服しうる平等論が必要なのですが,これらについての話が本書の屋台骨になっています――があるのかを考えて欲しい,と思います.付言しますと,例えば重度障害児・者の生存を望まない日常意識は,発達や成長,さらには社会や文化の発展をあまりにも偏狭に捉えてきたが故の意識でしょう.ですから,こうした発達・成長・発展の捉え方を変えれば,障害者や重度の病者への,また「脳死」への対応も大きく変わるはずです.また,普通は個人の私的所有物であることが自明視されている能力についても,より関係的な「能力の共同性」を捉え,またこれを可能にするような社会・文化を創り出せば,事情は異なるはずです.つまり,安楽死・自然死ばかりが云々される死に近い状態の人々についてすら,彼らをめぐる周囲の人たちとの関係性次第で,その状態での「より人間らしい生」をもっと豊かに構想できると思います.
そうした大きな領域や大きな問題を考えておいた方が,現実の生活における個々の生命倫理的決断・行為についても,結局は,しっかりとした判断基準を創りあげることに繋がるように思うのです.そうした思いを抱きつづけてできあがったのが本書です.”
〈https://www.iwanami.co.jp/book/b261203.html〉
【簡易目次】
はじめに
Ⅰ いのちを守る
第一章 「弱者」のいのちを守るということ――「重度障害者」が提起するもの
1 「安楽死」は「本人のため」か
(1)「安楽死」を語るということ
(2)人間をみる眼
(3)激痛はしかたないか
(4)生命のなかの社会・文化
2 優生思想はどこに
(1)不十分な学問
(2)「自然な」とは
(3)近代的ヒューマニズムの弱み
(4)<健康>対<病気・障害>か
3 人間性を求める営み
(1)人間らしさと「定まった生活過程」
(2)「重度障害」ということは?
(3)社会・文化の「水平的展開」へ
第二章 「脳死」論の帰結を考える
1「脳死」という一点からの全面把握
2「脳死」に内在する臓器移植
3 自然科学主義的・啓蒙主義的「脳死」論
4 哲学学主義的「脳死」論
5 博愛主義的「脳死」論
6 「脳死」を真に把握しうる哲学を!
第三章 死ぬ権利はまだ正当化できない cf.安楽死・尊厳死
1「死ぬ権利」論を反駁する手順
2「死ぬ権利」論の横行
3「死ぬ権利」を助長する現実的基盤
4 倫理学的問い全般からの論点
5 やむをえざる死、歴史的産物としての死
6 自己決定論の陥穽
7 生命自体の自己保存・自己存続志向
Ⅱ 能力の共同性論のために
第四章 病気と障害から能力問題を考える
1 能力主義をとらえる視覚
2 三つの病気観
(1)特定病因論的病気観
(2)社会医学的病気観
(3)分子生物学的遺伝学的病気観
3 病気観の位相
4 二つの障害観
(1) 〈「障害(者)」である人〉から〈「障害」をもつ人〉へ
(2)能力「不全」自体の関係性――小括をかねて
5 〈障害=損傷と社会との相互関係自体としての能力不全〉と〈「障害」を持つ人〉
第五章 身体は私的所有物か――身体と能力をめぐる私有と共同性
1 身体をめぐる哲学と社会科学
2 私的所有の対象としての身体
3 私的所有における分離と共同性
4 身体の共同性論の射程
第六章 能力にもとづく差別を廃棄するために――近代主義と向き合う
1 能力上での「弱者」差別の存在
2 市民社会期の「能力」による差別の歴史的位置
3 能力にもとづく、ということも制度次第
4 個体能力観の克服へ
5 「能力の共同性論」の必要性
6 能力論と責任論との結合を
Ⅲ 先端医療と倫理
第七章 先端医療技術は何を隠すか
1 先端医療科学・技術の「進歩」をどう問うか?
2 出生前検査・診断技術の概要とその一般的評価
3 羊水検査以降の「進歩・発展」の表裏
4 出生前検査・診断技術が隠すもの
5 隠されたものによる差別・抑圧の克服を
第八章 生殖技術と倫理との関係を問う――商業的優生学との対抗
1 生殖医療を問う枠組み
2 認識哲学・認識論的枠組み
3 社会哲学・価値論的枠組み
4 最大の差別・抑圧としての死および死に近い生のはなはだしい軽視
5 健康願望と現代の商業的優生学――市場(商業化)・資本の論理との関係
6 哲学の現実化としての全ての生と生活の実現
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