崩壊するアメリカの公教育――日本への警告

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247924

感想・レビュー・書評

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  • 2017.3.12 期限3/26 3/22返却

  • 日本は、アメリカの公教育を見習っていて良いのかな?

  • アメリカの教育が民営化されていくなか、従来の教育、ここでは公教育側からの視線で書かれた著書。著者も語ってる通り、アメリカでは教育を受ける権利が保証されていないことに驚いた。自由すぎるだろう・・・。

    A案という案が実施され問題ができたら、B案が議論され実行され、C案になるというアメリカのダイナミズムを感じることができた。そして、日本では無理だろうなぁとも思う。
    A案という案が実施され問題が出てくる。蓋をする。放置する。外圧がかかったらB案になる。日本のお家芸。ただし、どちらがどうかはその時点ではわからないんだけどね。
    著者は、一環して公教育側から立場で語っていたので、民営化(新自由主義派)からの視点もぜひ読みたくなった。

    確かに、何事も効率重視なのは色々問題もでるだろうけど、アメリカの発展をみてるとあながち間違ってないとも思えるんだよね。なにせ人口NO.1の国がアメリカ以上の熾烈な競争を勝ち抜いて挑戦してきてるのだから・・・難しいね。

    日本?ちょっとはアメリカの民営化を取り入れたらどうかと思うよ。本当。非効率な面が多すぎるのでは?

    ともにもかくにも、この点の問題は立場が変われば意見はコロコロ変わるから難しいね。答えなんてないし。

  • アメリカの公教育の現場の危機感、社会の構造的な部分で教育が政治的な道具にされている姿は、日本にもあてはまることが多いのではないでしょうか。
    紹介されてた教師という仕事が私を去っていったという言葉も印象的でした。
    逆説的に、学校がもつ可能性、教育というものの力をあためて感じました。
    学びつづけることが、まず大人から必要な気がします。
    この本に出会えてよかったです。

  • ☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
    http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB21885246

    推薦コメント
    市場化(新自由主義改革)により公立学校の序列化と格差拡大が進むアメリカの公教育。近年、日本の大学にも競争原理が強く取り入れられてきているが、将来の日本における高等教育のあり方に対して、示唆に富む内容である。

  • 公教育の制度的な話が中心なのかと思っていたが、そんなことはなくて面白かった。筆者自身が教師をしていたことに親近感を覚えたし、今の自分の働き方の迷いに対して、「そのままでいいんだよ」と言ってもらえたような気がした。それと同時に、もっと自分の授業や伝えたいことを洗練させなければならない、まだまだだなと思った。
    シカゴの教員組合のデモは、父母や子ども、地域住民が多く参入していた。藤岡の住民運動論、特に水俣の公害闘争の現代版を見ているような気がしてワクワクした。

  • ・アメリカで子供をprekに通わせている身として是非読んでおきたかった本。日本的な詰め込み教育しか自分は体験しておらず、その功罪どちらも実感するため、よく言われる自ら考え実践する力、チームワークで課題を解決していく力を養う上でアメリカ教育が参考になるのか知りたいもの。
    ・試験成績という画一的な観点だけで子供も教師も学校も評価されるようになっており、本来教育が提供すべきものが失われている、その試験至上主義は政府の政策による成績に応じた学校への予算配分+チャータースクールによる民営化促進による更なる効率化により構造的に組み込まれている、という点が要旨。自分は試験を受けること自体は必要だと思っていたので読み途中は共感できなかったが、その弊害として教師が試験のテクニックだけを教えるマニュアル人間になってしまうこと、成績を重視するあまり校則に少しでも従わない子供に手錠までかけてしまうような罰を科すようになることなど、生々しい実態が書かれており、こうした行き過ぎた試験至上主義の危険性を理解できた。
    ・教育を数字で、エビデンスベースで科学的に検証すべきという言説が巷に溢れており、それはそうだなと単純に感じていたが、それを成果に安直に結びつけてしまうことの危険性を感じた。アカウンタビリティという言葉についても素人が安易に分かり易い効果を求めることでプロが本来提供すべき価値が追いやられてしまうことについても留意したい。じゃあどうすればいいの、というと明確な答えはないのだけれど、この本で紹介されたシカゴでの教員デモの結果として勝ち得た試験結果の評価比重を25%以下にすることなどは具体的な歯止めとして効果的だと思う。それが大前提の土壌として、本来の教育をどう実践し評価していくか、という本質的な議論がされていくべきなのだろう。
    ・同時期に読んだ『Helping Children』で非認知能力の重要性を説いているのと併せて考えると、テスト至上主義がシステミックに推進され子供の内面的な資質を育む教育ができなくなっていることに強く危機感を覚える。
    ・一方で、以下二点のせいで大変読みづらく、心理的に賛成しにくくなっているのが大変に残念。
    ・新自由主義批判が前面に出ていて中立的な議論になっていない。新自由主義とは機会の均等を提供して個人の努力の反映を最大化する考え方だと言えると思うが、試験至上主義が新自由主義とは必ずしも言えず、数字で見える安直な成果を全てとすることが批判されるべき。教育に限定せず新自由主義自体を社会全体で問い直すべきと筆者は主張しているが、そこが噛み合わないし教育以外の面での議論はされていないので、話がズレて広がっている感じ。特に偏った主張になっているのはPISAの評価で、世界の画一的な試験を導入すると成績至上主義になり多様性が損なわれるとしているが、そこの因果関係は本当にあるのか読んでもよくわからない。個人的には試験は必要だし基礎的な学力を問うものであれば、個人の資質に寄り添った本来的な教育とこうした試験は矛盾しないと考える。
    ・子供をハーレムの学校に通わせるのも自分の研究のために子供を犠牲にしているようでそちらが気になってしまう。。ハーレムは人種隔離政策が取られる遥か前から歴史的にアフリカンアメリカンの地域で既にアイデンティティのようになっており、ハーレムの人種比率で社会の人種隔離を批判するのはピントずれだし、学校運営を改革しようとするならヒスパニックやアジアンも多い貧困地域のほうが適切だったのでは。
    ・とは言え今の教育改革の主流に対するカウンターとしては知っておかなくてはいけない事実が多く、読んで良かった。今後も教育の改善のためにどういった取り組みがされているのか情報収集して自分の子育てにも反映していきたい。
    ・この本からは逸れるがアメリカは良くも悪くも大掛かりな行動をとるという意味で参考になるので、他の分野でも色々と参考にできると感じた。アメリカで生活する意義も感じさせてくれた点感謝。

  • 非常に良書。率直な感想は3つ。
    1:全て本当のことであれば非常に学ぶべきところの多いアメリカの現状が伺えた。
    2:同時に日本で同じような現象も起き得る(背景が全然違うのに)というのが感じられるし、それに加担してしまっている自分がいて、どう教育の発展に貢献していっていいのか益々わからなくなった。
    3:結局どうあるべきだ、ということは書かれるべきでないのかのしれないが、全く言及がなく、アメリカ批判のようになってしまっているのは気になる。一方で主義主張には賛成するが現実社会でどう振る舞えば良いかマクロ的にもミクロ的にも悩ましい。

    市場化による公立学校の序列化と教育格差の拡大。規制緩和で使い捨て労働者とかす教員。そそてPISAに見られる世界レベルの教育の数値化と標準化の危険(そもそもなぜOECDのような経済に関する団体が教育を?)。ピアソンのようなジャイアント企業がロビー活動を通じて教育を経済化する現状。それらを通じてそもそもの教育というものが指数化できるもの、テストへ収斂する矮小化された教育へ向かっていることに異議を唱える1冊。

  • 11 アメリカの教育改革の光と影[篠原岳司先生] 1

    【ブックガイドのコメント】
    「ニューヨークで研究生活を過ごした著者がアメリカの公教育の問題状況をリアリティをもって指摘する。」
    (『ともに生きるための教育学へのレッスン40』130ページ)

    【北大ではここにあります(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001767300

  • 機内で読了。ビル・ゲイツが新自由主義教育を養護しているような表現をしており、?という感じ。筆者が研究した成果や、自身が体験したことが具体的にかかれており、アメリカの底辺校の闇を知ることはできる。しかし、何か、すっきりしない読後感な何故なのか。。

  • まだ読みかけ。
    アメリカの公教育の格差が大きいのは理解できるし、マックチャーターのような教育の画一化を批判する向きもわかる。
    しかし、元々の"Nation at Risk"のレポート('83)の背景にはアメリカの経済的な衰退と教育の質の低下があったのではなかろうか。日本も同じ、日教組に支配された質の低い教師へ批判がベースにあろう。
    国家は公教育への投資によって何を得るか、という根源的な問いに到達することを期待する。経済活動がそのまま戦争手段となっている今日、ひと握りの経済的エリートを国に惹きつけることすら難しい。国家とは、国民とはなんだろうか。
    【2章】
    "Pearson, Everyday earning"のジョークはまぁいいとして。オンラインエデュケーションは今後、間違いなく伸びるし、方向性も間違っていない。教師を安価な労働力に貶める、というのは一面的な見方でしかない。これからの先生のあり方を探っていかねばならないのではないか?
    【読み終わった】
    おわりに、の章が珠玉。答えしか与えない社会に自由はない。生徒によって評価も変わる。生徒一人ひとりに向き合って、その生徒の長所を伸ばす。いずれも今の時代に求められている事柄だが、公教育全体としては全く明後日の方向に行ってしまっている。著者の主張の底流を理解できた気がした。
    今日、自由主義の進展によって生活のありとあらゆる面での効率性を求められるようになった。消費者としては非常に便利でリッチな時代だが、反面、我々は「何のために戦っているんだ?」との問いに答えられなくなった。単にすべての人の社会的、経済的な生存を保証するだけで良いはずなのだが、それができないのは我々の中に時間泥棒がいるせいだからだろうか。

  • ・新自由主義
    ・公設民営

    教育基本法改正

  • 無批判にPISA型学力を受け入れることが何を意味するのか。今まで考えたことの無い視点でした。それを前提とした学力論議はいったいどこへ向かうのか、考えさせられました。

  • 2017/02/18

  • まさにアメリカがやって来たことをそっくりそのままやろうとしている日本。恐ろしい。国に不満を言ってもしょうがないから自分ができることを全力でやろうと思った。アメリカの公教育がここまで崩壊しているとは考えてもいなかった。日本よりひどい。

  • タイトル通りアメリカの教育制度の崩壊をその地にいた内側の視点から綴るルポであると同時に,著者自身の教育哲学に触れることのできる良書だった。

  • 「アメリカ」のところを「日本」に
    替えて読んでしまった

    日本では(どの国でも)
    誰でも 教育評論家になれる
    ただ それになれないのは
    唯一その立場にいる教職員たちだ

    自分に火の粉が降りかかってこなければ
    人はなんとでも言うことができる

    本書は 日本でも そして アメリカでも
    その「教職員」の立場に立ったことのある著者ゆえの
    説得力になっている

    この国はどこに行こうとしているのだろうか
    そんなことを
    力いっぱい考えさせてもらった一冊になった

  •  日本の窮屈な教育に飽き足らずに、自分を発見するためにアメリカに留学した著者。そこで繰り広げられていた,個性を生かす教育と文字通り個性的な同級生たちの姿。著者は「これぞ,日本の教育の目指すべき道」と思っていたそうです。
     が,その一方で,新自由主義のもと,公教育の場がどんどん民営化されていき,「公」というものがなくなっていくアメリカの教育界。著者には,アメリカの教育界が「格差拡大再生産の場」であることが,見えてきます。自分が体験したのは,エリートを育てる私立校だったんです。それはアメリカでも特殊な教育環境であることに気づきます。
     新自由主義に犯され,何ごとも経済最優先で突き進んだ結果の社会が,アメリカにあります。しかし,「数値,数値…」と追い立てられる教育現場の状況は,アメリカだけではありません。日本もまた,アメリカが進んできた方向に向かっているように思います。だからこそ,弐の轍を踏んではいけない…と思います。本書の副題が「日本への警告」とあるのは,そういう意味です。
     著者が何度か紹介する,チョムスキーの次の言葉は,深いです。
    「いかなる抵抗をも抑圧し得る賢い方法は,議論の範囲を制限し,その中で活気ある議論を奨励することだ。」
     確かに,チョムスキーの言うとおり,日本の教育現場も,学力テストの点数を上げるために,いかに研究するかということに閉じこもって,活発な議論がくり返されています。「学力」の枠組みそのものを問う議論などは,ずっ~と昔になくなりました。

     また,レスポンシビリティとアカウンタビリティーの違いなども,現場の教育を見る視点としておもしろいし,現状を打破するポイントの一つとなるでしょう。

     「おわりに」で紹介されているマキシン・グリーン女史との関わりやその言葉も頭に残りました。
    「答えしか提供しない社会では,自由は存在し得ないでしょうね」
     数値目標を掲げ,子どもをその数値を上げるための評価の対象としてしか見ていない教師たちがどんどん増えています。限られた枠内で頑張る姿は,輝いて見えるけど,滑稽でもあります。
     新自由主義をひっくり返さないと,全人教育にはつながらない…答えのない全人教育こそ,本来の教育のはず。

     数値化できなくて何が悪い?
     費用対効果が分からなくて何が悪い?
     教育とは元々そういうものだろう。
     子どもの不安定な心と付き合うことのできるプロの教師になりましょう。子どもは,そんな教師を求めているはず。そしてそれは親も同じ。

     今の状況を打破する方法として,「我が子に学力テストを受けさせない」テストオプトアウト運動というのがあることを知りました。実際,ニューヨークでは,2015年には50万人という規模でテストを受けませんでした。
     数値に反抗するには,その数値を意味のないものにすることが大切。保護者から出てきたオプトアウト運動は,日本でも起きるかも…。

  • 新自由主義が万延するアメリカの公教育で起きている教育の商業化を暴き、アメリカに傾倒する日本に対して警鐘を鳴らす一冊。

    とあるインクルーシブ教育研究者から聴いた、共生の実現を目指すアメリカの教育とは全く違う姿に愕然とした。時代の違いなのか、地域の違いなのか…

    日本では、教員の管理統制が厳しくなってきていて、統一学力テストの扱いも危惧される現状。アメリカの公教育の崩壊が他人事とは思えない。

    教育を考えることは社会を、政治を考えること。

    教職員として、親として、これからの日本の教育をどう進めていくべきか考えさせられる。

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著者プロフィール

米国コールゲート大学教育学部卒、スタンフォード大学教育大学院教育哲学科修士課程修了。16歳で単身アメリカのニューハンプシャー州の高校に留学。修士号取得後、帰国して教員免許を取得。2002年から2008年まで千葉市の公立中学校にて教員を務める。2008年秋からフルブライト奨学生としてコロンビア大学教育大学院博士課程に在籍。2011年より、同大学にてマクシン・グリーン(Maxine Greene)名誉博士の助教を務め、大学院生を対象にした教育哲学とアートを繋ぐ授業の教鞭を取る。

「2013年 『音楽中心音楽療法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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